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まちづくリストたち

2009年12月16日 (水)

奈良の観光まちづくり - 日本地域経済学会第21回奈良大会

2009年12月12日(土)。奈良女子大学で行われた日本地域経済学会第21回奈良大会に出席しました。

わたしが今年一年の研究成果を発表する自由論題報告は翌日午前中でしたが、この日は地域公開シンポジウム「世界遺産都市・奈良における新たな観光戦略と地域経済」が同大学キャンパス内の記念館で行われました。その内容を簡単にお知らせします。

まず阪南大学の吉兼秀夫先生による基調講演が行われました。吉兼先生は現代の観光のあり方についての基本的考え方をわかりやすく示してくださいました。

観光は酒のようなものとのことです。地域にとっては百薬の長となりますが、いくつかの注意が必要が必要です。― 飲み過ぎ(頼りすぎ)に注意。未成年者の飲酒(未熟な観光開発)はよくないなど。

そして観光客も進化しています。「みる」から、「する」へ、そして「知る」、さらに今は(地域に)「浸る」。地域においてもこれまでの企業誘致などに頼る外発的な地域開発から、内発的な地域活性化策の方に向いています。そのためには交流人口の拡大が求められ、観光というものの重要性が高まってきました。国においても観光庁ができたことは画期的なことです。

そんな中、これからの観光を考える際に、「図と地」論でとらえることが有効です。「図」は、たとえば奈良だったら神社仏閣などのいわゆる従来型の観光資源(施設)。それに対して、「地」はそれを取り巻くすべてのもの。自然風景や日常的町並みなどの景観。「地」はこれまではあまり顧みられることはありませんでした。

これからは、魅力的な「図」の演出と同時に、快適な「地」の保全・創造が図られなければなければなりません。従来型の観光施設に飽きた客は、何気ない路地を散策するなど「地」に関心を持つようになります。ここがうまくいくとリピーターが増えます。

それでは「地」をつくっていくためには、何が必要でしょうか。それはパートナーシップによる連携です。その事例として、国内外のエコツーリズムの取り組みについての紹介がありました。

続いて、パネルディスカッションが行われました。基調講演の吉兼先生のほか、奈良市中心部の奈良町でまちづくりを行っておられる三人の方が事例報告してくださいました。

魚谷和良さんは、地元商店街でかまぼこ店を経営されていますが、バサラ祭り実行委員長のほかいくつかのまちづくり活動のリーダーとして活躍されています。

魚谷さんらがバサラ祭り」をはじめたのは1999年。行政主導で行われてきた「ならまつり」の実行委員会が解散して、そこに集まっていたスタッフたちと、誰でも気軽に参加できて、まちが盛り上がるものはないかと企画したそうです。またあとで紹介のある、「なら燈花会」も同じ時期に、やはり魚谷さんが言い出しっぺとなってはじめたとのことです。

ならまち振興財団専務理事の林啓文さんは、バサラ祭りやなら燈花会の取り組みがはじまって、市民の方々が中心商店街に足を向けるようになり、近年商店街の通行量が増加傾向にあるという報告をしてくださいました。

最後にNPO法人なら燈花会の会副会長の中野聖子さんが、「なら燈花会」について報告くださいました。中野さんは、地元ホテルの専務取締役ですが、はじめのころは一ボランティアとして燈火会にかかわりはじめ、ろうそくに火をともす役をしているうちにいつの間にか副会長になったとおっしゃっていました。真夏は奈良の観光も閑散期。夜の奈良は本当に暗いのに、そんな中、燈火会がある日は夜遅くまで観光客で賑わうのでとてもありがたい行事になっている、そして市民ボランティアに支えられているこの祭りは、ボランティアにとってもろうそくに火をともすことで、このまちに関わっていることに誇りを感じさせる、このまちにとって欠かせないものになっていると語ってらっしゃったのがとても印象的でした。

三人のお話をお聞きして、このまちではまちづくりのイベントが決して観光のための一過性のものではなく、市民のまちづくり意識を高め、まちに愛着を感じさせることにつながっているのだなと思いました。

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シンポジウム会場となった、奈良女子大学記念館

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キャンパス内には普通に鹿が歩いていました。

2008年2月25日 (月)

淡海・3人の「5時からまちづくりスト」

「淡海」と書いて「おうみ」と読みます。琵琶湖のことです。

2月23日(土)。あいにく琵琶湖は、降り続く大雪でぼんやりとしか見えませんでした。

この日。湖の名が冠された「ピアザ淡海・滋賀県立県民交流センター」で、まちの駅講演会が催され、まちの駅ネットワークふくおかは講師を務めさせていただきました。

講演会を主催したのは、団体ではなく、個人です。3人の滋賀県職員の方々。もちろんこの3人は県庁の仕事ではなく、まったくプライベートな立場でこの会を企画してくださいました。

手作りでチラシを作り、知っている限りに声をかけて、でも当日は大津市のみならず滋賀県全域から15名の商業者や行政職員の方々を集めてくださいました。

講演会の冒頭、主催者挨拶でこの企画の中心となったS氏がこのようにおっしゃいました。

「自分はまちの駅にとても興味を持っています。これで何とかまちを元気にしたいと思っています。ただ県職員である自分は店を持っているわけではないので、直接まちの駅にはなれません。だからまちの駅をやってくださる人がいれば、可能な限り応援していきたいと思っています。そのためにまず少しでも多くの方にまちの駅を知ってもらうことが大切と感じ、この講演会を企画しました」。

わたしは仕事を超えてまちづくりに一所懸命に関わってくれるひとを「5時からまちづくりスト」と呼んでいます。この3人はまぎれもなく、「5時からまちづくりスト」。淡海の国ではここから「まちの駅」が動きはじめるかもしれません。

2006年2月13日 (月)

ほっと一息まちづくり実践中

茨城県筑西市。
がまの油でも有名な筑波山の北西に位置するこの街は、2005年3月に下館市・真壁郡関城町・明野町・協和町が合併して、誕生しました。

「たまり場たろう」は筑西市にあるまちの駅。小ぢんまりとした、暖かさいっぱいの喫茶店です。
コーヒーが美味なのはもちろんですが、なによりステキなのは、駅長の小松崎さん。
明るくて、優しくて、会えば元気と幸せをもらえる魅力的な女性です。

2003年8月には、仲間とともに、市の「しもだて地域交流センター・アルテリオ」にまちの駅「ほっと一息ステーション」を開設。
さらに2004年5月には、ご自分の喫茶店もまちの駅にしました。
その底流にあるのは、「街中には、街の人が『ほっと一息』つける場所が必要」との思いです。

小松崎さんがまちづくりの実践を始めたのは、ご家族の介護がきっかけでした。
同じ問題や悩みを抱える人たちと「在宅介護を支える会」を結成。障害者用トイレの場所や街中の段差の状態などを2年半かけて調査し、作成したマップを関係者に無料配付するなど、「現場の人間が、現場の視点で考え、現場の課題を解決する」活動を続けています。
「自分たちも楽しいし、周りの人にも注目してもらえるから」と、思い思いの和装で、車椅子を押しながら、街あるきをしたこともあったとか。

いつも前向きに、肩肘張らず、少しでも楽しく活動できるような工夫をちりばめながら続けてきた、小松崎さんの「ほっと一息まちづくり」も10周年を迎えたそうです。
それを記念して、2月19日(日)には、午後2時から筑西市民会館で、市原悦子主演「わらびのこう」という映画の上映会を開くとのこと。

まちづくりの一番の実践者・適任者は、街の人。行政の専売特許でないことを教えてくれる小松崎さんです。

2006年1月 3日 (火)

地域の元気はひとがつくる

あけましておめでとうございます。今年はどんな年になるのでしょうか。経済界では本格的に景気回復へと向かうということが語られていますが、日本経済が元気になるということは、まずはそれぞれの地域が元気になることであり、その中で元気なひとがいかにたくさん出てくるかだと、わたしは思います。

先日福岡県筑豊地域のある商店街を訪ねました。正月準備であわただしい年末の午後にもかかわらず、アーケードにはひとがまばら。寂しい雰囲気が漂っています。そんななか、地域の農産物を集めた直売所のようなところがあって、そこは比較的にぎわっていました。

中に入ってみることにしました。温かみのある手書きの文字で「○○町の○○さんがつくった白菜」など書かれたプレートの下には、新鮮な野菜や美味しそうな豆腐などの加工品が所狭しと並んでいます。そしてその傍らにはお客さんひとりひとりに声をかけながら、並んでいる商品の説明を丁寧にしている男性がいらっしゃいました。

聞くと彼(Nさん)はこの商店街組合の副理事長さんだそうです。またこの直売所がある場所は以前金物屋だったそうですが、そこが経営難により閉店したため、商店街活性化対策として組合が借りて街の新しい顔として整備したとのことでした。そして、Nさんは本業としてこの商店街で学生服の専門店を経営しているにもかかわらず、副理事長としてここを開いた責任があるため、本業は奥さんに任せて自分はここにかかりっきりになっているそうです。

オープンは約1ヶ月前。そこで「1ヶ月やってみてどうですか?」という質問を投げかけてみました。Nさんは一言、「いやあ、たいへんですね」。農産物直売所は農家がそこまで生産物をもちこむのが普通ですが、ここはぜひとも出品してもらいたい農家にお願いしながらやっているので、毎朝Nさんが軽トラでそれら農家を回りながら集めているそうです。「そこまでしても納得のいく商品を並べたい、そうでないとお客さんに信頼してもらえないから」と彼は語ってくれました。

Nさんは語り続けます。「この直売所をつくるにあたっては、組合の中からもかなり異論があった。でも何かしないとこの街はダメになってしまうといって、何とか開業にこぎ着けた。だから絶対に黒字にしないとみんなから何と言われるかわからない。こういうことは誰かがバカになってやらなければ動かない」。

でも彼は少し恥ずかしそうに語ります。「さすがに(本業を任せることになった)家内からは、いいかげんにしてよ!と大げんかになったんですよ。しばらくここで一所懸命になるから、と言うと」

Nさん(と本業を守っている奥さん)の頑張りのおかげで、朝仕入れた野菜などはほとんど売れ残りがなく、農家からの信頼も少しずつ得られてきているそうです。

地域の元気はNさんのようなひとが毎日現場をはいずり回ってつくっているのだなとしみじみと感じ、わたしは暮れなずむ街をあとにしました。

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2005年12月23日 (金)

駅長さんとお客さんをつなぐもの

もうすぐ大晦日。大晦日といえば「年越しそば」ですね。

栃木県那珂川町はそばどころ。町内にある18のまちの駅の中には、おそばを扱っている駅が四つもあります。
そのうちの一つが、「こだわりの駅」。
駅長さんは、お客さんにいつでも観光案内できるよう、町内をくまなく歩いては旬の情報をゲットしています。
でも、駅長さんには悩みがありました。
それは、おそばを打ったり、天ぷらをあげたりすることが仕事の駅長さんは、いつも厨房の中にいなければならず、直接お客さんと話をする機会が少ないこと。

そんな駅長さんがお客さんとコミュニケーションを取るために考え出したのが、「店主のひとりごと」です。
これは、文庫本ほどの大きさの紙に、おそばの歴史や栄養価、おそばにこめる駅長さんのおもいなどを記したもの。
それをお店の各テーブルに置くようにしたのです。
お客さんはこれを読みながら、おいしいおそばが出来上がるのを待ちます。

「店主のひとりごと」を通して、お客さんにいろいろなことを伝えられるようになった駅長さん。
駅長さんの心がいっぱい詰まった小さな紙片は、今日も、厨房の中の駅長さんとテーブルのお客さんとをつないでいます。

2005年11月23日 (水)

神と仏が出会うまち

先日まちの駅の説明のため、大分県宇佐市を訪ねました。宇佐といえば、言わずと知れた宇佐神宮のお膝元で、お宮には年間200万人もの観光客がやってくるとのことです。

宇佐市は神宮のある宇佐町ともうひとつ四日市町というふたつの中心があり、わたしが訪れたのは四日市町のほうでした。このまちは宇佐神宮ほど有名ではないのですが、真宗大谷派四日市別院 (東別院)と浄土真宗本願寺派四日市別院 (西別院)というどちらも大きな伽藍をもつお寺が並んでおり、まわりは一昔前までは趣のある門前町が形成されていたそうです。しかしながら現在まちは寂れ、車で通り過ぎただけでは何も気づくものがないような目立たない通りとなっています。

ところで、今回わたしにまちの駅のことを聞きたいとおっしゃってくださったのは、その四日市町を中心に様々なまちづくり活動を行ってらっしゃるYさんでした。彼女はとにかく四日市町の特色を見出そうと、郷土料理を掘り起こしたり、門前町にふさわしい街並み修景を考えたりと活発に動いている方です。

ただ彼女はそれらの活動に何かがひとつ要素が足りないと感じておられたようですが、わたしがまちの駅についてお話ししたのを聞いて、その何かが分かったように見受けられました。まちをきれいにして、特産品を売っても、そこを訪れた方々に接する「ひと」ひとりひとりの意識が変わらなければまちの魅力は十分に伝わらない。おもてなしのこころをもって接するひとがそこにいてこそ、まちは活きるんだと。

彼女は宇佐町と四日市町のふたつをつないで、ともに活性化できないかと考えてらっしゃいます。「宇佐市を神と仏が出会うまちにしたいのです」と語る彼女の目はとても輝いていました。

2005年11月 1日 (火)

台風娘

先の日曜日、福岡県立花町の旧大内邸(まちの駅・すずしろの駅)で行われた「たちばな和塾」という催しで司会をさせていただきました。この催しは普通の暮らしのなかにある日本の文化をたくさんの人たちの手で掘り起こし、太陽の光をあて水をやり、新しい文化の小さな芽を大きな木に育て、より多くの人に発信していこうということで行われたものです。

日頃から古い民家で地元の食材を使った料理を楽しむことができるこの旧大内邸ならではの企画。今回は長野県小布施町で地域の伝統文化を掘り起こしながら様々なまちづくりを展開しておられる、セーラ・マリ・カミングスさん((株)桝一市村酒造場取締役・(株)小布施堂取締役)のお話と、地元の食材による手作り料理「母の膳」で参加された方に秋の一日を楽しんでもらおうという内容でした。

セーラさんは前の晩からわたしたちスタッフと一緒に町内の農家民宿に泊まっていただいて、夜遅くまでお話しすることができたのですが、彼女の印象はあだ名どおりの「台風娘」。明るくにぎやかなのはもちろんですが、外からやってきて、新しい方向からの強烈な旋風を巻き起こして、そして人々の目を片っ端から覚ましていく。まさにまちづくりに必要なひとのひとり、「よそもの」を地でいくような方です。

しかし彼女がすばらしいのは、単に「よそもの」として新しい風を吹かすことだけではなく、小布施のまちにどっぷりとつかり、常にまちづくりの現場にいて、地べたをはいずり回って奮闘されていることです。そんな毎日の「闘い」の中で培われた絶妙なバランス感覚が彼女の中にあって、それが小布施のまちを良い方向に動かしている力のひとつになっているのだなと思いました。

そして翌日の講演の中では、彼女の高い日本語能力(ギャグ連発!)によるところももちろんありますが、日本人の行動・思考様式をからだで理解しているがゆえの「なるほど!」と思わず納得するようなキーワードも数多くあり、1時間と少しの間、笑いありうなずきありと約100名の聴衆はすっかり「セーラ台風」の渦の中に巻き込まれていたようでした。あとで何人かの方に感想を伺いましたが、皆さん一様に「実に有意義な時間だった」「自分も何かまちのためにできるような気がした」とおっしゃっていました。

午前の講演が終わってから、セーラさんは参加者と一緒にゆっくりと交流を深めてらっしゃいましたが、やがて次の講演先の高知に向けて風のように旅立っていかれました。さぞかしまた次の街でも、猛烈な、でも爽やかな風が吹き荒れたことでしょう。

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写真は、セーラさんと立花町のボランティアのみなさんです。

2005年10月 2日 (日)

海辺の町にて


福岡県遠賀郡芦屋町。遠賀川の河口に広がる漁港の町です、夏は海水浴や花火大会でにぎわうのですが、それ以外のシーズンはひっそりと静かな町です。

そのまちの小さな商店街の一角に小さなお花屋さんがあります。お花屋さんといってもそこに並んでいるのは生花ではありません。人工の花なのですが、造花とも言ってしまってはもったいないほど繊細な花は、主宰の山田加津子さんが7年前に考案したオリジナル。その素材は寒冷紗。寒冷紗とは通常農業で使用し、日よけ、保温、害虫防止等の効果がある目の細かい網のことです。これを近くの授産施設で様々な色で染色してもらったものを、山田さんが手作りで花へと織り上げていくのです。

「創花フレールクレール」。この花の名前です。“Fleur Claire”とはフランス語で「透き通った花」の意味。文字通り、ガーゼのように透き通った花は、上品な雰囲気をあたりに振りまいています。

さて、そんな美しい花々に包まれたこのお店は、まちの駅「てづくり花の駅」でもあります。中にはゆっくりとした休憩スペースがあり、その周りには市民の皆さんの芸術作品も展示されています。地域のアーティストが育ってほしいという山田さんの気持ちの表れです。そして山田さんと娘さんの川嶋まりさんのおふたりが、訪れたひとを明るくあたたかくもてなしてくれます。

この芦屋町でまちの駅がはじまったのは、昨年の11月のこと。以前から町の有志で勉強会を重ね、やっと8つのまちの駅が立ち上がりました。「てづくり花の駅」はその中のひとつ。そして山田さんはその勉強会の最初のころからのメンバー。「とにかくこのまちを元気にするために何かやっていきたい」という思いで、まちの駅をはじめたそうです。そんな山田さん。まちの駅については常に信念をもってやってらっしゃいます。

「まちの駅っていったって、ただ幟を立てて待っているだけでは、誰も寄ってこない。自分から動いていかないと」。

その言葉通りまちの人々が動くのを待っているよりもまずは自らということで、彼女がやる気のある人だけに呼びかけて、5年前から「手づくりフェアinあしや」を開催しています。これは町内外の市民の皆さんの手作りアート作品を展示販売するイベント。手づくり工芸の仲間でつくった芦屋町手工芸家協会の主催で、出品者から少しばかりの参加費をとって(障害者施設の場合は無料)、あとは手弁当で行っています。

山田さんに、どうしてそんなにまちのために一所懸命になれるのか聞いてみました。彼女はひとこと、「とにかくこのまちが好きなんです」。もともと育ちは長崎だそうですが、ご主人の転勤で芦屋に住むようになってから30年。海が広がっていて開放感のあるこのまちがとても好きなのだそうです。

 エネルギッシュで明るい駅長の山田さんと優しい笑顔のまりさんがもてなしてくれる「てづくり花の駅」。海がもたらす爽やかな空気と、穏やかな人々の心を感じることができるすてきな駅です。

最後にこのまちの駅の中においてある一枚のチラシの文面をご紹介します。これは川嶋まりさんが、お客さんからまちの駅について聞かれたときのためにと、自分で調べ、自分の言葉でまとめたものです。まりさんらしい優しい言葉でかつ的確に説明された「まちの駅の解説書」となっています。「まちの駅博士」は、海辺のこの町にもいらっしゃいました。

              「まちの駅」とは

「まちの駅」とは「道の駅」の民間版で、おもてなしの心で来訪者をお迎えし、地域の魅力、こだわり情報、道路情報などの提供を通じ来訪者に心から喜んでもらう人と人との出会いと交流の場です。
 ようこそ、この町へ。地域に誇りを持ち、故郷を心から愛する人達が駅長になっています。まちの駅は地域の顔。心温まる接客・接遇を通じ、来訪者が「ここに来てよかった」「また来よう」といった気分になる、それをめざすのがまちの駅です。
 大小のまちの駅がネットワークすることで、休憩、道案内など安心してドライブでき、地域とのふれあい交流も楽しめ、魅力あるまちの駅巡りの旅が誕生します。
 まちの駅には"こだわり"があります。その"こだわり"にふれることで、新たな感動が生まれます。まちの駅を訪ねていく旅は"感動の旅"とも呼べます。
 まちの駅が、複数誕生することで地元で輝く人が増え、地域をさらに良くしようとするまちづくりの気運も高まっていきます。その結果来訪者(交流人口)はさらに増え地域は活性化します。

『てづくり 花の駅』 ぎゃらりぃ花まり

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※写真は駅長の山田加津子さん(右)と川嶋まりさん(左)です。

2005年8月12日 (金)

時が止まったまち

以前旧東海道を歩いて旅をしていたときのこと。当時東京に単身赴任し研修をうけていましたので、旅ができるのは週末に限られていました。歩けるところまで行ってはそこから電車で東京に帰り、次の週末にその地点まで電車で行き、そこからまた歩き始めるという形で旅の舞台は次第に東京から離れていきました。賑やかな都会の雑踏から、山や川や田んぼが広がる風景へ。でも、歩いているうちにあることに気づきました。

まちにひとがいないのです。

旧東海道が通っているまちは、当然宿場などで古くから栄えてきたまち。いわゆる中心商店街です。確かに昔は交通の要衝として駅やバスセンターなどがあり華やかだったと思うのですが、今やほとんどの所が車社会と不況の影響をもろに受け人はまばら、しかも営業中の店よりもシャッターがしまった店の方が多い、いわゆるシャッター通り。特にわたしが歩いた週末は、ほとんどの買い物客が郊外型ショッピングセンターにとられてしまい、寂しいまちになってしまっていたのです。

そこで、今各地で中心市街地を再び元気にしようと、いろいろな取り組みが行われています。前置きが長くなりましたが、今日は再び、そのようななかで「よそものの目」が見つけた、あるまちの宝物のお話しをしようと思います。

東海道の旅よりさらに前のことになりますが、福岡県八女市に県の仕事として行ったことがあります。仕事の内容は、市の中心市街地の活性化をどう図るかを、地元商店街の方々、市と県の担当者、そして国土交通省から派遣されたアドバイザーと検討していこうというもの。この八女のまちも昔は城下町としてにぎわった伝統あるまちなのですが、やはり最近は郊外にできた大きなショッピングセンターに客を奪われ、福岡市一極集中のあおりも食って、次第に寂れていきました。しかし、地元はその衰退を何とか防ごうと必死になっていて、国の専門家のアドバイスを受けることとなったのです。

夜に予定されている地元商店街との検討会を前に、私たちはアドバイザーと一緒に街を昼間一日かけて歩きました。やがて日が西の空に傾いてきた頃、私たちはある古びた商店街に辿り着きました。それは、中心市街地の中では西のはずれに位置する本当に小さな商店街。名前は「土橋商店街」といいます。車道に面した入口から中に入るとL字型に曲がった十軒くらいの店が並んでいます。ただ開いている店はその半分もない、静まり返った商店街です。

一見、なんの変哲もない商店街ですが、私は頭上を見上げてしばし言葉をなくしました。アーケードがあるのです。それ自体は商店街なのだから当たり前なのですが、そのアーケードは何と木造なのです。そして三角屋根のトップの部分は塩化ビニルが使われていて、それが時の流れで赤茶けた色になっています。そして、そこから差し込む太陽光線がその赤茶けた塩ビの屋根を透過して、つぎはぎだらけの木の屋根を、とても暖かいオレンジ色に染め抜いていました。私たち以外に人がいないその静かな空間、そして頭上に広がる古びた木の暖かさ、そしてその暖かさを一層引き立てる舞台照明のような太陽光線。私がそのとき頭に浮かんだのが、「懐かしい」という言葉その一言だけでした。

私は子どものころを町工場があちこちにある下町で過ごしたのですが、その時分によく母や祖母に買い物に連れられていった市場がそのような木造のアーケードだったように思えます。頭の隅に残っていたその記憶が、この商店街に立って突然呼び戻されたのです。それで、懐かしさのあまりしばしそこに佇んでいました。私が子どもだった三十年ほど前はどこにでもあった木造のアーケードが、いつのまにかそっと消え失せて、そして時を越えて再び目の前に現れた。アドバイザーの方も同じ感想を持たれたようです。ただ、いつも日常的にその商店街を見慣れている市の担当者の方だけは、「こんなアーケードのどこがいいの」というようにきょとんとしていました。わたしたちが「よそもの」だったからこそ、感じることができたのかもしれません。

一体全国に木造のアーケードをもつ商店街は今いくつ残っているのでしょうか。この商店街は今まで何の脚光も浴びずにきていました。もちろん、近くにある白壁の街並みは最近観光コースにもなってきつつありますが、この商店街はさすがに地元の人以外訪れる客もありません。しかし、ひょっとするとこれはとても貴重な「隠れた文化財」なのかも知れません。私は、この商店街を離れて歩いて市役所に戻る道すがら、「時が止まったまち」というキーワードをこの商店街に名づけました。「時が止まった」という表現は、成長至上主義の時代ではあまり良い意味とはいえないものだったのかもしれませんが、食べ物もファーストフードからスローフードに戻る時代。今や「時が止まった」という言葉は良いイメージの言葉になってきたと思います。そこで、あえて「時が止まった」という表現を、この商店街に親しみを込めて使わせていただきました。この街の木造のアーケードは近代化の波に逆らって、あえてそのままで残ってきた、とても貴重な宝物です。

一見寂しいまちも、よそものの新しい目で見れば、新しい価値を見いだせるのかもしれません。

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2005年8月 3日 (水)

まちの名コンビ

北九州市八幡西区に黒崎というまちがあります。長崎街道の宿場町であったという古い歴史を持ち、近年では八幡製鉄所その他関連工場の「門前町」として、JR黒崎駅を中心に発展してきたまちです。駅の北はいくつもの工場で占められていて、駅の南が商業地区として街路が放射線状に広がっています。ここ黒崎は高度経済成長期には工場労働者の増加とともに急激に発展し、多くの来街者でにぎわってきたのですが、最近では他の中心商店街と同じように客足も少なくなり、大手百貨店の撤退などもあって、かなり寂しくなってしまいました。

でもまちの商店主さんたちは、がんばっています。黒崎のファンを増やして、少しでも多くの方に買い物にきてもらおうと。夏の風物詩である黒崎祇園山笠は由緒ある行事ですが、それにあわせてスタンプラリーをやったり、このごろでは長崎街道宿場まつりなども定期的に行っています。そんななか、昨年からまちの駅の取り組みもはじまりました。

今、黒崎のうち熊手商店街にふたつのまちの駅があります。呉服店がまちの駅になっている「ふくろうの駅」と、化粧品店の「お~洒落の駅」です。どちらもそれぞれユニークなまちづくリストが駅長さんとしてがんばっています。

まず「ふくろうの駅」の水口鉄昭さんは呉服屋さんの二代目。水口さんは地元の歴史に詳しく、また柔軟な発想でアイデアも豊富。今彼は、黒崎の「へえ~マップ」を企画中です。これは名前の通り、黒崎の人でもなかなか知らない「へえ~」と思うようなトリビアなネタを集めて、それを地図に落としていくというもの。例えば高倉健さんが高校時代に俳優になろうと決意を固めた映画館(ホントかな)の跡や、175R(イナゴライダー)がはじめてライブを行ったライブハウス(これはあり得る)など。ちなみに水口さん、お年は50代の後半なのですが、娘さんの影響もあって氣志團のファンとか。かと思えば、黒崎のまちの古い写真や昔の商売道具(そろばんや秤など)もたくさん保存されていて、近くの空き店舗をつかって、古き良き時代の黒崎を偲ぶ展覧会を開いたりしています。また、「ふくろうの駅」の由来は呉服の「ふく」とあわせて、現在「ふくろう」グッズの収集中であるためだそうです。水口さん曰わく、「ふくろう」は「不苦労」「福朗」など縁起の良い言葉を当てることができ、まちに元気を取り戻してくれそうな鳥だとのこと。とにかく好奇心いっぱい。あらゆる方面にアンテナを張り巡らせているおもしろいまちづくリストです。

そしてもうひとりは「お~洒落の駅」駅長の山中秀夫さん。水口さんとほぼ同い年ですが、ボディビルで鍛えた身体からは想像もできない、優しい顔をしてらっしゃいます。また、筆でさらさらと描く絵もとても味があって、プロ並み。多芸な方ですが、実は山中さんはこの商店街の会長さん。熱い情熱をもっていながらも実にバランス感覚にすぐれた方で、いろいろな商店主さんたちの考えをうまく調整してまとめている、まちのリーダーです。黒崎でまちの駅に取り組もうと最初に考えたのも彼。わたしとは黒崎地区で開かれたあるまちづくりワークショップで知り合ったのがきっかけなのですが、「いずれ黒崎でもまちの駅をやりたいから」と、後日じっくりわたしの説明を聞いてくださいました。そして、彼は熊手商店街、そして黒崎地区全体にもっとまちの駅を展開していこうとされています。

このように、この黒崎のまちにも、まちづくりに必要な三人のうち二人がいらっしゃいます。いわゆる「ばかもの」、リーダー格の山中さんと「わかもの」、アイデア出しの水口さん。このおふたりの見事なコンビネーションが、これからまちを引っぱっていくことでしょう。そしてこれにまちの駅で「よそもの」が集まり風を吹き込んでいけば、黒崎のまちももっと楽しいことになりそうです。

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※写真は上が「ふくろうの駅」と水口さん、下が「お~洒落の駅」と山中さんです。

2005年7月29日 (金)

みかんの里の古いお屋敷

福岡県の南部。熊本県と境を接するところに、立花町という町があります。なだらかな山が中央に、そのまわりの谷に小さな集落が点在している町です。集落のそばにはみかんやキウイの畑が広がっていて、のどかな山里の雰囲気を醸し出しています。

ここに一軒の古いお屋敷があります。「旧大内邸」と言います。明治から大正にかけて日中友好親善に尽くした政治家、大内暢三氏の生家で代々続く由緒あるお屋敷で、明治の建築様式を残す地域のかけがえのない宝物でした。しかし、やがてそのお屋敷は住む人もなくなり、いつの間にか廃墟となってきました。

荒れるがままの旧大内邸。それを地元の人は悲しみました。でも「何とかして保存したい。そのためには行動しなければ」と思った人がいました。普通の主婦であった田中眞木さんです。とにかく彼女は動きました。ご主人と一緒に役場に陳情し、跳ね返され、今度は署名活動をはじめました。町の人から「なんでそこまで」と白い目で見られたこともあったそうです。しかし「地域の宝を守りたい、そしてこの屋敷から里山に囲まれた地域のすばらしさを発信したい」。固い信念は、次第に地域の人々の協力を得始めました。ひとりひとりと仲間が増えていきました。

そして、その思いに突き動かされて、やっと町役場が動きました。町が全面的に改修工事を行い、町の文化財に指定したのです。2001年のことです。

でも田中眞木さんの夢はそれで終わりませんでした。文化財になって誰も使わなければ、家は死んでしまう。そう考えた彼女は地元の有志で旧大内邸保存会をつくり、町から管理委託を受けることとしました。さらにはその団体を維持していくため、週末だけはこのお屋敷で地元の食材をふんだんにつかった、地元のお母さんたちによる手づくり料理「母の膳」を昼食に出すことにしたのです。それはまさにスローフード。口コミで次第にお客さんが集まり、今では予約が必要なくらいに多くのお客さんが訪れるようになりました。里山に囲まれた静かなお屋敷で、移りゆく景色を見ながらゆったりと食べる里の味。贅沢なひとときです。

彼女は今、地域の宝であるこの旧大内邸をつかって、都市のひとたちに農村の良さを知ってもらいたいと考えてらっしゃいます。そのために、地域通貨を活用して、遊休農地での農作業体験事業を行ったりしました。まちの駅にもなり、他の地域のまちの駅ともつながろうとしています。そんな努力のかいもあって、次第にネットワークは広がって、全国に旧大内邸保存会の応援者ができつつあります。

田中眞木さんの夢はまだまだ続きます。

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2005年7月21日 (木)

ひとりではじめたまちの駅

まちづくりに必要な三人のうち、「よそもの」の大切さについてはムーミンの木でお話ししました。今日は「ばかもの」の事例をお話ししましょう。「ばかもの」といっても、まちづくりのリーダーとして、熱き心を持ってみんなをぐいぐい引っぱっていく、良い意味での「ばかもの」ですので、お間違えなく。

静岡県にすごい人がいらっしゃいます。合併で静岡市になってしまいましたが、清水の次郎長で有名な旧・清水市の江尻地区。その街の活性化を常に考えておられるのが、牧田政雄さん。74歳になられますが、目標人生101歳とおっしゃるくらいですので、とにかく元気な方です。

彼は昨年度静岡県が公募した「ふじのくにまちづくりコーディネーター養成講座」を受講され、今年の三月にはその講座を無事終了されて、今では「まちづくりコーディネーター」としてがんばっておられます。そんな彼が今取り組んでらっしゃるのが、「まちの駅」。実はわたし「ま・ね・ふく手嶋」は昨年秋にこの養成講座のゲストとして福岡県のまちの駅についてお話しさせていただいたのですが、牧田さんはそのときにまちの駅にとても興味を持たれ、それ以来まちの活性化のため「江尻・まちの駅」の実現に向けて一所懸命取り組んでこられました。

最初はまちの駅の提案書をつくって、市役所へ。でも反応はよくありませんでした。次に商工会議所へ。ここも今ひとつの反応。でも牧田さんはくじけませんでした。その次に向かった観光協会でやっと協力してくれる人に出会ったそうです。そしてそれからは観光協会の助けを得ながら、ただし基本的にはたったひとりでまちの駅になってくれそうなお店を回り、他の地域で展開中のまちの駅を訪ねてお話を聞き、そうして一歩一歩「江尻・まちの駅」構想は進んでいきました。

最近、牧田さんから「江尻・まちの駅」のホームページ(これもひとりでつくられたそうですが)を立ち上げましたとのメールをいただきました。見てみますと、たくさんのまちの駅が紹介されています。ひとつひとつが牧田さんが地道に回ってまちの駅を説明し、そしてまちの駅になってもらったところと考えますと、そこはとっても温かいまちの駅のように思えます。確かな思いをもって、それに向かって実現の路を歩んでいく姿。わたしも牧田さんを見習いたいものです。

2005年7月 8日 (金)

ムーミンの木・その後

「よそもの」の新しい目で発見された「ムーミンの木」。それはやがて地域の大切な宝物となりました。そして、地元ではこれを契機に新しいまちづくりができないかということを考え、実際に取り組みがはじまりました。

手はじめに6月3日のムーミンの日(日本語の語呂合わせですが)にあわせて、地元のひとやムーミン好きのひとが集まっての交流会を企画することとなりました。

そして当日午後6時3分(これも語呂合わせ)、ムーミンの木の回りにみんな集まって手をつなぎ、まちの皆さんがこれからいろいろな交流をしていくことを誓い合いました。

ムーミンの木があるここ五所八幡宮には、そのほかにもいろいろなおもしろい形をした木がいっぱい。地元ではこれからここを「妖精の杜」として楽しい企画を考えていき、地域の交流の拠点としていくそうです。

なお、今までお話しした「ムーミンの木」のことについては、J-COM福岡の番組「わいわい福岡」で取り上げていただくこととなりました。7月の中旬以降の2週間放送されます。お楽しみに。

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2005年6月29日 (水)

ムーミンの木

前回の写真。木の幹のこぶは何に見えますか?背を丸めて横向きになった「ムーミン」ですね。まちあるき会の一行が神社に入ってすぐ、「よそもの」である今泉氏がひとことこう言ったそうです。

「あれ、ムーミンばい!」。

びっくりしたのは、地元からの参加者。「ムーミンが宿る」このクスノキは、樹齢千年の古木ですから、このムーミンもずっと昔からそこに「居た」はずです。そしてこの境内は、地元の子どもたちの遊び場でもあり。みんな一度はこの木のこのこぶをみていたはずです。でも誰も「そこにムーミンがいる」とは気づかなかった。日常の生活の中で見慣れたものだったからでしょう。それをひとりの「よそもの」の新しい目で見ると、いとも簡単に「ムーミン」が見つかってしまったというおもしろい事例です。

まちづくりの出発点は、まずその地域の資源を再発見すること。そのときに、必要なのは新しい目、新しい考えをもった「よそもの」。その出発点に「よそもの」がいるのといないのとでは、その後のまちづくりの可能性に大きな開きがでてくるのです。

2005年6月26日 (日)

「よそもの」が見つけた地域の宝物

「よそもの」が新しい風を吹き込んだ例を見てみましょう。

福岡県古賀市。九州自動車道の古賀I.C.にほど近いところに、青柳地区というのどかな田園地帯に囲まれた集落があります。最近ここで地区の良さを見直してまちづくりにつなげていこうということで、地元のひとによるまちあるき会が行われました。ただそこに、今泉重敏氏という近隣の町に住む方が参加していました。氏は福岡県内を中心にまちづくりアドバイザーとして活動されている方で、この青柳地区のまちづくりにも以前から関わっていたのです。

さて、まち歩きがはじまってしばらくして、一行が五所八幡宮という地区に古くから伝わる神社にたどり着きました。地元のひとにとっては、子供の頃から遊んでいたおなじみの場所。樹齢千年くらいの巨木はたくさんありますが、それ以外はこれといって何もない神社。でも、「よそもの」である今泉氏の目は、ある巨木の幹にあるものを見つけたのです。

それがこの写真。

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なんに見えますか? (つづく)

2005年6月23日 (木)

「よそもの」の役割

まちづくりには三人のひとが必要と言われます。いわゆる「ばかもの、わかもの、よそもの」の三人です。ここでの「ばかもの」は、とにかくまちづくりに一所懸命で、みんなを引っぱっていくリーダー。また、「わかもの」はそんなリーダーのもとでまちづくりの現場で元気よく動き回るスタッフ。そして「よそもの」とは、そのまちの住人ではないのですが、住人とは違った視点でそのまちを見てくれて、新しいまちづくりのアイデアやヒントをもたらしてくれるひと。

「ばかもの」と「わかもの」だけでもまちづくりは動きそうですが、まちの中だけでやっていると、いつの間にか活動がマンネリになってしまうということがよくあります。そんなときに新しい空気を入れるのが、「よそもの」の役割です。前二者は「土」、そして後者は「風」となって、そのまちの「風土」をつくるのに欠かせないと言われることもあります。

ちなみに、NPO法人地域交流センターが定めた「まちの駅」のシンボルマーク※の図案(下図)も人という字が三つがもとになっています(その中にinformationの"i")。もちろん、この三人は、「ばかもの」「わかもの」「よそもの」です。

わたしたち「まちの駅ネットワークふくおか」も、そんな「よそもの」としていろいろなまちに新しい風を吹き込んでいきたいと思っています。

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※まちの駅のシンボルマークについて、詳しくは「まちの駅どっと混む」をご覧ください。