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まちの駅

2010年1月30日 (土)

地域づくり講演会「住民ひとり一人が輝く地域づくり」が開催されます(おしらせ)

経済のグローバル化、東京への一極集中が進み地域経済が疲弊する中、地方が生き残っていくために、大都市への人口と富の集中を是正し、住民ひとり一人が輝き、自然環境と人間社会が持続的に発展できるような新しい地域づくりが求められています。

そんな新しい地域づくりをどのように行っていけばよいか、またわたしたちひとり一人に何ができるのか、一緒に考えてみませんか?

昨年11月21日に鹿児島県出水市で行われた第2回M-9まちの駅九州会議で基調講演をいただいた京都大学大学院経済学研究科の岡田知弘教授が、そのヒントをわたしたちに与えてくださいます。

【岡田教授プロフィール】
1954年富山県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程で学び、岐阜経済大学 講師、助教授を経て、現在、京都大学大学院経済学研究科教授。自治体問題研究所理事長。 著書に「地域づくりの経済学入門 地域内再投資力論」「道州制で日本の未来はひらけるか」  ほか多数。

入場無料です。また事前申込みの必要もありません。お気軽にお越しください。

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地域づくり講演会

住民ひとり一人が輝く地域づくり

日時 2010年3月13日(土) 19:00~

会場 朝倉商工会議所 4階 大会議室
    (福岡県朝倉市甘木955-11)

主催 甘木本通り商店街振興組合
共催 福岡県中小企業団体中央会・福岡県商店街振興組合連合会
後援 朝倉市・朝倉商工会議所・朝倉市観光協会

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問合せ先: 朝倉市観光協会  電話 0946-24-6758

2009年11月23日 (月)

第2回M-9まちの駅九州会議-鹿児島県出水市-

2009年11月21日(土)

晩秋のどんよりとした曇り空が広がっていましたが、そこはさすがに鹿児島。風もなく、少し汗ばむほどの暖かさでした。

鹿児島県出水市の中心部から西へ5キロほど行ったところにある高尾野農村環境改善センター。エントランスホールでは、地元のまちの駅の皆さんが出迎え、みかんや柿など地域の特産品も販売されています。

この日ここで、第2回M-9まちの駅九州会議が行われました。1年前の福岡県朝倉市で行われた第1回会議では、とにかく九州のまちの駅関係者が集まって話し合うことが目的でテーマはあえて設定しませんでしたが、今回は「地域に貢献するまちの駅とは」とテーマを定めてひとつの総括まで持っていき、次につながることをめざしました。

1. 開会

会議は13時30分からはじまりました。参加者は約100名でした。地元出水まちの駅「山ん神の駅」駅長の高崎正風さんによる開会宣言のあと、開催地市長、地元代議士の祝辞が続き、歓迎アトラクションとして地元の皆さんによる踊りなど、賑やかな開会式でした。
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2. 基調講演

そして京都大学大学院経済学研究科の岡田知弘教授による、「一人ひとりが輝く地域づくり」~まちの駅の可能性~と題した基調講演が行われました。岡田教授は地域経済学が専門ですが、農山村や中心市街地など地域経済の疲弊が著しい各地に足を運ばれ、現場の実態を踏まえた研究を続けておられます。

今回の講演でもまずは国勢調査など誰でも入手できるデータをつかい、わが国において構造改革以後グローバル化の波が押し寄せたことにより、どれほど人口や富が東京に集中して逆に地方の経済が疲弊しているかをわかりやすく説明してくださいました。また1980年代全国各地で「活性化」をめざした地域づくりが発展していったのはそれへの危機感を地方の人たちは肌身に感じていたからですが、ここで「活性化」とは決してそれは豪華なリゾート施設をつくることではなく、「地域に暮らす住民の暮らしが良くなること」であることを強調。そしてグローバル化に左右されない個性あふれる地域産業と地域社会をつくること、そのためには「地域内再投資力」を高めることであると提言されました。

「地域内再投資力」とは、生産から消費にいたる様々な産業連関が地域内で完結する力、平たく言うと人、モノ、カネ、情報など、地域の資源を地域内で循環させて、外から入るお金もできるだけ外に逃がさない力・しくみです。地産地消などもそれに向けた具体的な方法といえます。

そのためには地域内のいろいろな経済主体が結びつけられなくてはなりませんが、まさに多様な主体がネットワークをつくっている「まちの駅」はその大きな可能性を持っている、とおっしゃいました。さらに「まちの駅」の力は、地に足がついた活動である、自ら楽しみながらやる活動であるということにあり、活性化の主体として期待しているとも語っていただきました。

このことを会議のテーマに即して考えると、「地域に貢献するまちの駅」は、まちの駅がいろいろな主体と「ネットワーク」を組むことでそれが実現していくのではないか。わたしなりにそのようにまとめることができました。

3.  分科会

続いて、4つの分科会に分かれて参加者(全体で約80名)による議論が約100分間行われました。

第1分科会ではわたくし、まちの駅ネットワークふくおかの手嶋がコーディネーターとなり、まちの駅をご存じでない方を対象にした「初めての方のためのまちの駅講座」を行いました。講義形式でしたが、最初に「駅長さんたちはどうしてまちのために活動するのに自らお金を負担してまでまちの駅をやっているのか?」という設問を提示し、それはなぜかをいろいろな事例から皆さんで考えてもらいながら進めていきました。

なお以下の3分科会の内容は、分科会後にふたたび大ホールに全員集まって行われた全体会における分科会報告で、各コーディネーターから報告された内容をもとにしています。

第2分科会は、福岡県甘木・朝倉まちの駅の事務局長上野春樹さんによる「駅を続けていくために」です。それぞれのまちの駅の活動を持続的な取り組みをしていくためはどうしたらよいか、それは地域内でのまちの駅同士、さらに地域ブロック同士の交流を活発にしていくことだというまとめとなりました。ただし表面的につきあうだけではだめで、お互い心から交流を深めていくことが大切で、そのためには時間がかかるだろうという意見もありました。

第3分科会は、まちづくり計画研究所の今泉重敏さんによる「観光や農村型まちの駅を考える」です。これからの観光は、ただ風光明媚な場所を訪ねるというものだけでは観光客は満足せず、心と心の交流を求めていくようになる。そのためにもまちの駅は、来訪者を温かくおもてなしすることで、その受け皿のひとつになっていかなければならないと結びました。

第4分科会は、NPO地域交流センターの山口覚さんによる「たまり場機能をつくるために」です。主に商店街でたまり場機能をつくりそれを商店街への集客にどう活かしていいったらよいか、しかし実際の議論は商店街がたまり場機能をつくるというよりも、たまり場機能を生み出すために商店街が果たせる役割を考えていこうという形で行われました。結論としては商店主のボランティア精神だけに頼るだけでなく、「心にお金を払ってもらう」ような様々な仕掛けで、商店街ならではの役割を果たし、地域のひとびとのたまり場に無理なくしていこうということとなりました。

4. 全体会

全体会ではまず分科会報告が行われ、それをもとにわたしが以下のとおり総括を行いました。

岡田教授の基調講演において、住民ひとりひとりが豊かになる真の地域活性化には、地域内再投資力を高めることが必要である、そのためには多様な主体がネットワークを組んで地域でお金を回していくシステムが欠かせない、まちの駅の可能性はそのネットワーク性にあるという提言をいただきました。

そしてそれを受けての分科会でも、多様な主体が参加しているまちの駅同士の交流、さらにまちの駅とその他の主体との交流・ネットワークが必要という意見が多くありました。ただしネットワークを持続的なものにしていくためには、お互い利益を生むようなしくみがあることはもちろんですが、それに加えてお互いの信頼関係、いわば心のつながりも欠かせません。まちの駅のネットワークにはその「つなぎ目」となれる可能性をもっています。

まちの駅は、そんな心のネットワークの「つなぎ目」となることで、地域に貢献できるのではないでしょうか。

ただし、まちの駅は具体的にどのように「つなぎ目」となっていったらいよいのでしょう。次回の第3回M-9まちの駅九州会議は、来年秋に宮崎県高鍋町で行われますが、その時にこのことについて考えてみたいと思います。

5. 交流会

会議が終わるとすぐに、エントランスホールで交流会が始まりました。会場の外はもう真っ暗で冷え込んでもきましたが、会場での地元の女性グループによる手作り料理でのおもてなしはとても温かく、またあちこちで熱い、でも笑顔あふれる議論が続きたいへん盛り上がりました。まちの駅の駅長さんたちもそうでない人もすぐに友達になり、交流の輪がつくられていきました。ネットワークの「つなぎ目」をつくっていくことは、まちの駅にとってはそんなに難しいことではないなと、あらためて感じました。

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↑交流会ではあちこちで交流の輪が広がりました。

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↑温かい手作り料理をつくってくださった「NPOさわやか出水女性の集い」の皆さん

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↑全体会で司会をしてくださった永島由美子さん(出水市・やきものの駅)。

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↑開会から閉会までずっと会場でお世話くださった、地元の皆さん

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↑終わりまでずっと賑やかでした。

2009年11月 3日 (火)

毎日、さりげなく。

まちの駅・駅長さんインタビュー(1)/「古都の駅」北川智香子さん(北九州市八幡西区黒崎・北川呉服店)

長崎街道の宿場町として発展した黒崎・藤田商店街。そこでまちの駅の取り組みがはじまったのは2005年から。今回訪れた「古都の駅」は、そのときからまちの駅を続けている呉服屋さんです。

藤田商店街は毎年初夏のあじさい祭りで知られていますが、古都の駅・駅長の北川智香子さんは、商店街おかみさん会の発起人として、今から15年ほど前からこの祭りをはじめ、その他折々のイベントを企画してこられました。だんだんと寂しくなる商店街を、なんとか自分たちの力で盛り上げたいという思いからだったそうです。

もちろん年に数回のイベントで商店街が活性化するなんてことは、北川さんもはなから期待してらっしゃなかったとのこと。でもこんなふうにおっしゃいました。

「イベントをやることによって商店主さんたちの結束が高まり、近所のお客さんにもこの商店街の存在を感じ続けてもらえる。それだけで良いんです。お客さんに『また来てやるけんね』と言われることが、いちばん嬉しいですね」。

それでも、お店の前が昔のように賑わう通りになることが北川さんの夢です。4年前に黒崎で有志があつまってまちの駅をやろうとなった時まっさきに手をあげたのは、そんな夢をかなえたいと思ってのこと。

イベントと違って、お店を開けているときは毎日が、まちの駅。地道なおもてなしで、少しずつでもこのまちを気に入ってもらうひとが増えていけば良いと思って、まちの駅に取り組んでらっしゃいます。

R0010076 「マスコミや口コミで話題になってわっとお客さんが集まってくるというよりも、たまたま通りがかったひとが、ちょっと入ってみようかと思って入ってみると居心地が良い。それでお客さんが繰り返し来てくださるようになる。そんなさりげない自然体のお店=まちの駅であったらと思います」。

そしてまちの駅になってよかったなと思うことは、それまでは同じ商店街とか、自分の身近なひとたちとしか交流がなかったのが、ほかのまちの、元気で前向きにまちの駅に取り組んでおられる方々と出会え、たくさんの元気をもらうことができたこと。

「商売も、まちの駅も、自分が楽しみながらするのが一番ですね」。

楽しそうにお話ししてくださいました。

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(有)北川呉服店
〒806-0022
福岡県北九州市八幡西区藤田4-2-15
 電話 093-621-3243

2009年9月15日 (火)

福岡「県北部地区」まちの駅第2回交流会in筑前若松

2009年9月13日(日)。北九州市若松区にて2回目の福岡「県北部地区」まちの駅交流会が行われました。会場は、旧古河鉱業ビル。石炭の積み出し港として華やかだった大正時代に建築された、当時としては「モダンな」ビルです。今では市民のコミュニティ施設として利用されています。もちろん、「まちの駅」でもあります。

参加者は20名。前回と同じ、芦屋、飯塚、宮若、黒崎、粕屋、そして若松の各まちの駅からの駅長さんたちです。

はじめに、わたくし「まちの駅ネットワークふくおか」が、まちの駅ネットワークのあり方を考えるというテーマで講演をさせていただきました。これまではまちづくり組織というと、規約をつくってリーダーを決めて、リーダーの指示のもとで活動するという、ある意味会社組織のような姿が多かったのですが、最近では社会のあり方も変わり、個々のメンバーが独自で活動をして、ときどき皆で集まるというスタイルが多くなってきました。このことを「ヒトデはクモよりなぜ強い」という本を題材に、説明しました。ヒトデは体の一部を切っても、そこが独立して動くようになります。そんなヒトデ型組織は、しなやかだけど強いということで、この交流会のように、日頃各地区のまちの駅がそれぞれバラバラに動いても、ときどきは集まって悩みを相談し合うようなネットワークがまさにその形だと言えます。このようなヒトデ型ネットワークでやっていくのが長続きする秘訣だと結びました。

P1010542_3 その後、各地区からの活動報告がありました。あるまちの駅からは、かなり大きな情報ラックを店頭に置いているので、ぜひ他地区のまちの駅のパンフレットも入れに来てほしいという呼びかけがありました。またある地区では駅長会議を月1回行っているそうですが、出席率が芳しくなく困っているという悩みがあるそうです。それに対して別の地区からは、「みんな忙しいので、会議は絶対に1時間で終わる」というルールを作って徹底したら、ほとんど全員が参加するようになったというアドバイスがありました。

おわりに今回の主催である筑前若松のまちの駅から、この交流会を次は芦屋でとの呼びかけと、ただしあまり焦らず「1年以内に」というゆるやかなルールの提案がなされ、全会一致で承認されました。会は2時間半にわたりましたが、終始和やかな雰囲気でした。

2009年6月29日 (月)

福岡県まちの駅「県北部地区」ミーティングin黒崎宿(後編)

(前編からのつづき)

飯塚も今年の4月からはじめていますが、ここは一つの商店街すべての店がまちの駅になっています。ただそれだけに、まちの駅のことがよくわかっていない店も多く、まちの駅として何をしたらよいのかわからない状態だということでした。ただ、ここ数年飯塚は水害や火災などが相次いだので、防災について何かできないかという考えもあるそうです。いずれにしても、こういった会合に出席して、他地区のまちの駅からヒントをたくさんもらいたいと考えて参加したという報告がありました。

宮若では、17のまちの駅が月1回の駅長会議を中心にしてさまざまな活動を続けています。毎月のイベントカレンダーをつくったり、スタンプラリーをしたり、そして昨年からは携帯電話を使った情報サービス「まるごとナビ」を運用したりと、新しい取り組みにも積極的です。

最後に開催地黒崎からの報告がありました。まちの駅をはじめて4年目になりますが、それまであまりPRするものがなかった黒崎が、手作りのイベントを中心に情報発信ができるようになったことが、大きな成果だと言うことでした。しかしながら、それでもまだ一般の方のまちの駅に対する認知は低く、それだけにまちの駅も今の6駅に固定化してしまい、なかなか広がらない、ただ数を求めるわけではないのでそれでも良いのでは等々、いろいろと悩みながらも続いているとのことです。その問題提起は、次のフリー討議の始まりへとつながっていきました。

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活動報告が終わり、少しばかりの休憩を取った後、残った時間で自由に意見を出し合うこととしました。休憩前の黒崎からの悩みが議題となりました。

「まちの駅を広げていく(ことに力を注ぐ)べきかどうか」。ある方は「まちの駅の質を高めていくには人々に知ってもらうことが必要。そのためには数を増やさないと」、またある方は「無理せず、やれる範囲で良いのでは」等いろいろな意見が出されました。

もちろんこれは大きな論点であり、この場で結論が出るものではないですが、次第に議論は「福岡県の北部でもこうしてまちの駅の数が揃ってきたのだから、まずは今やっている人たちでも連携する必要ではないか」ということで流れていきました。

これは皆さんが共通に感じていたことらしく、「近くの地域であってもそれぞれのまちの駅を取り巻く環境、そして目的も微妙に違っている。でもまちの駅をやってまちを元気にしようという最低限の共通点はある。だから、お互いが定期的に顔をあわせて、協力し合えることはするようなゆるやかな関係をつくる、そんな”場”をつくっていこう」ということで、最後はまとまりました。

このように自然な形で、この会合は次回も場所を変えて行われることとなりました。終わりに、次回の開催地をどこにするかが話し合われましたが、若松まちの駅の方が手をあげてくださって、すんなりと若松に決まりました。時期はまだ未定ですが、そう遠くないうちにと言うことで準備が進められることとなりました。

福岡県北部のまちの駅がゆるやかにつながり合う。そんな出発点に立ったのが今回の会合の成果と言えるでしょう。次回も楽しみです。

2009年6月28日 (日)

福岡県まちの駅「県北部地区」ミーティングin黒崎宿(前編)

2009627()の午後から、福岡県まちの駅「県北部地区」ミーティングin黒崎宿が北九州市八幡西区黒崎の黒崎市民センターを会場に行われました。

会合は午後1時からだったのですが、主催者である「黒崎まちの駅」駅長さん方が会場前の商店街で小さな物産展を朝11時前から開き、そこで参加者や地元の皆さんがお弁当を買ったり、買い物をされたりと楽しい時間を過ごしておられました(参加費1,000円のうち、500円分はその物産展にで使える商品券となっていました)。会に参加する芦屋や宮若のまちの駅の方々も物産展で売る側として参加し、わら細工や今大人気の「追い出し猫」グッズ(携帯ストラップ)等が並べられていました。Ca3901461_2

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福岡県の北部地区ではまちの駅が増えてきてはいるのですが、まだほとんどのところが立ち上げたばかりで試行錯誤で行われているのが実情です。そこで一度会合をもって、お互いの情報交換を密にして活動の参考にし合うきっかけをつくろうではないかと、黒崎まちの駅の皆さんと、まちの駅ネットワークふくおかが企画したのが、今回のミーティングです。

参加者は26名。北九州市若松・黒崎、飯塚市、宮若市、芦屋町の県北部の各まちの駅から17名、また朝倉市や粕屋町のまちの駅、北九州市や福岡市でNPO活動をされている方、そして北九州市役所の方々も参加してくださいました。

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午後1時に参加者が全員そろい、ミーティングがはじまりました。まず今回会合の趣旨説明を黒崎まちの駅の山中さんからいただき、その後の討議はまちの駅ネットワークふくおかがコーディネーターとして進めました。

まず第1部として各まちの駅の活動紹介を、15分以内でしていただきました。

若松は、この4月にまちの駅正式登録をした新しい取り組みですが、まずまちの駅マップをつくり、訪れた方にわかりやすい説明とおもてなしをしようと心がけてらっしゃるそうです。また以前からジャズでまちおこしをされている方から、まちの駅になったのをきっかけに音楽で何か協力をしあえないかという提案がありました。

芦屋は、まちの駅をはじめて4年目になります。歴史と伝統のある町ならではのおもてなしができるように、歴史について勉強をしたり、海のある自然を大切にするために浜辺のゴミ拾いをしたりと、小さなところから活動を続けていこうという取り組みがなされています。またレゲエのお店もつい先日まちの駅になったそうですが、そこの駅長さんから、情熱をもって事にあたれば、たとえお金はなくてもまちは変わっていく力になるという力強いメッセージをいただきました。

(つづく)

2009年4月 4日 (土)

"駅"に"バス停"?

北九州市黒崎の藤田商店街は、最近暗いアーケードが取り払われ、通りが明るくなりました。ただこのごろはお店の数も少なくなっていたことから、アーケードがないともはや商店街という雰囲気ではなく、単にフツーの通りという感じになってしまいました。

が、今朝ここで面白いものを見つけました。

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"バス停"です。といってもこの商店街にバスが通り始めたわけではありません。

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こ こで以前からまちの駅をされておられる「メガネの大学堂」が、「めがねの駅」改め「めがねバカ駅」と名前を変えた記念に、店の前に"バス停"をつくって しまったのです。

このまちの駅はトイレをいつもきれいにして、道行く人に気軽に貸していることで知られていますが、駅長さんはトイレが使えることをもっと 知ってもらうことはできないかを考えているうちに、「ならばいっそ"バス停"をつくったら(もちろん歩く人が)停まってくれるのではないか」と思ったそう です。それでこんな立派な"バス停"ができてしまいました。それにしても、まちの「駅」に「バス停」なんて、なかなかひねりがきいています。

「お金かかったでしょう」。と尋ねると、駅長さん。

「自分が楽しいからやっているだけです」。

黒崎にまたひとつ名所ができました。

2009年3月29日 (日)

11月のおもてなしに向けて -鹿児島県出水市-

2009328()。鹿児島県出水(いずみ)市にて開かれた、今年の1121()22()の二日間に行われる第2回M-9まちの駅九州会議の打合せに行ってきました。

今回の運営は鹿児島県まちの駅連絡協議会と同協議会北薩ブロックのまちの駅の方々が中心になって行われますが、まちの駅ネットワークふくおかも企画面でお手伝いすることとなりました。

打合せには土曜日の夕方遅くにも関わらず、12名の運営スタッフが集まり、熱心な議論が3時間近く交わされました。そこで決まったことは主に次のことです。

  • 今回のテーマは「地域に貢献するまちの駅とは」とし、まちの駅が地域に貢献するとはどういうことなのか、どのような形で地域に貢献していったら良いかなどを、いろいろな活動事例を通して考えながら、これからのまちの駅のあるべき姿を会議の成果として打ち出すこととする。
  • 会議初日の大きな流れは、基調講演→分科会(初心者向けまちの駅講座のほか、関心のある課題別に分かれ、それぞれでまちの駅の地域貢献について考える)→全体会(分科会発表、総括)とする。
  • 全体会終了後に、会場ホール横のロビーにて地元手作り料理のおもてなしにより、参加者全員で交流会を行う。
  • 翌日は午前中いっぱいを使い、出水市(ツルの渡来地見学ほか)、伊佐市のまちの駅を中心に視察を行う。
  • 5月を目処にチラシをつくって各方面に案内をかけ、なるべく早い時期から申込みを受け付ける。

開催まではまだ時間がありますが、どうやっておもてなしをしようかという具体的なことも話し合われ、とにかく地元スタッフの皆さんの熱心さと、11月の九州会議にむけての期待をひしひしと感じる打合せでした。

これからの準備も楽しみな、まちの駅九州会議です。

2008年12月 1日 (月)

学会報告 -日本地域経済学会第20回岡山大会・2日目

2008年11月30日(土)。日本地域経済学会岡山大会の2日目は、午前中にわたしが3番目に研究報告をする自由論題報告があったため、朝早くから会場入りしました。会場である岡山商科大学は岡山駅からバスで20分くらいの比較的市の中心部に近い位置にありますが、すぐそばに小さな山があって、晴れた朝のすがすがしい青空に、山をおおう色づいた木々がとてもきれいでした。

さて朝の9時からはじまった自由論題報告も順調に進み、10時を回ったところでわたしの番となりました。報告内容は「商店主等の意識変化による中心商店街再生方策について ―「まちの駅」を例として―」。昨年度末に大学院にリサーチペーパーとして提出した論文です。

これは「まちの駅・駅長さんアンケート」の分析を基にした長いものですが、報告時間は20分。学会報告の時間はどこもこのくらいですが、聴いている先生方はほとんどまちの駅をご存じでないので、分析についてのまえにまず「まちの駅とは何か」を説明しなくてはいけないところが実に大変でした。当然説明もずいぶんはしょらなくてはならず、誤解が生じることも覚悟のうえ。

案の定、質疑応答ではまちの駅と道の駅を勘違いされている方もおられたりと、あらためてまちの駅の説明の難しさを実感しました。ただその他の質問では、「まちの駅に対する行政の関わり方はどのように分類されるのか」や「街を歩くひとの休憩場所として十分配慮しているまちの駅が多いところは、取組の結果通行量は増えるのか」といった、新たな視点でまちの駅をとらえる機会をいただくことができました。

またお昼休みに学食で食事をしているときも、「まちの駅のことをはじめて知りました。面白い試みですね」と多くの先生方から話しかけていただき、今回学会報告に臨んで良かったと感じました。

午後からは共通論題シンポジウム「地域経済の構造変化と国土形成計画・道州制」を聴講しました。各方面の先生方からの興味深い報告があり、議論も盛り上がりました。道州制は最近急速に動きはじめた感がありますが、道州制を導入してどのようなメリット・デメリットがあるのかと言うことについてはあまり議論になっていません。シンポジウムでもそこが大きくとらえられていました。どうも閉塞感に覆われている昨今の政治・経済界にとって、小手先の改革では今ひとつインパクトに欠けるところがあって、いっそ抜本的な改革を打ち出して、それに夢を託そうといった、あまり理論的ではない「情緒的」な理由が先に立っているのではという意見が出されました。確かに政治・経済界では道州制への推進が強く言われていますが、一般国民の側から見るとあまり関心はないようです。国民不在のまま「上からの議論」で進められている危険性が、パネラーの先生方からも強く指摘されていました。

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もちろんこのテーマ「道州制」は非常にわたしの関心を呼び起こすものでしたが、今回もっとも印象に残った発言は、少しこのテーマからはずれたところで出されたものでした。それは地方自治総合研究所の辻山幸宣先生の、次のような発言です。

「東京に住んでて不思議に思うのは、電気にしろ、野菜にしろ、東京からずいぶん離れたところでつくられ、送電費や輸送費など多くのコストをかけて東京にやってきているはずなのに、それらの価格は(生産地である)新潟や信州などの地方都市と変わらないということ。東京の物価は意外と安い。それが東京に人を集める原因のひとつなのではないか。もし道州制になって、州を越えるときに"関税"がかかるとなると、東京ではほとんどのモノの価格が上がり、東京一極集中が緩和されるのではと思う」。

なるほどなと思いました。

2008年11月30日 (日)

つなぎ役の必要性 -日本地域経済学会第20回岡山大会・1日目

2008年11月29日(土)。岡山市の岡山商科大学で行われた日本地域経済学会に参加しました。

この日のプログラムは地域公開シンポジウムとあって会員以外の方々も聴講されていて、150名近くの出席がありました。

テーマは「中国山地再生への課題-過疎からの脱却を目指して-」で、理論だけでなく現場で何が起こっているかを大切にする日本地域経済学会らしく、パネラーとして報告されたのは研究者だけでなく、行政、NPO理事長、自治体シンクタンクの研究員と現場に密着した方々で、非常に地に足が付いた議論が展開されたのが、とても印象的でした。

パネラーの報告によると、中国地方の中山間地は中部地方や東北地方のそれのように、都市や他の集落と隔絶されたどんづまりの集落は少なく、他の地域との交流も比較的容易だということが特徴ということです。しかしそれだけに若者の都市への流出も多く、集落は高齢者ばかりとなり、また荒れた山林のほとんどは全国に散らばる所有権だけの地主のものだそうです。

ただし今、中国山地ではその特性を逆手にとる方策がいくつか試みられています。そのひとつが島根県による「新たな結節機能」を創出する社会実験です。

これは集落の中で交通の便が良い場所に、集落と都市とを結ぶ新たな結節機能「郷の駅」をつくり、そこにNPOとの協働で集落と都市を結ぶマネージャーを置いて、様々な事業を展開しながら新たな人と人とのつながりをつくっていこうというものです。

過疎化は止めようもない中で中山間地の集落がこれからすべきことは、そういった集落間・集落都市間のネットワークを創り出す「つなぎ役」をいかに確保していくかということなのだと思いました。

シンポジウムでも、その誰がその「つなぎ役」になるべきかが議論されましたが、鍵は若者ではないかということでした。中山間地では外から見るとなんでもないことのように思いますが、集落間には昔からいろいろな確執があって、協同して何かやろうとしてもうまくいかないことがよくあります。

しかし、若者にはそれが希薄です。そこで集落に残った数少ない若者、都市からIターンでやってきた若者を、ワークショップなどを通じて「つなぎ役」として育成していく必要があるのではないかという意見がありました。現代の若者は意外と都市生活至上主義でなく、中山間地で人間らしい生き方をしたいと考えているひとが多いとのことです。

ただ理念には共感しても、結局そこで食べていくしくみがないと、若者は外に出て行きます。そのためには小さくても、モノを売り買いして自活していけるような経済システムも必要なのだろうという意見で締めくくられました。

3時間の長丁場でしたが、論点がはっきりしていて得るものが多いシンポジウムでした。

学会二日目の今日は、自由論題報告のひとつとして、「まちの駅・駅長さんアンケート」のデータをもとに分析した研究結果をわたしが報告します。

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2008年11月11日 (火)

まちの駅全国フォーラムin富士・第4分科会に参加して

2008年11月8日(土)。静岡県富士市で行われた「まちの駅全国フォーラムin富士」に参加しました。わたしが参加したのは、2日間のうち1日目のフォーラム・交流会でしたが、日頃からあたたかいおもてなしをなさっている富士市まちの駅の皆さん方ならではの趣向を凝らした企画に感激をしつつ、午後から夜遅くまで楽しく有意義な時を過ごすことができました。

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ただ、そのように楽しかった全体会や交流会については参加された他の方々のブログで紹介されるでしょうから、このブログでは分科会のうち、わたしが参加した第4分科会について、わたし自らが感じたことも交えながら分析をしていきたいと思います。

1. 分科会のテーマ

第4分科会のテーマは「ほんもの」でした。

ただこれだけだとよくわからないでしょうから補足したいと思います。

まちの駅は年々増えてきて現在全国で1400ヶ所を超えています。そのこと自体は喜ばしいことなのですが、多くなってきたことによる悩みもあります。せっかく築かれつつあるまちの駅という「ブランド」を壊すような、困ったまちの駅も中には出現してきているのです。

①看板をかけているだけのやる気のないまちの駅
②まちの駅の要件を満たさないのにまちの駅になり、来訪者に「これってほんとにまちの駅?」と疑問に思われるような施設
③「まがいもの」。まちの駅連絡協議会に加入せずに、勝手に「まちの駅」を名乗っている施設。

このことは、先日のM-9まちの駅九州会議において「九州まちの駅のこれから」としてわたしから報告したことですし、実は2年前の2006年9月30日に福島県会津若松市で行われた「まちの駅全国フォーラムin会津若松」の同じく第4分科会でも、「まちの駅の危機」として問題提起させていただいたことです。

今回のテーマは、この会津大会での一定の結論である「まがいものの出現など、まちの駅の危機に対抗していくためには、まちの駅に関わるひとりひとりが常に原点に立ち戻って、"ほんもの"のまちの駅を地道につくっていきましょう。それがまちの駅のブランドを守ることなのです」を踏まえてのことだと理解しました。

それでは、「ほんもの」のまちの駅をつくっていくにはいったいどうしたらよいのでしょうか。

会津大会の続きとしては、当然このことが具体的に話し合われると考えるのが普通です。もちろんわたしはそれを期待して今回も第4分科会に参加しました。ただし後でも述べますが、今回テーマとしては、「ほんもの」というひとつの単語が示されているだけでした。

参加されている大方の人たちは2年前の会津大会に参加しておられないため、「ほんもの」というひと言だけで上に述べたような趣旨であることが伝わるはずもなく、何をどのように議論していったらよいのか、事例発表者も含め皆さん困惑しているように思えました。そのために具体的な議論展開にならず、さらに分科会の時間配分や運営手法のまずさ(コーディネーターの技量とは関係ありません。)もあって、何とももどかしい気持ちが最後まで続いた分科会でした。以下に、どのように分科会が流れていったかをお話しします。

2. 分科会の流れ

今回はわたしは一般の参加者でしたので、どのような流れになるのか会場に行くまではわかりませんでしたが、資料を見ると5名の事例発表に先だって、「M-9まちの駅九州会議の報告」とあったことにいきなり戸惑いました。

実際はM-9実行委員長で朝倉広域観光協会の上野春樹さんが事前に事務局と打ち合わせておられてようで発表されたのですが、そもそも分科会の冒頭でこの報告を入れたのは、上述のとおりM-9で今回と同様の問題提起をして、一定の解決策を提案したから、つまり議論の参考になると事務局が考えたからではないかと感じたので、わたしも上野さんの補足でこの趣旨をお話しすることにしました。しかしながら、急なことなのでうまく説明することができず、後で強く反省すると同時に、「どうしてこのことを事務局は事前に伝えてくれなかったのだろう」と残念な気持ちにもなりました。

そしてM-9の報告も終わり、次に5名の事例報告がはじまりました。

まずは福島県会津まちの駅の稲生孝之さんです。会津では多くの方にまちの駅に親しんでもらうために、まちの駅のコンセプトであるあたたかさを体現するようなイメージキャラクター「べこのん」をシンボルに、活発な活動がなされています。このことでまちの駅の認知度を上げ、さらにまちの駅間のレベルを平準化し、常に原点に帰って取り組むことが「ほんもの」のまちの駅づくりにつながるのではと稲生さんはおっしゃいました。

次に富山市まちの駅の池田安隆さんです。富山市のまちの駅は6つで、数は多くないのですが、それぞれ老舗のお店がテーマ性をもって特色を打ち出しながらネットワークをつくっていることが紹介されました。

続いて石川県白山市鶴来まちの駅の村田昭さんです。昨年の11月にはじまったばかりで比較的新しい取組ですが、ここの特徴は、行政、まちづくりNPO、そして商工会が常に連携をとりながら進んでいくしくみをつくっていることだとお話しがありました。

4人目は、静岡県焼津市まちの駅の関幸彦さんです。ここでは着地型観光にまちの駅が取り組んでおり、その事例が報告されました。

そして最後は、地元富士市まちの駅の佐野正美さんです。佐野さんからは、富士市のまちの駅は現代の茶店として、街道ウォーキングをするひとが気軽に休めることをめざしたことから様々な企画が生まれ、JR等との連携もできるようになったとお話しがありました。また前向きに、地道にといった「富士市まちの駅の5つの心構え」を常に駅長は心に置きながら、富士市まちの駅は毎日コツコツがんばっているというお話しもありました。

さて、これで事例報告も終わり、いよいよフリーディスカッション...のはずでしたが、さすがに5人の報告となると、それだけで時間のほとんどを費やしてしまい、残る時間は15分しかありませんでした。その上、この後の全体会で分科会報告を行うために、とにかく3つのキーワードを出さなければいけないということで、ほとんど議論がなされないままにただキーワードを決めるための作業で終わってしまいました。

3. 分析

酷評になるかも知れませんが、あまり成果のない分科会でした。ただそれを言うだけでは何にもなりません。次への糧とするために、今回の分科会の問題点についてしっかり分析をしておきたいと思います。

(1)貧弱なテーマ設定
先に述べたように、この分科会は毎回単発のものではなく、「まちの駅のブランドを守る」というミッションに貫かれているものです。それなのにこのテーマが「ほんもの」というひとつの単語だけでかたづけられていました。これだけでは、分科会をはじめる上での前提となる参加者全員の共通認識を得ることができませんし、実際それで皆さん混乱しているようでした。「ほんもののまちの駅とはどういうものか」を考えるのか、それとも「ほんもののまちの駅をつくるにはどうしたらよいのか」を話し合うのか、ただ「ほんもの」という貧弱な言葉だけでは、何も伝わりません。もっと言葉を大切にすべきだと思います。

(2)多すぎる事例報告
事例報告が5名で、議論する時間がほとんどありませんでした。それぞれの報告はどれもすばらしい内容で、お話しのいくつかにはほんもののまちの駅をつくるためのヒントも垣間見ることができたのですが、結局それらを活かすことができず残念でなりません。そもそもこの第4分科会のテーマは最初からはっきりしていますので、事例報告は要らないのではないでしょうか。それよりも冒頭でこの分科会で議論すべきことや議論の到達目標を示すプレゼンテーションが、コーディネーターからあった方が良かったのではないかと思います。

(3)形にとらわれたまとめ
事例発表で時間のない上に、さらに議論の時間をないものとしたのは、無理に3つのキーワードにまとめるという事務局からの指示でした。おそらく全体会で他の分科会参加者にわかるように、コンパクトに議論をまとめるという趣旨なのだと思いますが、これも結局貧弱な言葉だけで他の参加者に何も伝わるものではありませんでした。このようなキーワードでの分科会報告を意味あるものにするのは、各分科会のキーワードを集めて全体会でシンポジウムなどをして再度全員で議論するくらいの手間をかけることが不可欠なのですが、不幸にも全体会でそのような議論はなく、ただ言い放しに終わっただけでした。

わたしなりの分析は以上です。次回(あるとすればですが)は、議論するテーマについてしっかり参加者間の共通認識を得た上で、できれば最初から最後までとことん議論していくべきではないかと思います。

2008年11月 3日 (月)

富士からの手紙

今度の土曜日は、一年に一度のまちの駅全国大会

全国からまちの駅をやっている方、応援する方、そしてまちの駅ってなんだろうと興味を持っておられる方、とにかくたくさんの方々が集まります。

そして今年の開催地は、静岡県富士市。

2004年の取組当初から、わたしが少しだけですがお手伝いさせていただいたまちの駅ネットワークが主催です。

そんな富士の、とあるまちの駅から、先日一通の手紙が届きました。

「来たる11月の全国大会には遠路はるばる九州から御参加くださるとのことで、富士山同様、首を長くしてお待ちいたしております」。

081103

とのこと。申込みした参加者ひとりひとりに、富士市50のまちの駅がそれぞれ手分けして、送ってくださっているのでしょう。

全国大会はもうはじまっているんだなぁと、心がうきうきとしてきました。

富士のまちならでのきめ細やかな、そしてあたたかいおもてなしの心。

週末が楽しみです。

2008年10月 2日 (木)

第1回M-9まちの駅九州会議-その6「九州まちの駅のこれからについて」

7 九州まちの駅のこれからについて
 (手嶋隆行・まちの駅ネットワークふくおか)

分科会が終わり、参加者全員が再び全体会場に戻ってきました。そして3分科会の各コーディネーターから分科会の内容について報告がありました。いずれの分科会でも様々な立場の方々から、いろいろな事例や意見が活発に出され、議論も盛り上がったことが、報告から参加者全員に伝わったようでした。

そしてプログラムの最後は、この会議の実行委員会を代表して、わたしから九州まちの駅のこれからについて提案をさせていただきました(以下報告内容を箇条書きでまとめます)。

  • 冒頭でも話があったように、まちの駅の数は日に日に増えている。九州でも400に達しようとしている。
  • しかし増えたら増えたなりの課題が起こってきている。少し大げさな言い方をすれば「まちの駅の危機」である。
  • いろいろなまちの駅が出現している。それはそれで良いことであるが、中には問題のある駅もある。三つに分類してみよう。

Photo

  • 一つ目は、「看板をかけているだけのやる気のないまちの駅」。駅長(=経営者)はやる気満々でも、それが客に直に接する駅員(=従業員)にまで伝わっていない。またはアルバイト店員などで、まちの駅になっていることをしらない店員もいる。利用者から見たら、誰が駅長で、誰が駅員など関係ない。たまたまこういった店員に遭遇した客は、それがまちの駅全体のイメージだと思ってしまう。まちの駅ブランドはいとも簡単に崩れてしまう。
  • 二つ目は、「これってほんとにまちの駅?と疑問に思うような駅」。例えば公民館などで、月に二日しか一般開放されていないところがまちの駅になったことがあった。これは認定上の問題であり、現在は認定システムがしっかりしているので、数は少なくなっている。
  • 三つ目は、「まがいもの」。まちの駅連絡協議会に加入せずに、勝手に「まちの駅」を名乗っている。中には「街の駅」としたり、勝手なロゴマークで「まちの駅」と書いた看板を掲げたりしている。特に悪質な営業をしているわけでないが、まちの駅ブランドの維持にとってこれがもっとも深刻である。まちの駅のイメージがぼやけてしまう。
  • これらはいずれも利用者に混乱を招く。まちの駅ブランドというのは、実はまちの駅の中にあるのではなく、利用者の心の中にあるものである。だから、利用者が混乱すれば、それはそのまままちの駅ブランドも混乱するということである。これはしっかり地道にまちの駅に取り組んでいる駅長たちのやる気の低下にもつながる。するとさらに利用者に混乱を招くというように負のスパイラルに陥ってしまう。どこかで止めないといけない。
  • ではどうやって止めたらよいか。規制を強化するか。特に「まがいもの」に対して法的手段に訴えるということが連絡協議会で検討されたことがあったが、費用や手間、そして実際の効果を考えるととても割に合わないので断念した。
  • ブランド保持の手段として考えられるのは、「自らの力を高めていく」ことしかないのではないか。つまりしっかりとしたまちの駅をつくり、増やしていく。数が増え、一般により認知されていけば、ブランドは確立していく。もちろん数だけでは先に述べたような事態になるので、元の木阿弥である。要は、「しっかりした、正しい」まちの駅をつくっていく。これしかないのではないか。

Masik

  • そのために、この会議の実行委員会メンバーが中心となって、「九州まちの駅支援機構-Machinoeki Support Insutitution,Kyushu.略称MaSI,K(マジック)」を立ち上げる準備を現在進めている。主な事業は次の三つ。
  • まちの駅普及支援事業…まちの駅のPRをマスコミ等と連携しながら行う。
  • まちの駅設置支援事業…まちの駅伝道師派遣事業として、これからまちの駅に取り組もうとする地域にまちの駅の駅長さんたちを派遣して、説明会や様々な助言をしてもらう。
  • まちの駅交流支援事業…今回のようなまちの駅関係者が集い交流する機会を設けていく。
  • こういったことを、九州・沖縄・山口を舞台に仕掛けていき、しっかりとしたまちの駅を九州で増やしていく。と同時に、「九州はひとつ」を決して上からのものでなく、まちの駅という草の根のレベルから実践していく。その礎としたいので、これから皆さんの御協力をよろしくお願いしたい。

第1回M-9まちの駅九州会議は、これで終わりました。次回は来年2009年11月28日(土)に鹿児島県出水市にて行われます。会議の最後に、今回遠くからバスで大勢駆けつけていただいた鹿児島県まちの駅のメンバーが、のぼりと横断幕をもってPRしてくださいました。

Kagoshima

「九州はひとつ」への第一歩がこの日、朝倉の地に刻まれました。

- おわり -

報告: 手嶋隆行・まちの駅ネットワークふくおか

2008年9月25日 (木)

第1回M-9まちの駅九州会議-その5「第3分科会」

6 第3分科会
コーディネーター 遠藤あおい・まちの駅連絡協議会、山口 覚・特定非営利活動法人地域交流センター理事

第3分科会では地域交流サロン型まちの駅をテーマに、「全体会に出て思った事、感じた事」、「地域交流サロンとは何か」の2つについて、グループに分かれて意見交換をし、それぞれを全員で共有する方法で分科会を進めました。

○分科会の運営方法
4つのグループ(テーブル)に分かれ、「全体会に出て思ったこと、感じたこと」をグループ内で全員が発表

1人を残してテーブルを移動し、最初のグループの発表内容を移動してきたメンバー間で伝え合い、意見交換を行う

分科会メンバー全体で共有するため、グループの意見交換の中で、印象に残ったことを全員の前で発表

テーブルを移動し、メンバーを変えて「地域交流サロン型まちの駅とは何か」について意見交換

「地域交流サロン型まちの駅とは何か」について、グループで出たことを全体で発表

Img_1389

○「全体会に出て思ったこと、感じたこと」について(意見交換後の発表内容を以下に箇条書きでまとめます)

  • 商店街で「まちの駅」に取り組んだが、売上に直接つながらないため、参加者が少なくなってしまった。
  • 目的・手段を見つけて行動を起こすことが大切ではないか。鹿児島では篤姫ブームを活かし、旅行を企画した。→地域が光っていないと人は寄ってこない。地域が光るということは、自分たちが輝くことではないか。
  • 「おもてなしの心」は抽象的でわかりにくい。しかし、マニュアル的に言いたくない。思っていることを伝えていくことか。
  • おもてなしの心を現したものとして、「おもてなし宣言カード」というものを作った(まちの駅連絡協議会事務局遠藤氏が紹介)。
  • 「おもてなし」とは「・・・らしさ」を話したり、考えたりすること
  • 目に見えないものをどう情報発信していくか、駅長さんどおしが話し合う場が必要
  • 「縁結びの駅」を運営している。縁結びをテーマに活動し、駅どおしもつなぎたい。
  • 事務局の方が言われた「事務局は何かを与えるのではない。皆さんが事務局を使わなければならない」という言葉が印象に残った。
  • 地域が良くならなければ、みんなが良くならないと考えている。基山では、90駅が参加したJRのウォークラリーイベントで一番人を集めた。今後も自分たちのノウハウを活かしたい。しかし、人は集まったがお金は落として行かなかった。なぜなら駅の周辺に商店がないから。もっと駅周辺を活性化しなければいけない。
  • アジアからの観光客は福岡で大宰府を見た後、次は別府に行ってしまう。地域それぞれの特色を伝えられていない。
  • それぞれの特徴を地域でどうつなげていくか、それぞれの店(駅)を全体でどのように活かしていくか。逆に自分の駅の特徴を周りにどう伝えていくかが課題である。仕組みを作ることも必要ではないか。

○「地域交流サロン型まちの駅とは何か」について(意見交換後の発表内容を以下に箇条書きでまとめます)

  • 気軽に気取らず行ける場所である。
  • 今は目的がないといけない所ばかりで、何気なく立ち寄れる場所がない。
  • サロン型はたまり場である。たわいない会話をするところ、声が聞こえる場所
  • 駅長は商人の原点=おもてなしの心を持っていなければいけないのではないか。人が来てくれてよかったと思うことが大切ではないか。
  • サロン型は全国的に見て数は多くないが、そこで共通しているのは、中心にいる人が魅力的であるということ、想いをもっているということ(事務局から)
  • 多くの人が集まり、発表をしたりすることで、愛着のある場所、自分たちの場所になっている。(事務局から)
  • みやこ町(旧 犀川町)で「来て見てギャラリー」を5年前から土・日に開催している。金銭は抜きにしてイベントを実行している。続けることが大事ではないか。
  • 家を改造してまずは友だちを呼ぶことから始めている。町おこし・村おこしにつなげたい。
  • 地域交流をしないと「まちの駅」ではない。まちの駅で地域交流は当たり前。「地域交流サロン型」は地域間連携をして、地域振興を目指すようなところのことではないか。そのために自分に何ができるか考えているが、本部から芯になる何かを示して欲しい。
  • まちの駅は4つの機能があったら良い。まちの駅の在り方はそれぞれの施設が考えればいいと思っている。事務局は既に必要な理念を出していると思っている。(事務局から)

(この分科会の記録は、議事録ボランティアの 原 由公美 さんに取っていただきました)

2008年9月23日 (火)

第1回M-9まちの駅九州会議-その4「第2分科会」

5 第2分科会
コーディネーター 今泉重敏・(株)まちづくり計画研究所代表取締役

第2分科会では観光地・農村地域型まちの駅をテーマに、参加者ひとりひとりが自己紹介を兼ねて活動報告や意見を述べ、議論が展開していきました(以下発表内容を箇条書きでまとめます)。

  • 熊本県御船町は人口2万人の町。国道が2本通り、沿道に大きなショッピングセンターがある。小さな商店が経営していくのは厳しいから、これを良くしていこうと「まちの駅」を始めた。目標は売上げ増。「観光」という言葉には、地域の人の生き方を見るという意味もあるという。町の商店主たちが一生懸命頑張っている姿を見てもらって、訪れた人たちに感動してもらいたい。
  • 鹿児島まちの駅連絡協議会では携帯電話ホームページ「かごしままちの駅」を作成しまちの駅をアピールしている。現在約130か所のまちの駅が登録されており、携帯電話を使った情報発信を行っている。インターネットは、個人・中小企業でも大手企業に勝てる、初めての市場。地方でも、工夫次第で魅力を発信できる。
  • 福岡県星野村は人口3400人の村。商工会と観光協会が一緒になって、まちの駅の取組みを始めた。現在44駅が登録。まちの駅が集まっている地域がいくつかあるので、それらをつないで歩いて回れるコースを作った。
  • 鹿児島県出水市の竹崎農園。熊本県が近いため、県境を越えて「肥薩ようこそネット」を作って以前から活動していて、それからまちの駅を始めた。熱い人は多いが、ばらばらに活動していたので、これを連携していこうとしている。行政頼みではなかなか進まない。地域の案内ができるまちの駅の全国ネットを作りたい。
  • 福岡県芦屋町の芦屋町観光協会。観光協会を補完するものとしてまちの駅を始め、現在18駅が登録している。駅によって考え方が異なり、まとめるのに苦労もある。
  • 福岡県の宮若市商工会。トヨタ自動車九州があり、そこに多くの人が訪れているが、それが周辺の地域の観光につながっていない。それでまちの駅を始め、取り組みを進めている。

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そして、全体の発表を終え、この分科会では次のようなまとめがなされました。

  • 今までは、ハコモノがあって、そこを見に行く観光が多かった。
  • しかし今後は観光農業などのように、地域の魅力を引き出していくようにすることが重要なのではないか。
  • 2年後は九州新幹線(鹿児島ルート)が全線開通する。新幹線の駅、道の駅、まちの駅が連携して、より多くの人を地域に呼ぶ工夫ができないか。都市と農村の交流を図って行こう。

(この分科会の記録は、議事録ボランティアの瀬口顕生さんに取っていただきました)

2008年9月20日 (土)

第1回M-9まちの駅九州会議-その3「第1分科会」

4 第1分科会
コーディネーター 河井達志・鹿児島県まちの駅連絡協議会(まちの駅宇宿駅長)

第1分科会では商店街型まちの駅をテーマに、参加者ひとりひとりが自己紹介を兼ねて活動報告や意見を述べ、活発な意見交換が行われていきました(以下発表内容を箇条書きでまとめます)。

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  • 鹿児島県南薩地域のまちの駅のつながりで、「天地一杯」というまちの駅ブランド芋焼酎を開発した。特に原料となるサツマイモの収穫は業種にかかわらず地域のまちの駅長全員で行った。できた商品は販売しているが、何よりも一連の取り組みをきっかけに、駅長間の結束が深まったのが良かった。
  • 北九州市黒崎商店街でまちの駅をしているが、個店のPRよりも地域の情報をいかにつかみ発信するかを大切にしている。
  • 福岡県那珂川町のまちの駅。できるだけ町内全域でとネットワークをくんでやっていたが、運営が難しくて一度解散した。でも今度は「新生」那珂川まちの駅として気の置けない仲間だけでやっている。スタンプラリーを企画している。
  • 朝倉市中心商店街(甘木)のまちの駅。まちの駅になって本当に良かった。先日は東京工業大学の学生さんがやってきて、若い人たちの目で見た新しい観点でユニークな提言をしてくれた。いろいろなひとが助けてくれる。
  • 福岡県行橋市でまだまちの駅は始めていないが、興味を持っている。皆さんのように既に始めている事例を参考にしていきたい。
  • 北九州市若松区のまちの駅。最初は区役所主導でやっていたが、今は民間主導でやっている。またはじめの頃は中心市街地活性化のため何かしなければと肩に力が入っていたが、今は自然体。自分がやりたいと思ったことを、仲間を募ってやればよいというスタンスである。
  • 北九州市黒崎商店街のまちの駅。自分自身が落ち込んでいたときに、まちの駅に誘われやってみることにした。まちの駅を介しての人と人とのつながりに、助けられた。
  • 北九州市黒崎商店街のまちの駅。民間主導でやっている。行政が入ると、無理にでも成果を出さないといけないので、民間だけでやっていこうとしてはじめた。行政に引きずられるのではなく、逆に行政を使ってやろうというくらいの気持ちでやらないとダメだと思う。そのためにはマスコミをうまく巻き込んでやるのが良い。
  • 鹿児島県のまちの駅。「何かやろうや」という人たちの集まりがまちの駅だと思う。とかく今の商店街は行政に「なんとかしてくれ」が多すぎる。でもそこからは何も解決しない。自らが動こうという意識があることが大事だと思う。
  • 不平不満からは何も生まれない。がんばろう、何とかこの状況を打破してやろうというという前向きな気持ちが大切。そのために必要なのは仲間。まちの駅にはそれがある(久住会長)。

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分科会参加者の皆さんにいろいろなお話しをしていただきましたが、共通していたのが、商店街という狭い世界で手を挙げてまちの駅になっているだけあって、自ら課題を認識してその状況を何とか打破したいという熱い想いでした。確かに郊外型大型店の出店など、商店街をめぐる厳しい状況は続いています。しかし「だから仕方がない」とあきらめている人が、ここにひとりもいないというのが印象的でした。でも最後に久住会長がまとめたように、とかく孤独になりがちなそんなひとたちを支えているのが、地域内外のまちの駅の仲間であることも皆さんの言葉から伝わってきました。このつながり、連携、ネットワークがまちの駅の大きなメリットであることが、この分科会に参加してあらためてわかりました。

報告:手嶋隆行・まちの駅ネットワークふくおか

2008年9月18日 (木)

第1回M-9まちの駅九州会議-その2「全国まちの駅事例紹介/研究報告」

2 全国まちの駅事例紹介
 (遠藤あおい さん・まちの駅連絡協議会事務局)

遠藤さんはまちの駅とはどのようなものかということを簡潔に説明し、続いてまちの駅全国組織の立場から、全国、特に九州以外の地域において活発でユニークな活動をしている事例を紹介してくださいました(以下説明内容を箇条書きでまとめます)。

  • まちの駅とは。道の駅との違いは、建物とおもてなしをする人がいれば誰でもできる、どこにでもできるということ。トイレや休憩場所も新しくつくるのではない。あるものを活かしてやることができる。大切なのは駅長さんたちのまちを愛する心とおもてなしの心。
  • 現在全国で約1,400ヶ所のまちの駅が存在する。内訳は公共・第3セクターの施設が5%、観光・商工関係施設が3%、商店等92%である。最初は公共施設だけではじまったが、次第に商店等の民間が増え中心的になってきた。。
  • まちの駅になると何ができるのか。地域内外のネットワークが広がる。ただし、自分でしないと動かないとだめ。まちの駅になったら、受け身ではなく、自分から何か仕掛けることが大切。その事例を駅長さんの言葉からいくつかあげてみよう。
  • まちの駅たまり場たろう(茨城県)の駅長さん。「まちづくり活動は沢山してきたが動く人が限定されている。誰もが気軽に溜まれる場が欲しくて、まちの駅に」。蕎麦の駅の駅長さん、「町内の駅に訪ねていくようになった。チラシを持って行った」。

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  • どれも、まちの駅になったから何かプラスαでやっていこうという意識がみられる。
  • ネットワークが広がって何がいいのか。金儲けではなく、ひともうけができるということ。最初はひとりの動きでも、次第に紹介し合い協力し合い、そして地域全体の魅力アップになったときに、いろいろな面で潤う。その事例を次に。
  • 埼玉県本庄市のまちの駅ネットワークでは、ウォーキングイベントや傘貸し出しサービスをまちの駅の駅長たちが自らはじめた。栃木県大平町ではそれより少し進化した形で、おもてなし人材育成制度と連携した取り組み、映画祭、紙芝居、再発見ツアー、新名物開発、携帯観光サイトづくりなどを実施している。それがまちの駅周辺の応援団&ファンづくりにもなっている。
  • 新潟県見附市では、エリア内の公共施設がキーステーションとなって、公民のまちの駅ネットワークがつくられている。そこでまちの駅講座が行われている。講師は各まちの駅の駅長。それぞれの得意分野を活かして、例えば中華料理屋さんが、本格餃子と麻婆豆腐つくり教室を行ったりしている。
  • 再来月全国大会が行われる静岡県富士市でも、地域安全・安心ステーションとしての活動、オリジナルグッズ・周遊のしかけづくりなどが行われている。ここの駅長さんが考えた「まちの駅5つの心構え」を紹介したい。
  • ①出会い、ふれ合い、ゆずり愛、②地道にコツコツ・・・長~いおつきあい、③身の丈に合った おもてなし、④愚痴は言わずに、いい事探し、⑤頑張らなくてもいいけど、あきらめない
  • 最後に、まちの駅のマークの説明をしたい。3人の人がモチーフになっている。その3人とは、①わか者…新しい風を送り込む人、元気な人、②ばか者…一途な思いを持ち、それを実行する人、③よそ者…冷静に物事を捉え、新たな視点を与える人。
  • ちょっとずつできることをもちよれば、大きな力になる。それが「まちの駅」のいちばんの魅力だと思う。

3 まちの駅研究報告
 (手嶋隆行・まちの駅ネットワークふくおか)

遠藤さんに続いて、わたしがまちの駅・駅長さんアンケートの分析による研究報告を行いました(以下報告内容を箇条書きでまとめます)。

  • まちの駅の効果は、遠藤さんから発表があったとおり。もちろん自分もこのような定性的な効果について疑問を挟むものではない。しかしそれだけだと「件の駅長さんたちのの言葉が本当に一般的なものなのかな」という疑念も半分自分の中にあり、それを払拭しなければまちの駅の効果に自信を持つことができない。
  • そのためには効果を「数字」で示すことが大切である。
  • 今年の3月まで2年間、京都大学大学院にいたが、その折に京都大学経済研究所とのつきあいができて、2年目にそことの共同で「まちの駅・駅長さんアンケート」を実施することができた。これはまちの駅でははじめての全国調査であったが、配布1,084に対し、回収561で何と51.8%の回答率であった。これはこの種の調査としては、驚異的に高い数字で、これだけみても駅長さんたちの関心の程がうかがえる。
  • 以下、この分析をもとにまちの駅の効果を述べたい。
  • アンケートの項目は多岐にわたるが、大きく分けて「順序性のある属性(規模や経験年数など)」「順序性のない属性(地域、業種、はじめた理由など)」「まちの駅効果」の三つである。このうち「まちの駅効果」だけで単純集計を行い、さらに「順序性のある属性」と「まちの駅効果」を、「順序性のない属性」と「まちの駅効果」をそれぞれクロス集計し、相関性を見た。
  • 単純集計でわかったことは、まちの駅をはじめて、売上や集客などの目に見える効果よりも、商店主等(駅長)の意識変化に効果があることである。つまり地域活性化への意欲や、もてなしの意識など、地域のために何かしたいという意識が芽生えている。

Machinoekistudy2

  • つぎに、「順序性のある属性」と「まちの駅効果」との相関をみると、意識変化同士以外では、視察件数と意識変化との相関性が強いことがわかった。普通の店であったのが、まちの駅になって外部からの視察団がやってくれば来るほど、つまり注目を集め評価されるほど意識が高まる。
  • 「意識変化には外からの評価がもっとも効果的」ということである。
  • 事務局はまちの駅の意識を高めようとするならば、「視察」をたくさん受け入れるよう努力すべきではないかと思う。
  • 最後に「順序性のない属性」と「まちの駅効果」で、県別の状況を比較したときに、群馬県の意識変化の上がり方がすくないことがわかった。これを詳しく調べると、ある地域で意識の変化がほとんど見られないが、これは急激にまちの駅の数を増やしたがために、駅長たちがついて行くことができなかったからである。
  • 「まちの駅の急速な拡大は、意識変化にあまり効果的ではない」。ということであり、取り組みを進めてく上で注意が必要である。
  • 以上が研究の成果である。これからもまちの駅の取組みの役に立つような研究で皆さんを応援していきたい。

Machinoekistudy1

2008年9月15日 (月)

第1回M-9まちの駅九州会議-その1「開会」

2008年9月13日(土)

遠くの台風の影響による不安定な天気で、雨がそぼそぼと降ったり、急にギラギラと太陽が照りつけたり、梅雨と真夏が繰り返しやってくるような蒸し暑さ。そんな天気の下、福岡県朝倉市の市民ホール・サンライズ杷木にて、「第1回M-9まちの駅九州会議」が開催されました。

ここ朝倉市で2001年からはじまった九州のまちの駅も各県に広がり、今や九州・山口で400に手が届こうとしています。まちの駅は志のある商店などが同じ印の幟を立て、それぞれが来訪者をあたたかくおもてなしをしながらも、お互いが連携しあってひとりひとりの力を地域を元気にしていく大きな力に変えていこうという民間主導のまちづくり。であればこそ、つながって交流する機会が大切です。それをまちの駅にかかわる有志が、九州という単位でこれから毎年行っていこうとして企画した、その第1回目となるのが今回のこの集まりです。ちなみにM-9は、"M"achinoeki-"九"州と九州7県に沖縄県・山口県をあわせた"9"県をかけています。

1回目と言うことで、またそれほど交通の便があるわけではない原鶴温泉の地でどのくらいの参加があるのか、われわれ実行委員のメンバーは不安でしたが、まさに九州各地から85名の参加をいただきました。鹿児島のまちの駅の皆さんは、貸切バスでやってきてくれました。また、まちの駅がまだない長崎県の方はこれまでまちの駅のことは知らなかったそうですが、新聞で見かけて興味を覚え、ひとりで参加してくださいました。まちの駅の駅長だけではなく、行政関係者や一般市民の参加も多かったのが、これまでにない広がりを感じさせました。

さて午後1時から5時までの4時間にわたって行われたこの九州会議ですが、全体会そして3つの分科会すべてにわたって、今回から6回に分けて、議論の様子をお伝えしていきたいと思います。

1 開会

開会セレモニーでは開催地・主催者を代表しての挨拶と、その後お二方からの来賓挨拶がありました。

開催地挨拶:尾藤長司さん・甘木・朝倉まちの駅実行委員長(アートの駅駅長)
「遠路はるばる参加くださりありがとうございます。ここ甘木・朝倉では53のまちの駅がそれぞれ工夫しておもてなしをしています。皆さんも毎日のまちの駅の取り組みの中で感じたことをここで積極的に出していただくと同時に、他のひとの話をじっくり聞いて、気づいたことを明日からの活動の中に盛り込んでいってください」。Img_1362

主催者挨拶:上野春樹・第1回M-9まちの駅九州会議実行委員長(朝倉広域観光協会常務理事)

「九州のまちの駅の取り組みは2001年にここ甘木・朝倉の地ではじまりましたが、まちの駅を一般的なものにしていくためには全国で三千ヶ所、九州で五百ヶ所を目標にしなければと考えています。また道州制に向けて、まちの駅も九州でひとつの固まりとして盛り上げていかねばと考え、この会議を企画しました。ここでたくさん勉強をしていただいて、またひとりでも多くの方と知り合っていただいて、まちの駅を盛り上げていきましょう」。

来賓あいさつ:久住時男さん・まちの駅連絡協議会会長(新潟県見附市長)

「『道の駅では国は変わらない、まちの駅ではひょっとしたら国が変わるのではないか』と以前から言っています。それは道の駅は国が政策としてやっている、いわば上からのもの。でもこのまちの駅は、補助金もなくともここまでしっかりやってきました。そして今回実行委員の皆さんは将来的な道州制も踏まえて九州での団結を考えました。おそらく政治はその後をついていくことになるのでしょう。まさに地方からまちや国を変えるという動きです。この場でいろいろな人に出会い、そして新しい知恵を得て、九州のまちの駅がますます活発に動いていくことを期待します。」

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久住時男見附市長

来賓あいさつ:林裕二さん・福岡県議会議員

「地元のひとりとして、皆さんに激励の言葉を贈りたいと思います。一所懸命やっている人たちの熱意もあって、この地でまちの駅が盛り上がり、まちの駅をやる人たちの意識も変わってきました。今この国は批判はするけれども積極的に動き出さない、後ろ向きの考えの人が多くなってきたように思えます。そんな中、元気で明るく活動するまちの駅は、地域をリードする役割を果たしていくと思います。わたしも応援していきたいと思います」。

このあと、まちの駅連絡協議会事務局による全国まちの駅事例紹介と、わたしが行ったまちの駅研究報告へと続いていきました。(つづく)

2008年9月 8日 (月)

じっくりと時間をかけて、まちの駅 - 熊本県御船町 -

先週の金曜日(9月5日)。熊本県御船町にまちの駅を訪ねました。その翌日に御船町とわたしの属する行政経営関係の九州ネットワークとが共同で行う勉強会で、わたしもまちの駅の取り組みについて報告させていただいたのですが、せっかくなので一日早くこの町に入りまちの駅を見ておこうと思ったからです。

御船町では一年前から実験的にまちの駅に取り組んでいます。間もなく正式登録をして35の駅で幟旗をあげる予定だそうです。

まず事務局をしてくださっている御船町商工会の奥田龍二さんを訪ね、彼の案内でいくつかのまちの駅に連れて行っていただきました。

はじめは、「心を結ぶ駅」。

結婚式やイベントができる会場「クレインパレス」をそう呼んでいます。駅長の藤木正幸さんはそこを経営する会社の専務さん。笑顔がとても印象的な方です。

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「心を結ぶ駅」の藤木さん

藤木さんは商工会の青年部で活動しているときに、まちの駅のことを聞きました。今から約四年前のことです。それから三年間ずっとまちの駅のことを勉強して来られました。有志で二日間いっぱい使って貸し切りバスで福岡県中のまちの駅を回り、とにかくたくさんの駅長さんから生の声を聞いたこともあったそうです。それでも昨年からはじめたときには「お客さんがたくさん来てくれるかも」と期待していたそうですが、それはあっさりと裏切られました。

でも藤木さんはおっしゃいます。「スタッフの意識が変わり、常におもてなしの準備ができるようになりました。それがまちの駅をはじめて得られた大きな効果だと思っています」。

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「心を結ぶ駅」ではゆっくりしたロビーで自由にお茶をいただくこともできます。

トイレはとてもきれいに掃除され、絵も飾られていました。藤木さんの言葉どおりだと思いました。

次におじゃましたのは、「とらちゃんの駅」。

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料亭「とらちゃんの駅」。幟が雨で汚れないように、傘がかけられていました。

「料亭とらや」です。駅長の福味総一郎さんはそこのご主人。この町のまちの駅グループの会長さんですが、発想が豊かな方で、まちの駅でこれからやっていきたいことを熱心に語ってくださいました。でも決して新しいことばかりに飛びつく方ではありません。お話しの中でとても印象に残ったのは次のような言葉です。

「"まちを元気にしよう"とか難しく考える前に、まずは自分を変えるのが肝心だと思います。とにかく心を込めておもてなしをして、お客さんに楽しんで帰っていただく、それで良いと思います」。

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「とらちゃんの駅」の福味さん

足元をしっかり見据えて取り組んでいく。御船のまちの駅は準備にじっくり時間をかけたうえで、一年間の実験を行ってきました。駅長さんひとりひとりのしっかりした考えと毎日の地道な努力があってのことだと思いますが、それを支えているのは、今回案内をしてくださった商工会の奥田さんだということが、車中でのいろいろなお話しの中でわかりました。でも決して彼は表に出ていません。主役の駅長さんたちを黒子となって支える奥田さんの存在があってうまく動いているのかなと思います。

これからが楽しみな、御船のまちの駅です。

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「肥後藍&御船工房の駅」には藍染めのオブジェがたくさん。藍の世界に包まれます。

2008年7月 5日 (土)

小さなイベント、大きな満足

~北九州市八幡西区黒崎~

「長崎街道くろさき宿・七夕まつり」に行ってきました。

梅雨らしいどんよりした空から小雨が降ったり止んだり。何ともすっきりしない天気の一日でしたが、黒崎熊手・藤田商店街の間にある小さなアーケードからは、商店街のひとたちや地元の保育園の園児たちが飾り付けたきれいな七夕飾りのもと、賑やかな声が響いていました。

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いつも商店街の奥の二階にある小さなスタジオから放送しているミニFM「ラジオ響」は、今日はお店の前に机や機材を出しての公開放送。その横には小さなステージがあってハワイアンが演奏されたり、その向かいでは商店街のおかみさんたちが焼きそばや、冷やしぜんざいなどをつくってくださったり、お茶のサービスがあったり。来られたお客さんは皆さん思い思いに、ゆっくりとした午後のひとときを過ごしてらっしゃいました。

両商店街の間にある「宿場通り」がきれいに整備されたことの一周年を記念して、地元のひとたちが企画したこのイベント。

確かに小さなイベントで、通りもひとでごった返すということはありません。でも今回このイベントを企画した、黒崎まちの駅の駅長さんたちのひとり山中秀夫さんはこのようにおっしゃいました。

「黒崎も最近は商店街活性化をめざしたイベントが多くてね。行政が補助金を出してお金をかけていろいろ派手にやっている。ただそれらは、よそのひとをいかに多く集めるか。よそのひとはイベントの時は集まるだろうけど、その時だけ。飲食店ぐらいにはお金が落ちるかもしれないな。でもそれだけ。黒崎は福岡じゃないんだから、もっと地元のひとに愛されて地元のひとに来てもらえるような商店街にならないといけないと思うんですよ。この七夕まつりに来てくれているのは地元のひとばかり。でもそれでいいんですよ。こういった機会をつくって、お店のひとと、地元のひとが仲良くなれば。小さなイベントですが、大きな満足ですよ」。

焼きそば焼いているおかみさんたちも、本当に楽しそうに近所の方とお話ししていました。

やがて雨はあがり、少し陽が差してきました。

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2008年6月29日 (日)

M-9まちの駅九州会議の打合せ

昨日梅雨の大雨の中、福岡県朝倉市に行ってきました。

9月13日に行われる「M-9まちの駅九州会議」の打ち合わせのためです。

「まちの駅」。4月1日現在、九州(山口・沖縄を含む)で常設のまちの駅数は352。その後も続々と増え続け、400に向かっています。

そしてただ数が増えるだけでなく、まちの駅同士の様々な交流も活発になってきました。

ただそんなまちの駅の駅長さんたちから、「全国大会で他の地域でがんばっている駅長さんと知り合えるのはいいけど、商売をやっているので遠くまではなかなか行けない。ぜひ身近な九州単位ででも交流の企画を作って欲しい」という声があがり、このたび福岡県甘木・朝倉まちの駅、そして鹿児島県まちの駅のリーダーさんたちといっしょに、まちの駅九州大会とも言える「M-9まちの駅九州会議」を開くことにしました。

まちづくりの拠点としてのまちの駅がつながることによって、まちとまち、地域と地域がつながり、やがてまちの駅から市民レベルでの「九州はひとつ」が実現するかもしれません。そんな時代に向けて、九州・山口・沖縄9県のまちの駅(Machinoeki-9)が集い、互いのまちの駅を知り、まちの駅の未来をを考えることにしたいと思います。

詳細は7月1日にまちの駅ネットワークふくおかのホームページ

http://manefuku.net/

でお知らせする予定です。今しばらくお待ちください。

2008年6月14日 (土)

長崎街道くろさき宿「七夕まつり」

北九州市八幡西区黒崎の商店街にある8つのまちの駅が、七夕まつりを行います。アーケードの入口前の「宿場通り」がきれいに整備されて一周年になるので、市民・商店主として何かお祝いできないかと考えて企画したそうです。

7月5日(土)です。お近くの方はぜひお越しください。

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2008年4月12日 (土)

ボランティアって特別なことじゃないんです

福岡県春日市ただひとつのまちの駅「春日ふれあいの駅」を訪ねました。

別名「ふれあいサロンミシェル」。地域のひとびとが気軽に立ち寄れるサロンにしたいと今から4年前に開いたとのことです。春日市は福岡市のベッドタウンとして開けてきた街。ここも住宅地の中にあります。

細い街路を辿っていくとやがてまちの駅のマークがついた大きな看板が見えてきました。喫茶店を想像して行ったのですが、どこから見ても普通の住宅。その一階部分が開け放たれてサロンとなっていて、そこがまちの駅にもなっています。もちろん一日中あいているわけではありませんが、昼間オーナーの紙屋彰枝さんがいらっしゃるときは、中に入っていろいろなお話しを聞くことができます。

紙屋さんはここを拠点に地域通貨を地域で回してみたり、シニアの出会いパーティーを企画したりと、人と人とをつなげるさまざまな試みをなされています。春日市は新しい住民が多い街。だからこそコミュニティをつくっていかなければならないとおっしゃいます。地域のボランティアのリーダーとして市や社会福祉協議会にも頼りにされている紙屋さんです。

そんな紙屋さんもここを開く前は普通に会社勤めをされていて、その時はボランティア活動ということは考えていなかったとのこと。そして今でもそれをあまり意識してらっしゃらないようです。

「普通に地域のことを考えて、地域のために自分ができることをしているだけ。楽しいからやってるだけですけどね。ボランティアって特別なことじゃないんです」。

嬉しそうに語ってくださいました。

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2008年2月25日 (月)

淡海・3人の「5時からまちづくりスト」

「淡海」と書いて「おうみ」と読みます。琵琶湖のことです。

2月23日(土)。あいにく琵琶湖は、降り続く大雪でぼんやりとしか見えませんでした。

この日。湖の名が冠された「ピアザ淡海・滋賀県立県民交流センター」で、まちの駅講演会が催され、まちの駅ネットワークふくおかは講師を務めさせていただきました。

講演会を主催したのは、団体ではなく、個人です。3人の滋賀県職員の方々。もちろんこの3人は県庁の仕事ではなく、まったくプライベートな立場でこの会を企画してくださいました。

手作りでチラシを作り、知っている限りに声をかけて、でも当日は大津市のみならず滋賀県全域から15名の商業者や行政職員の方々を集めてくださいました。

講演会の冒頭、主催者挨拶でこの企画の中心となったS氏がこのようにおっしゃいました。

「自分はまちの駅にとても興味を持っています。これで何とかまちを元気にしたいと思っています。ただ県職員である自分は店を持っているわけではないので、直接まちの駅にはなれません。だからまちの駅をやってくださる人がいれば、可能な限り応援していきたいと思っています。そのためにまず少しでも多くの方にまちの駅を知ってもらうことが大切と感じ、この講演会を企画しました」。

わたしは仕事を超えてまちづくりに一所懸命に関わってくれるひとを「5時からまちづくりスト」と呼んでいます。この3人はまぎれもなく、「5時からまちづくりスト」。淡海の国ではここから「まちの駅」が動きはじめるかもしれません。

2008年1月22日 (火)

日本海を望む町にて~京都府京丹後市

2008年1月20日(日)

列車が綾部に入ると雨が降ってきました。福知山ではそれが雪に変わりました。山陰本線の特急はしだて3号は次第に白くなっていく景色の中を北に向かって、いつくもの谷を縫うようにしてゆっくり進んでいきます。やがて天橋立が見える頃には、また雨になりました。

京都府最北端の町、京丹後市に行くのはこれで二度目です。一度目は昨年の夏、大学院でお世話になっている先生が市のアドバイザーになっているので、彼についていって市役所の職員さんへ福岡県のまちの駅の事例をお話ししました。

その時に聞いておられた市の総合戦略課(企画担当課)の職員の方が、「このお話はぜひいつか市民の方に聞いてもらいたい」と思われたそうで、わたしが京都にいる間中にと、今回のまちづくり講演会を企画してくださいました。それでわたしが講師として再びこの町に招かれることとなったのです。

昼過ぎに丹後大宮駅に着いた後は、市役所の方が市内を車で案内してくださいました。京丹後市は丹後半島のほとんどを占めますが、2004年4月に6つの町が合併してできたとても大きな市です。山が海までせり出しているその間をうねうねと続く道は果てしなく、市内をひととおり回るだけでも半日かかりました。

空はどんよりと曇り空。あいにくのみぞれ交じりの冷たい雨が降っていましたが、海はそれほど荒れておらず、間人(たいざ)漁港ではちょうどカニの競りが行われていました。水揚げされたばかりの生きているカニは色つや鮮やかなピンク色。冬の暗く厳しい丹後の風景の中にあって、ほどよいアクセントとなっています。さらにカニのまわりで忙しく立ち回っている漁師さんや仲買人さんたちからは、黒くうねる日本海を背景に白い湯気が立ち上っているのが見えました。

講演会は夜7時から。会場となった網野健康福祉センターには日曜日の夜にも関わらず、20名以上の市民の皆さんが集まってくださいました。

わたしからはとにかく理論よりも、実際にまちの駅をやっておられる方々の生の声を聞いていただきたいと思い、パワーポイントのスライドの中にまちの駅ストーリーの映像を取り込んで、まちの駅について熱く静かに語るたくさんの「駅長さん」たちの姿を見ていただきました。

2時間近い講演会でしたが、皆さん最初から最後まで真剣に聞いてくださいました。昼間に訪ねた物産館の、とにかくおもてなしの心いっぱいの責任者Hさんは、最前列に座っていただいてわたしの話に何度もうなずいていらっしゃいました。また講演後の意見交換の中では「まちの駅に関心を持った」「この話はもっと多くの人に呼びかけて聞いてもらうべきだと思った」との感想もいただきました。

外は冷たい雨が再び雪になろうとしていました。でも市民の方々の熱い思いと温かい心を感じた夜でした。

2007年11月30日 (金)

まちの駅の"わ" ~福岡県まちの駅連絡協議会inあさくら

2007年11月23日、小春日和の青空が広がる福岡県朝倉市。約30人のまちの駅・駅長さんたちが朝倉商工会議所の会議室に集まり「福岡県まちの駅連絡協議会inあさくら」が行われました。この会を企画したのは、甘木朝倉まちの駅連絡協議会事務局長の上野春樹さんです。

全国のまちの駅・駅長さんたちが集う会としては毎年一回のまちの駅全国大会がありますが、遠くで行われる全国大会にはなかなか一般の商店主である駅長さんたちは店をあけて出席できません。でもそういった現場の駅長さんたちに直接声を出してもらって、まちの駅について議論する機会、「顔の見えるおつきあい」での交流こそが必要なのではないでしょうか。

上野さんは何人かの駅長さんからのこのような声を受け、この会を企画することとしました。また会の開催にはわれわれ「まちの駅ネットワークふくおか」も協力させていただきました。そこで以下に簡単ですが、内容を報告したいと思います。

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~司会:梶山祐子(まちの駅ネットワークふくおか)

1 開催地あいさつ ~尾藤長司さん(甘木朝倉まちの駅連絡協議会長/アートの駅・駅長)

「"わ"が大切な時代になってきています。でもまちの駅の"わ"は何も難しいことはなく、気持ちさえあれば、誰でも加わることができるものです。ぜひここでいろいろな交流をして、まちの駅の"わ"を地元に持ち帰ってください」。

2 全国の動向 ~山口 覚さん(NPO法人地域交流センター)

全国協議会の運営体制や全国各地の活動事例が報告されました。

3 まちの駅・駅長さんアンケート一次集計結果(概要) ~手嶋隆行(まちの駅ネットワークふくおか)

既にまちの駅として活躍されている駅長さんたちを前にしてですが、まちの駅についての共通認識をまず持ってもらうために、あらためて「まちの駅概論」、そしてまちの駅の歴史、全国への広がりなどについてお話ししました。その後に、今年の夏に全国のまちの駅に対して行った「まちの駅・駅長さんアンケート」の一次集計(単純集計)の結果について概要をお話ししました。全国の駅長さんたちが、いったいどんな思いでまちの駅に取組始めたか、そしてまちの駅になって自分自身や地域にどのような変化が現れたかなどについて集計した結果をスライド※で報告しました。
※使用したスライドは、こちらでご覧ください。

4 フォーラム「みんなで考えよう、まちの駅の課題」

○パネラー:参加者のみなさん
○コメンテーター:今泉重敏さん(まちづくり計画研究所代表取締役)
○コメンテーター:河井達志さん(鹿児島県まちの駅連絡協議会事務局長)
○コーディネーター:手嶋隆行(まちの駅ネットワークふくおか)
○書 記:山口 覚さん(NPO法人地域交流センター)

最初に地域ごとに、それぞれ代表の方にまちの駅の紹介をしてもらいました。そして県レベルのネットワークの参考事例として、河井さんに鹿児島県まちの駅連絡協議会の組織について事例紹介をしていただきました。

鹿児島県には現在81のまちの駅がありますが、県内を五つの地域ブロックで、それぞれのブロックごとに役員がいて、それぞれ自主的にユニークな事業を企画してお互いい意味で競い合っているそうです。またブロックの力も強くてブロック長会議で県組織全体のことがほぼ決まり、さらにはブロック間の交流もとても活発な様子で、来月行われる「まちの駅めぐり駅長会議」ではいろいろな地域のまちの駅をみんなで回っていき、最後に桜島で温泉につかって交流会をするということを企画しているとのことです。

鹿児島からの報告に続いて、いよいよディスカッションがはじまりました。ここでは「まちの駅の課題」というテーマを持ちながらも、あまりそれにこだわらずに、とにかくざっくばらんに意見を出してもらうことにしました。

まず芦屋町から質問があがりました。県内各地域のネットワークのうち、社会実験の段階でやっていくうちにつながりが崩れ、そのままたち行かなくなってしまった地域はないか、あればその原因は何だろうか、との内容でした。

これに対して今泉さんから次のような答えがありました。「崩れたところは2つあって、ひとつは那珂川町と、もうひとつは福岡県と熊本県にまたがる有明海沿岸の市町村で行ったまちの駅です。ただ那珂川町は崩れたと言うよりもお互いの関係を見直して良い方向へ再構築している段階で、近いうちにまちの駅が再スタートします。今その準備中です。しかし後者についてはまったく立ちゆかなくなってしまいました。これは行政主導で進めてしまったために、実際にまちの駅をやる人たちまで思いが届かなかったことが理由です」。

これに関して、まちの駅を行政主導で進めることの問題点がテーマになりました。行政主導で始めると最初は華々しいのですが、どうしても首長や担当者が代わったりするといつの間にかしぼんでしまいます。そのことについて北九州市若松でまちの駅を進めている区役所の職員の方から、「まちの駅を勉強していたときに、そのようなことを見聞きしていたので、若松では行政は最初からひとりの応援団としてあまり口出しをせずに、ただサポートしなければならないところだけさせていただいています」という報告がありました。また河井さんからも、鹿児島県では「行政は仲間に入りたいなら入れてあげる」といったスタンスで、とにかく民間主導で取り組んでいるというお話しがありました。

ただ一方で「まちの駅には行政も関わっているということで、駅長さんにとっても利用されるお客さんにとっても安心できる要素のひとつとなっているのでは」という意見がありました。特にまちの駅の知名度がまだ低い地域では、行政が持つ信頼性がまちの駅に一定のブランド力を与えていることも確かですので、行政と民間とがよい関係を持ちながらまちの駅に取り組んでいくことが大事ではないかということを、参加者のみなさんで確認しました。

次に宗像市赤間のまちの駅から相談が投げかけられました。赤間では駅前商店街の有志で昨年度からまちの駅に取組み始めましたが、今年から駅前の再開発が本格化したために今はお店自体がなく、さらにこの先いつから営業を再開できるか、そしてトイレを確保できるかどうかよくわからない状態だそうです。そのような中でどのようにまちの駅に取り組んだらよいかという相談でした。

これに対して会場の参加者から、「できる範囲でやればよいのではどうでしょう」、「再開発が終わってできた店からまちの駅を復活させて、できないお店はサポートに回れば続けられるのでは」というアイデアと励ましの声が寄せられました。

さらに続いてトイレに関して、「自分は小さなお店でまちの駅に取り組んでいますが、奧にある自宅用のトイレしかありません。防犯上誰でもそこに案内することに常々不安を覚えていますが、トイレを貸すことはまちの駅にとって不可欠なものなのでしょうか」という質問がありました。

これについても会場の参加者から、「近所の公衆トイレや公共施設のトイレでも、きちんと責任を持って案内できればよいのでは」というアドバイスがありました。また北九州市黒崎のまちの駅から、「まちの駅でトイレを貸すようになって、小さなお店だがとにかく常にトイレをきれいにしています。また四季折々のきれいな花も飾っています。それが知られるようになって、今まで店の前を通るだけだったお客さんが、わざわざトイレに立ち寄ってくれるようになり、そして世間話を交わすようにもなってきました。そのことだけでも大きな満足感を得ることができました」という報告があり、みなさんの心を動かしていました。

5 総括・閉会 ~上野春樹さん(甘木朝倉まちの駅連絡協議会事務局長・ほとめきの駅駅長)
「トイレのことが話題になりましたが、先日甘木朝倉ではまちの駅トイレコンテストをやりました。それが駅長たちのやる気を引き出したのではないかと思います。お客さんが知らないまちに来てトイレを借りるというのはとても勇気がいることです。でもこの不安な気持ちに優しく手をさしのべるのが、まさにまちの駅の原点だと思います。私は常々まちの駅を全国三千ヶ所、九州五百ヶ所を目指そうと言っていますが、どれだけ増えてもこの気持ちを忘れないことが大切だと思っています」。

◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇

この他にも様々な議論が交わされましたが、以上まちの駅ネットワークふくおかからの報告とさせていただきます。

最後にわたしの感想です。最初は会場の参加者とコメンテーターとのやりとりの往復でちょっとぎこちなかったものの、次第に参加者同士で議論が行われ、いろいろな課題に対して参加者が自分の意見を発表するということが繰り返されるようになり、そしてそれらが終始和やかな雰囲気のもとで行われました。このようにまちの駅の"わ"で、まちの駅の課題をまちの駅自らで解決しながら、福岡県のまちの駅はこれからもっと良いものに発展していくのではないかと思いました。まちの駅全国大会も意義あることですが、一方でこういった「顔の見えるおつきあい」のレベルでの交流の必要性についても、今回あらためて感じた次第です。 (まちの駅ネットワークふくおか)

2007年10月11日 (木)

第10回まちの駅全国大会in上野(東京)

 2007年10月7日(日)。さわやかな秋晴れの下、東京は上野にある東京国立博物館平成館大ホールで、「第10回まちの駅全国大会in上野」が開催されました。まちの駅ネットワークふくおかは、午前中のパネルディスカッションでコーディネーターを務めさせていただきましたので、以下その内容について報告したいと思います。

 パネルディスカッションが行われたのは、開会直後の10時20分から11時50分までの90分でした。テーマは「まちの駅はじめて物語」。いろいろなお店や施設、そしてひとつの地域でネットワークを組みながらといろいろな形で取組がなされているまちの駅ですが、それぞれの形の先駆けとなった五つのまちの駅の駅長さんたちに、はじめたときの想いなどを話していただこうという趣旨です。

1.まちの駅基礎講座

 ただし、今回まちの駅のことをはじめて聞く方もいらっしゃるようでしたので、最初の15分間はコーディネーターが簡単なまちの駅講座「15分でだいたいわかる・まちの駅基礎講座」をしました。
 内容はまちの駅のつくりかた、道の駅との違い、まちの駅の広がりと歴史、そして「まちの駅は心でできている」で、まちの駅はそれなりの建物を建てればできるというものではなく、既存の建物でそのなかにいる人がいかにやる気をもって来訪者をもてなすか、その気持ちがつくりだすものだということをお話ししました。

※基礎講座で使用したスライドは、こちらからご覧ください。

2.パネラー登壇&自己紹介

 そしていよいよ五人のパネラーさんたちの登壇です。まずそれぞれの自己紹介をしてもらいました。
 最初に、民間で初のまちの駅を立ち上げた富山県高岡市「まちの駅たかおか」の伏江努さん。続いてひとつの地域で複数のまちの駅がネットワークを組むスタイルを定着させた福岡県甘木・朝倉地域から「ほとめきの駅」(朝倉市)の馬場美由紀さん。三人目は道の駅がまちの駅にもなっている新潟県長岡市「道の駅良寛の里わしま『もてなし屋』」の山田勝さん。四人目は商店街でのまちの駅の本格的取組事例として静岡県富士市「吉原・東木戸のくすりやさん」の久保田保雄さん。最後に地元東京23区内ではじめてまちの駅、江戸川区から「パンの駅小松川」の原芳伸さんです。
 なお、このあとのパネラーさんたちのお話しは二つのパートに分けて行いました。
 まず発表1として「まちの駅はじめて物語」。これはそれぞれがまちの駅をはじめたきっかけやまちの駅をはじめて感じたこと、さらにはまちの駅をはじめてのエピソードを語ってもらうものです。
 続いて発表2ですが、「まちの駅よかった物語」。まちの駅を始めてから今までの経験で「よかった」と感じたことやそれぞれが考えるまちの駅の効果などについて、キーワードを発表してもらい、それを説明していただくことにしました。

3.発表1 まちの駅はじめて物語

(1) 民間としてはじめてのまちの駅 ~伏江努さん(富山県)
 発表の順番は自己紹介と同じで、はじめは伏江さんです。それまでは公共施設の中に設置されるスタイルが一般的だったまちの駅を、はじめて民間で立ち上げた「まちの駅たかおか」。
 地域における観光・交流人口の拡大などを目的としてはじめたとのことですが、これらの分野はそもそも行政の仕事だと考えられているのに、あえて民間でしかもこのために友人とふたりで1,800万円出資して株式会社をつくってまでしてまちの駅に取組はじめました。
 そんな伏江さんを動かしたのは、地域への愛着。そして動きの遅い行政には頼っていられないという熱き思いです。「まちの駅は出逢いの場である」という伏江さんの信念は、そこで行われた若手作家グループの作品展をきっかけに知り合ったカップルが誕生したことで、現実のものとなりました。

(2) まちの駅ネットワークのはじまり ~馬場美由紀さん(福岡県)
 馬場さんからは、「ほとめきの駅」としてよりも、甘木・朝倉地域64のまちの駅ネットワークの事務局としての取組を報告してもらいました。
 そもそもネットワーク型でまちの駅をやろうとしたきっかけは、当初この地域のまちの駅は観光案内所であるほとめきの駅一ヶ所でしたが、それだけでは十分に観光客のおもてなしをすることができず、それならまわりの商店などにもまちの駅になってもらおうと呼びかけたことにはじまるそうです。
 そして次第にまちの駅は増えていったのですが、それだけではネットワークとして続いていきません。そこで、ほとめきの駅は事務局として地域の特ダネ情報を毎週発行して各駅に配ったり、二ヶ月に一回駅長会議を開いて交流の機会を持ったりと、常にネットワークを動かし続ける努力を怠っていません。

(3) 道の駅でもまちの駅。まちの駅は形じゃない、心でできている ~山田勝さん(新潟県)
 機械メーカーを退職後、道の駅の駅長としてはじめて携わったサービス業。山田さんは、スタッフといっしょに慣れない仕事に試行錯誤の毎日です。
 それでも彼が常に心がけているのは、お客さんに対して一歩踏み出していこうとする姿勢。とにかくひとことでも良いからお客さんと会話をすることを、駅長自らが率先して行っています。いろいろ失敗もありましたが、それ以上にお客さんからあたたかい声をかけてもらうようになったそうです。
 そんな毎日の地道なおもてなしが積み重なり、次第に地域のコミュニケーションの拠点へとなってきました。まさに道の駅でありながらまちの駅でもある「もてなし屋」。近くのお味噌屋さんとローソク屋さんもまちの駅になり、これから連携-といっても特別なものではなく、日常のおつきあいからはじまる連携-をとっていこうとなさっています。
 形としては道の駅ですが、心はまさにまちの駅。
 そこで働くスタッフの気持ち次第で、道の駅だってまちの駅になれる、ということを示していただきました。

(4) 商店街を元気にしたい ~久保田保雄さん(静岡県)
 岳南鉄道吉原本町駅前の商店街で薬局を営む久保田さん。年々廃れていく商店街を何とか元気にしたい、でも商店街を元気にするには個店がやる気を持つことが大切、それではそれぞれの個店にどうやってやる気を持たせたらよいか、と以前から悩んでいました。
 そんなある日、県職員をなさっている息子さんから「まちの駅」のことを聞き、従来の商店街の枠組みにない魅力-やる気のある人が思いっきりがんばれるしくみ-を感じました。そして富士市役所が市内でまちの駅になるお店を募集していることを知り、すぐさま手をあげたそうです。
 今では市内40のまちの駅がお互い手を取り合って、街道ウォーキング(吉原は旧東海道の宿場町でした)など様々なイベントを行っています。また久保田さんのまちの駅独自の企画として「オリジナルだるまコンテスト」なども仕掛けました。そのとき企画・広報を手伝ってくれたのが、まちの駅のことを教えてくれた息子さん。今、息子さんとの二人三脚でまちを元気にしようとがんばっています。

(5) とにかくやってみよう ~原芳伸さん(東京都)
 小松川のパルプラザショッピングセンターは、高層団地の中にある小さな商店街。原さんはその中でパン屋さんを営んでおられます。この商店街で空き店舗を地域の交流スペースとしたところをどう活用していこうかと検討していたところ、地域交流センターからまちの駅にしたらという提案がありました。
 ただそこは無人なので、いっそ自分たちの店をまちの駅にしたらいいということで数名の有志が立ち上がったのですが、それでもまちの駅のことはよくわからずに不安だったそうです。しかし「自分たちは接客のプロなんだから、とにかく普段どおりのおもてなしでやってみよう」ということで、今年の三月、まちの駅をはじめることとなりました。
 またまちの駅と同じく地域交流センターから、群馬県みなかみ町との交流事業の提案もありました。パルプラザでみなかみ町の物産展や川をテーマにしたイベントをすることで利根川の上流と下流のまち同士がつながりあうという企画です。まちの駅スタートにあわせて今年三月に行われましたが、それをきかっけにお互いが仲良くなり、今度は小松川の皆さんが商店街の旅行でみなかみ町を訪ねたりと、行ったり来たりのつきあいをするようになりました。今では商店街の福引きでみなかみ町の特産品をプレゼントしたりと、地域の方にも喜んでもらっているそうです。

4.発表2 まちの駅よかった物語

 続いて発表2では、まちの駅になって良かったことは何か、それぞれキーワードを掲げてもらって説明してもらいました(ここでは、パネラーからのそれぞれのキーワードと発言を要約したものを紹介します)。

(1) 出逢いと感動 ~伏江努さん(富山県)
「まちの駅になったおかげで自分自身いろいろな出会いがあり、またまちの駅で様々な出逢いを提供することで、感動することがたくさんありました。まちの駅はまさに出逢いの場だと思います」。

(2) 人が変わる ~馬場美由紀さん(福岡県)
「まちの駅でありながら、その取組に否定的だったあるお店の奥さん。事務局として地道に訪ねてパンフレットを置いたり、駅長会議に誘ったりしているうちに、いつの間にか積極的に協力してくれる存在になりました。まちの駅には人を変える力がありますね」。

(3) 人と出逢いの素晴らしさの発見 ~山田勝さん(新潟県)
「たくさんのひとに支えられて、この駅は成り立っています。先日の地震で被災した方からも、(自ら被災されているにもかかわらず)道の駅は大丈夫だったかね?と声をかけてもらい、あらためて人との出逢いの素晴らしさを知りました」。

(4) 半公半民(公と民の良いところを活かして) ~久保田保雄さん(静岡県)
「富士市のまちの駅は主に民間がやっている取組ですが、行政の強い応援もあることが強みです。行政が持っている対外的な信用などをうまく使いながら、マスコミへの情報提供等、商店が単独でやるよりもずっとやりやすいと思います。もちろん民間がもつ柔軟性で行政ができないことも自由にやれ、やりがい、生き甲斐がより高まっています。まさに公と民の良いところを活かしたものだと思います。またまちの駅をきかっけに、息子たちが様々な面で自分を支えてくれるようになり、家族の絆がずっと深まりました」。

(5) 出会いと交流から生まれる「ばか者、わか者、よそ者」による地域活性化 ~原芳伸さん(東京都)
「地域交流センターとの出会い以来まだ半年なのに、まちの駅、みなかみ町、そして最近では芝浦工大の学生さんたちと、小さな商店街にいろいろな風が吹き込んできています。まちの駅に取り組むときにはとまどいもありましたが、今はそのおかげでいろいろひとに出会え本当に良かったと思います。まさに『ばか者、わか者、よそ者』を実感しているところですが、もっとわれわれ『ばか者』ががんばらないといけないなとあらためて思っているところです」。

5.まとめ

 最後にコーディネーターが、今回のまとめをしました。といっても、これまですでに分かりやすいかたちでキーワードや、まちづくりのヒントがパネラーの皆さんから示されましたので、あえてそれらをまとめることはせず、まちの駅10年目にあたり未来に向けてのまちの駅の可能性を考えることにしました。

 これからまちの駅はどこに向かっていくのでしょう。おもてなしの機能に加えいろいろな新しい機能が付け加えられていくかもしれませんが、今のわたしにはよくわかりません。ただひとつ言える確実なことは、これまで10年間のまちの駅の進化はすべて、毎日毎日、地道にお客さんをおもてなしてらっしゃるまちの駅の現場から生まれてきたと言うことで、当然これから10年の進化も、まちの駅の現場からひとりひとりの駅長さん、駅員さん、そしてそこに集まる市民の皆さんの間から生まれてくるものだということです。
 そして二枚のスライドをみていただきました。それは、先日全国のまちの駅に対して行った「まちの駅・駅長さんアンケート」の結果の一部。「あなたのまちの駅で今後どのようなことに取り組んでみたいですか」という質問で、防犯、防災、環境保護、地域文化保護など様々な分野に対して聞いたところ、多くの駅長さんたちが積極的に取り組んでみたいと答えてらっしゃることがわかりました。
 ひょっとするとこの中からまちの駅の新しい機能が生まれてくるかもしれません。なぜなら、すでに述べたとおりまちの駅の進化は、まちの駅の現場から生まれてくるからです。
 さて、これからまちの駅はどのように進化していくのでしょう。
 10年後の2017年。第20回まちの駅全国大会で、駅長さんたちからどんなお話しが聞けるのか。今から楽しみです。

2007年3月24日 (土)

思いかなった まちの駅「思季彩館」

「まちづくりストーリー」平成17年12月5日号でご紹介した、栃木県小山市の「根っこの会」のみなさん。

空洞化が進む中心部を少しでも元気にしたいと、根っこの会のメンバーが中心になって新たに取り組んでいるのが、「まちの駅」です。

平成18年11月から、JR小山駅西口に12のまちの駅がスタート。さらに今日、キーステーションとなるまちの駅「思季彩館(しきさいかん)」がオープンしました。

ここは、元・乾物店だった商家風の建物を、市が「まちの駅」として整備したもの。

敷地内には「思季彩館」のほか、サロンコンサートやお話会にぴったりの石蔵「おやま開運館」や、街中には貴重な井戸「評定開運水」、水琴窟、鹿おどしの音が響くお庭、まちの駅の必須アイテム=トイレがあります。

根っこの会のメンバーは、まちの駅「思季彩館」の喫茶部門を担当。駅のイメージカラー・うぐいす色のおそろいのエプロン姿で、厨房に立ちます。この日を迎えるまでに、店内のインテリアや食器選び、コーヒーのおいしい入れ方などを、熱心に研究。さらに約1ヶ月前の2月半ばには、同じような建物で、同じように食事の提供をしている女性グループを訪ねて、福岡県への視察旅行も実施しました。

家業+主婦業+根っこの会の今までの事業+自分のお店の「まちの駅」活動。これだけでも多忙な日々の彼女たちが、さらに「思季彩館」の運営に情熱を燃やす理由とは、一体何なのでしょうか。

「私たちのほとんどは、小山市外からここへ嫁いできました。縁あって終の棲家となったこの地で、これからもずっと楽しく暮らすために、みんなが気軽に集まって、お茶を飲みながら、おしゃべりできる場所がほしかった。ないなら自分たちで作ろう、と今回の事業に参加することにしたのです。」

そう語ってくださった根っこの会代表の清水さんは、待ちに待った「思季彩館」のオープンに、「『成せば成る』んですね」とも話していらっしゃいました。

「市中の山居」の趣きを持つ建物で、庭を眺めながら飲むコーヒーは格別の味。

まちの駅「思季彩館」は、これから街に元気を、そして住む人にやすらぎのひとときを与えていってくれるのだと思います。

                       (まちの駅ネットワークとちぎ)

2007年2月19日 (月)

動き続けるまちの駅~再び富士市にて

先月に引き続き、静岡県富士市を訪れました。今回は富士市が主催する「おもてなし講演会」の講師として。講演開始は夜7時からでしたが、昨年新しくまちの駅になったところを中心に見てみたいと思っていたので、少し早めに市内に入り、あらかじめお願いしていた富士市役所の担当者の方の案内で6つのまちの駅に連れて行っていただきました。

見せていただいたまちの駅は、酒屋さん、郵便局、その隣の酒屋さん、お寺、床屋さん、そして旅館です。初めてのと ころばかりでしたが、いずれのまちの駅も「動いているな」と思わせるところばかりでした。

最初の酒屋さんでは「向こうの橋からこちらの橋まで、この集落のことだったら何でも知ってるよ」という駅長さんのお母さんが、おもしろい話をたくさんしてくださいました。

次の郵便局では駅長さん(郵便局長さん)が記念切手やまちの情報をわかりやすくディスプレイしておられました。

もうひとつの酒屋さんはその郵便局の隣ですが、お店の奥にゆっくりとくつろげるスペースがあり、きれいに片づけられていました。駅長さんはギターが上手で、楽譜を持ってくれば、何でも弾いてあげますよとのことでした。

蓮の花で有名なお寺には内にも外にも休憩コーナーがあって、内側のコーナーには、年中いつでもきれいな蓮を楽しんでもらいたいと、壁一面に蓮の写真が飾られていました。

床屋さんは、店のまわりの名所や歴史について自分で調べたことをチラシにまとめ、訪ねてこられた方にわたしているとのことでした。

最後に訪れた旅館は旧東海道に面していて、昔大きなお屋敷があった跡に建てられたそうですが、ロビーにはそのお屋敷の写真や東海道の歴史パネルなどが展示されていました。また「まちの駅弁」を作って、旧東海道をウォーキングで旅行する人たちに販売しているとのことでした。

このように自ら考えて動いている駅長さんたちに出会って感動したあと、いよいよ夜7時から講演会がはじまりました。わたしはこれまでいろいろなまちの駅を訪ねて見聞きしたことをそのまま伝えるつもりで、駅長さんたちの言葉を紹介し、時には実際に駅長さんがまちの駅について語っている場面を動画で見ていただきました。

そして講演が終わった後、場所をとあるまちの駅に移し、有志の方々がわたしを囲んでの茶話会を開いてくださいました。皆さんひとりひとり講演の感想を発表していただきましたが、そこでもあたたかい、そして時に熱いメッセージをたくさんいただきました。ある方がこんな風におっしゃってくれました。

「今までまちの駅をやるのに、どうしても肩に力が入っていた。でも今日の話を聞いて、やれる範囲でいいんだ、もっと楽に、まずは自分が楽しんでやればいいんだとわかって、少し気が楽になりました」。

自分が伝えたかったことがきちんと伝わっていました。

ところで講演の最後に紹介させていただいた言葉があります。これは富士市まちの駅のひとつ「憩いの茶の間」駅長であり、山大園というお茶屋さんの店長の渡辺さんが作られた「富士市まちの駅・五つの心構え」です。もちろんこれは富士市のみならず、全国のまちの駅に当てはまるもの だと思いますので、ここでも紹介したいと思います。

「富士市まちの駅・五つの心構え」
1.出会い、ふれ合い、ゆずり愛
2.地道にコツコツ・・・長~いおつきあい
3.身の丈に合った おもてなし
4.愚痴は言わずに、いい事探し
5.頑張らなくてもいいけど、あきらめない

2007年2月 3日 (土)

ささえるひとたち~富士市にて

焼津市で研修の講師を務めた次の日に、富士市のまちの駅を訪ねてみることにしました。富士市では一昨年(2005年)の10月から本格的なまちの駅の取組みがなされていて、現在40の商店などがまちの駅として、まちを訪れたひとにさまざまなおもてなしをしています。

まちの駅は市内全域にあるのですが、中でも多いのはJR富士駅と岳南鉄道吉原本町駅の周辺です。どちらも富士市の中心商店街なのですが、今回わたしは後者の吉原商店街を主に訪ねました。ここは旧東海道の宿場のひとつ「吉原宿」で発展してきた歴史ある商店街です。

この街で薬屋を営んでおられる方が「吉原宿・東木戸のくすりやさん」としてまちの駅をやっておられ、その息子さんKさんはわたしと同じ公務員なのですが、一市民としてこの富士市のまちの駅の応援をなさっておられます。今回彼にいくつかのまちの駅を案内していただくことにしました。

おりしも「有志」駅長さんたちの連携企画として、「凧たこ展」が行われておりました。これはKさんをはじめ、まちの駅に関係する方々が集められた日本や世界の凧を、4つのまちの駅で展示するというものです。もちろん、「吉原宿・東木戸のくすりやさん」でも「世界の珍凧・奇凧大集合!」ということで、薬屋さんの壁や天井に色とりどりの凧、変わった形の凧がたくさん展示されておりました。

ここ富士市まちの駅のすばらしいところは、このように常に動いているということです。

これまでも歴史の名所を巡る「富士川の合戦古戦場とまちの駅を訪ねる秋のウオーキング」など様々なイベントがまちの駅を拠点として行われ、多くの参加者を集めてきました。おそらく一般市民の方々にもこういう企画を通して少しずつまちの駅が知られるようになってきたことでしょう。でももっとすばらしいのは、これが「有志」が自分たちで企画してやっているということです。この「有志」にはまちの駅の駅長さんだけでなく、Kさんのような企画のスペシャリストがいて、「まちの駅応援団」としてしっかりと支えてくれているのです。だから、洗練され、しかもしっかりとした内容になっています。

そのあと、Kさんに他のまちの駅を案内してもらいましたが、どのまちの駅の駅長さんも、元気でやる気があって、ユニークな方ばかりでした。ささえるひとたちがいて、そして駅長さんたちがいきいきとおもてなしをして、しかもそれを皆さんが楽しんでやってらっしゃる。これからも楽しみです、富士市のまちの駅。

2007年1月23日 (火)

おもてなしの心~焼津にて

半年ぶりに焼津に行きました。前回は昨年の梅雨の終わり頃。もうすぐ海の季節がはじまろうというころでしたが、今回は真冬。といっても今年は暖冬で少し着込んで行ったので、もともと温暖な焼津の街ではほとんど寒さを感じることはありませんでした。

今回の目的は夜に行われる「おもてなし講座」で、わたしがまちの駅を通してこれまで見聞きしてきたさまざまな「おもてなし」のお話をするというものです。前日の夜行バスで京都を発って、焼津についたのは朝早くでしたので、夜の講演まで街をぶらぶら歩いてみようと思いました。

焼津では今、47の商店や施設がまちの駅に取り組んでいます。
http://www.yaizu-machinoeki.com/
キーワードは「おもてなしの心」。「おもてなし講座」で勉強会をしようというのもその一環なのですが、とにかく焼津に来たひとを少しでもあたたかくもてなそうと、皆さんがんばっておられます。

P1000551 そこでまちの駅を中心に、まちめぐりをすることにしました。あちこちいろいろな方々に出会いました。駅前の観光協会では小泉八雲と焼津の関わりについて興味深いお話を聞かせていただきました。カメラ屋さんでは港までの場所を聞くと、ちょっとそこだからということでわざわざ車で連れて行ってくださいました。焼津浜にある食堂では、駅長さんが海を見ながらまちの駅への思いを語ってくださいました。

やがておなかがすいたので、焼津名物のおでんをいただくことにしました。おでん屋さんもまちの駅です。土曜日の昼下がりということもあって、お客さんは他にほとんどいませんでした。焼津に行ったのは4回目ですが、おでんを食べるのは初めてです。おかみさんに聞くと、他の地域では飲み屋や屋台のメニューとして当たり前だけど、焼津のおでんはもともと駄菓子屋でおやつ代わりに出していたのがそもそもの姿なんだそうです。ちょうど東京のもんじゃ焼きのようです。食べ方も変わっていて、辛子ではなくこってりした味噌をつけて、さらに青のりと鰹節を細かく刻んだものをふりかけて食べます。まさにもんじゃ焼きのようで、ごはんのおかずというよりも本当におやつのように、軽く食べることができます。

それでもごはんとお味噌汁もいただいて、おなかも満たされてきました。次にどこに行く当てもないので、しばらくおかみさんのお話を聞かせていただきました。

生まれは北海道ですが、いろいろな商売を経てやっとこの焼津で、このおでん屋を開くことになったそうです。

「客商売やってると人間関係でいろいろ辛いこともあってね。嫌だと思うこともありますよ。でも後から考えると、そういったことが実は楽しいんだね。だって今でも続けてるんだもの」。静かな店内。おでんの湯気の向こうで、おかみさんが笑顔でそう語ります。

「このまちはね。全国からたくさんのひとたちが出稼ぎに来て、船に乗って遠洋に出て行く。それで1ヶ月か2ヶ月たつと船がもどってくる。その時は船員さんたち休暇が短かったからみんな家族を呼び寄せてね、この焼津に。だから街はいつもたくさんのひとでお祭り騒ぎでした。その時の名残かね、殿様商売は。売れなくなっても、売れるように努力をしない。今は船員さんたちも家族を呼ぶことはなしに休暇をとって家族のところに帰って行くので、まちはいつもがらんとしている。ご覧のとおり淋しいまちですよ、今は。でも、焼津のひとはよそから来たひとは誰でも受け入れることができる世話好きのひとたちばかり。それがもう少しそとからのお客さんに伝わるといいんですけどね」。

「おもてなしの心」。焼津の皆さんは、すでに十分持ってらっしゃるようです。

2006年12月29日 (金)

まちの駅スタンプラリーに参加して

大分県豊後大野市のまちの駅が行っているスタンプラリーに参加してきました。当NPO活動の性格上、調査研究や取材のため「まちの駅」を訪ねることは多いのですが、一般の立場でスタンプカードをもってまちの駅を回るのは初めての経験でした。

今回訪れた豊後大野市は2006年3月末に旧大野郡5町2村が合併してできた新しい市ですが、その面積は603平方キロにも達し、福岡市や甘木・朝倉地域の2倍弱の広さを持っています。しかしそのほとんどは山林で各集落間はかなり離れていて、合併後間もないこともあって旧町村間のまとまりはまだないということです。そのため市では「一体感の持てるまちづくり」をめざすため、施策のひとつとしてまちの駅を立ち上げて、それらのネットワークを作っていこうとしているそうです。現在41の商店等でまちの駅が取り組まれています。

この市でのまちの駅については、10月末に市の担当者さんからメールをいただいて気にはなっていたのですが、年末で少し時間の余裕ができましたのと、先日再び担当者さんからスタンプラリーをはじめましたとのご案内をいただいたため、急遽思い立って行ってみることにしました。

中心駅はJR三重町駅。大分駅からディーゼルの各駅停車で50分ほど、トンネルや鉄橋を何度も抜けてたどり着いたのは、山に囲まれた小さな町の小さな駅でした。駅前の観光案内所で地図をもらい、駅前商店街を少し歩くと小さな写真屋さんにたどり着きました。

ここがこの市のまちの駅のひとつ「アートの駅」です。061228000 最初は写真を撮りに来たお客さんと思われたようですが、「スタンプカードをください」と言うと、「ああ、まちの駅をめぐっているんですか」ということで、スタンプを押してくれてその後、「よかったら絵を見ていってください」と奧に通していただきました。そこには作業場があって、店長さんご自身が描かれた油絵がたくさん掲げられていました。「風景画ですが、そこにある風景そのままというよりも自分の心の中身を投影して描いているんですよ」と店長さん。写真はあくまで仕事、趣味は専ら油絵だそうで、それを見てもらいたいのと、もともと店頭で観光マップをおいてまちの案内をしていたので、市の呼びかけに二つ返事でまちの駅「アートの駅」になったそうです。

それから市役所(旧三重町役場庁舎)に行って、メールをいただいた担当者さんおふたりにお会いしました。年末の忙しい時で、しかも連絡もなしに突然うかがったにもかかわらず、あたたかくもてなしてくださって、さらにまちを案内してもくださいました。

午後からは緒方駅近くにある俚楽の郷伝承体験館「ゆったり工芸の駅」061228001を訪ね、川の生き物の専門家でいらっしゃる駅長さんと少しお話をしたあと、今度は列車で三重町を過ぎて犬飼駅に向かい、駅から少し離れたところの小さな商店街にあるお菓子屋さんのまちの駅二か所にいきました。 どちらの店長さんも「スタンプラリーで回ってます」と言うと、「よう来なさったね」と、そのまちについてのいろいろなお話をしてくださいました。師走とは思えないほど、静かで、ゆったりとした時を過ごさせてもらいました。

41のうち回ることができたのはたった8駅でしたが、どこでもいろいろなお話を聞くことができ、すっかりこのまちが好きになりました。

ところで今回やっとわかりました、スタンプラリーの効果が。

普通はたとえそこがまちの駅とわかっていても、店に入ると何か買わないといけないような気になるものですが、台紙にスタンプを押してもらうという「目的」があると、気軽に入ってお店のひとに話しかけることができます。逆にお店のひとも「ああこのお客さんはスタンプラリーで回っているんだ」と思うと、いろんなお話をしてあげようということになります。

スタンプラリーって何かイベント的なイメージがあって、まちの駅の趣旨と合うのかなという疑問が少しありましたが、来訪者とまちの駅が心をつなぐきっかけとなるのが、このスタンプカードなんですね。そう思うと、いろいろな形と大きさで押されたスタンプ、そしてこれらに彩られて少ししわがよったこの厚紙のカードが、なんだかとてもあたたかいものに思えてきました。

何ごとも実際にやってみないとわからないものです。今さらお恥ずかしい話ですが。

2006年10月29日 (日)

"Machinoeki" in Melbourne

10月25日(水)。メルボルンは朝から霧雨でした。昨日までの青空の下では街は明るくいかにもオーストラリア的だったのですが、厚い雲の下で大聖堂が厳かにたたずみ、この日のメルボルンはしっとりと落ち着いたヨーロッパの顔を見せていました。

この日は"Melbourne WALK21 2006"の最終日。午前中の分科会で"Machinoeki"についてプレゼンテーションしました。会場はメルボルン中心部を緩やかに流れるヤラ川の河畔にある Melbourne Exhibition and Convention Centre。再開発された広い空間に銀色の大きな屋根が光っています。さてこのWALK21は前回お知らせしたように国際学会といっても学者中心で難しい抽象的な理論が飛び交うものではなく、健康のためには歩くことが大切で、そのために歩く人が歩きやすい街をつくるにはどうしたらよいかを具体的に考える、NPOや政府関係者などいわゆる実践者による研究大会といった色彩を帯びています。そのため参加者の服装もラフで、トレーナーにスニーカーの人もたくさんいました。

P1000415_2 予定の9時をかなり回ったころ、やっとこの日最初の全体会がはじまりました。司会者の簡単な挨拶のあと、まずオーストラリア保健・高齢化相 Minister for Health and Ageing の The Hon Tony Abbott 氏の講演がありました。氏は「車社会のオーストラリアでは肥満が深刻な問題になっている。もっと人が努めて歩くような政策を展開をしていかないといけない」と語り、終了後大きな拍手とたくさんの質問を受けていました。また同じくオーストラリアのウォーキング協会の会長さんが、公共広告を使った歩行者を守るためのキャンペーンを、実際のCMを会場に写しながらわかりやすく話してくださったあと、英国のトラスト団体 Heritage and Economic Regeneration Trust の Michael Loveday 氏が、同団体が行っている街の広場をコミュニティの拠点として活性化した取組みを紹介してくださいました。彼は「拠り所」の必要性を切々と語り、広場と商店・施設との違いこそあれ、まちの駅に通じるものがあるなと、わたしは思いました。

P1000438_2 そして、11時を過ぎいよいよ分科会です。わたしが発表させていただいた分科会のテーマは、National And State Strategic Issues(国や州の重要な課題)でした。司会はさきほど全大会で発表してくださった Michael Loveday 氏。いつも笑顔のとても気さくな方です。発表者はわたしも含めて三人。あとの二人は西オーストラリア州政府の Alice Haning さん、ニージーランド国土交通省の Jane Mudford さんがそれぞれ、歩行者を車から守るための取組みについてソフト・ハード両面から語ってくださいました。

そして最後にわたしの発表です。タイトルは Creating Sustainable Cities through “Machinoeki”- Ongoing Attempts to Revitalize City Centers in Japan -、長いのですが、つまりは「まちの駅からはじまるまちづくり」です。

P1000420_2 まず、日本の重要な課題として高齢社会と中心市街地の衰退があり、その両方の問題に対処するために都市が歩きやすい空間にならなければならないと提起。そのためのツールとしてまちの駅の取組みを紹介しました。さらには商店がまちの駅になることによって商店主の意識が変わり、市民主体のまちづくりが起こっている事例もお話しました。

そして最後にそういった地道な活動の積み重ねにより、「街は "more walkable,more interesting, and more comfortable"(より歩きやすく、よりおもしろく、より快適に)なる」と締めくくりました。

12分くらいの発表時間でしたが、説明用のパワーポイントには、できるだけたくさんのまちの駅駅長さんたちの笑顔を入れ、日本では今おもてなしの心とあたたかい笑顔で街を再生しているということを特に強調しました。

この分科会の参加者は少なく約15名でしたが、皆さん真剣に聴いてくださいました。三人の発表が終ってまとめて質疑応答の時間となりましたが、最後の発表だったということもあって、まちの駅については質問が集中しました。

P1000446_2 その主なものは、「まちの駅は歩行者にとってどんな意味があるのか」「まちの駅には人々が気軽に訪れることができるのはよいと思うが、それゆえの治安上の問題はないのか」「(道の駅のように)まちの駅も世界に広げたいか」などでした。なお、英語が苦手なわたしに代わって、この質疑応答は宇都宮共和大学の古池教授に対応していただきました。古池教授はひとつひとつの質問に、事例も踏まえながらわかりやすく回答してくださいました。

これですぐにまちの駅が世界に広がるとは思いませんが、まちの駅の「こころ」で街を再生する試みが外国の方にも知っていただけただけで意義は大きかったと思います。

P1000344_2 午前のプログラムが終ったのは、午後2時をまわっていました。外に出ると、朝とはうって変わってオーストラリアの底抜けに明るい青空が広がっていました。

2006年10月10日 (火)

まちの駅 駅長さんの原動力

すっかりご無沙汰の、まちの駅ネットワークとちぎ(まねとち) 吉田です。

今回お届けするのは、会津若松市で開催された「まちの駅全国大会」の基調講演 「まちの駅の現状と課題」の一節です。

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まちの駅応援団として、全国各地のまちの駅でたくさんの駅長さんに会う中で、駅長さんにとってまちの駅の「看板」が持つ意味には3つの種類があると考えています。

第1のグループは、「トイレを貸したり、道案内したりなんて、ずっと前からやっていたよ」、という駅長さん。この方たちにとって看板は、今までの活動への「意義付け」です。

第2のグループは、「街のために何かやってみたかったのよ。まちの駅なら私にもできるわ」、ということで始めた駅長さん。 この方たちにとって、看板はまちづくり活動への「きっかけ」です。

第3のグループは、「人に誘われてしぶしぶまちの駅を始めてみたら、すっかりはまってしまった」、という駅長さん。この方たちにとって看板は、自分の中に眠っていたまちを愛するこころ、への「気づき」です。

 駅長さんにとって、この看板が「意義付け」であれ、「きっかけ」であれ、「気づき」であれ、そして駅長さんがどんなにまちを愛するこころ、おもてなしのこころにあふれていても、日々の仕事をしながらまちの駅の活動も続けるのは、決してたやすいことではないはずです。

 では、駅長さんにとってまちの駅の活動を支えているもの、その原動力は何なのでしょうか。

 ここに1冊の本があります。

 061009000『馬頭のカバちゃん』。「馬の頭のカバ」ってインパクトのあるタイトルですが、これは栃木県馬頭町(現・那珂川町)に住む樺島弘文さんの著書です。

 樺島さんは、数年前に東京から馬頭へ移住した方で、馬頭にある20のまちの駅の駅長さんともお友達。

 本の中で樺島さんは、まちの駅とともに、馬頭のまちの駅のキーパーソンである焼物の駅の駅長・藤田真一さんの印象に残こる発言として、こんな言葉を紹介しています。

 「いちばん大切なのはやっている自分たちが楽しいこと。まず私たちが楽しくないと、観光に来た人も楽しくならないから。まちの駅は補助金など一切もらわずに、手作りのものにしたい。好きなようにやっていこう。」

自分たちが楽しいこと、これこそが駅長さんを支える力なのだろうと思います。

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自分たちにできることを、できる範囲で、楽しみながら、気負わずに続けていく。
これが「まちの駅」にとっての、そして「市民によるまちづくり」にとっての、秘訣なのかもしれません。

※『馬頭のカバちゃん -田舎暮らし奮闘記』 樺島弘文著 日経BP社発行 2006年7月

                             (まちの駅ネットワークとちぎ)

2006年10月 9日 (月)

筑前黒崎宿場まつり

 2006年10月8日(日)。北九州市黒崎で行われた筑前黒崎宿場まつりで、まちの駅つながりの物産展が行われたので、お手伝いにいってきました。
 このお祭りは黒崎が旧長崎街道の宿場町でにぎわった頃を再現しようと、年一回秋に黒崎商店街を中心に行われています。  今年で18年目ということですが、昨年度からメインの会場が黒崎小学校に置かれ、仮設のステージでは歌や踊りが披露されたり、校庭の中央にはたくさんの物産販売やバザーが設置されています。
 その中のひとつが、福岡県内でまちの駅に取り組んでいる地域の物産を販売するコーナーです。
P1000291_1  まちの駅の幟がはためくテント内のテーブルには、今回芦屋町、宮若市、朝倉市(甘木・朝倉地域)の各観光協会が作成した観光パンフレットが所狭しと、また、梨、栗、ぶどう、ウニ、お菓子等各地域の特産物も色鮮やかに並べられていました。
 当日は10月なのにとても暑い日で、また小学校の校庭なので照り返しがそれに追い打ちをかけて会場の気温はぐんぐんあがり、歩く人も少なかったのですが、それでも珍しい物産や旬の果物を求めてたくさんのひとがテントをのぞいていってくれました。
P1000286_1 またステージでは甘木・朝倉まちの駅の紹介をさせていただくコーナーも設けてくださったので、観光協会の方と一緒に物産紹介とまちの駅の説明をさせていただきました。ここ黒崎には8つのまちの駅があることも手伝ってか、結構皆さんまちの駅のことをご存じのようでした。テントに置かれた甘木・朝倉まちの駅のパンフレットもかなりなくなっていきました。
 今回の物産展は黒崎まちの駅の皆さんが県内の関係者に呼びかけ、それを各地域が快く受けることで実現したのですが、このようにあまり気負うことなく自然な形で連携事業ができるようになったことに、福岡県まちの駅の成熟を感じました。とにかくここに参加した皆さんの仲が良いのが、これからの盛り上がりを期待させるイベントでした。

2006年10月 7日 (土)

まちの駅の課題 - 第9回まちの駅全国フォーラムin会津若松に参加して - (後編)

基調講演も無事終わり、地元会津まちの駅の取り組み紹介があった後は、各会場に分かれての分科会です。わたしは再び吉田さんと第4分科会の運営を担当することとなりました。この分科会のテーマは、「もうすぐ1000箇所。今後の展開に向けてのブランド戦略」。つまり前回ご紹介した基調講演でわたしたちが指摘した「まちの駅の課題」を踏まえて、それについてより深く議論していこうという趣旨で設けられた分科会です。

コーディネーターは基調講演に引き続き吉田さん。そしてわたしは冒頭で問題提起をさせていただきました。

まず基調講演で紹介した現在まちの駅におこっている3つの問題を再度紹介した後、「このままではまちの駅は何でもありの状態になってしまい、まちの駅がまちの駅でなくなってしまう」と指摘。それを「まちの駅の危機」として、「この危機を打開するためにはまちの駅が提供する一定のサービス基準を定め、それを厳格にまちの駅に適用することによって、最終的にはまちの駅ブランドを確立すべきなのではないか」という提言をさせていただきました。もちろん、ボランティアベースで進んできたまちの駅にとって、そんなフランチャイズのような手法を導入することが、ある意味「過激」なものであることはわたし自身承知のうえでした。でもこれからはいい話だけしててもだめで、影の部分にもきちんと触れていかないといけない時期ではないかと思って、あえてこのような提言をすることにしたのです。


わたしの提言を受けて、広告代理店OBの方から発言をいただきました。彼は地域ブランドのお仕事に関わられた経験から次のように語ってくださいま060930001した。「地域ブランドの確立には、行政主導よりも住民ひとりひとりのおもてなしの心があることが大切。それはまちの駅のコンセプトにも通じるが、重要なのはブランドは仕掛ける側ではなく、あくまでも顧客がつくりだすものである」。

これを受けて参加者から、事例をふまえたお話がたくさん出ました。ある地域からは、「まちの駅めぐりのスタンプラリーをやったが、そのときだけは客が多かった。でもラリーが終わるとぱたりと客が来なくなり、まちの駅のやる気もなくなってしまった」との報告がありました。それに対して、スタンプラリーを顧客側にたった発想でなく、まちの駅をやる側の論理で無理にやってしまった結果ではないかという意見もありました。

その後も、「何のためにまちの駅をするのか、各駅がもういちど考えてみるべきではないか」「まちの駅をやって、自らが誇りを感じられるようなしくみをつくるべきではないか」「まずは全国のまちの駅がつながりあって、お互い切磋琢磨してレベルを上げていくべきではないか」「防犯、コミュニティの拠点など、まちの駅にもっと付加価値をつけるべきではないか」等々、活発な意見が次から次に出ました。

もちろんこの場で結論がでることは全く期待していませんでしたが、まちの駅のブランド戦略はみんなが考えていることであり、一握りのプロデューサーがつくっていくものではなく、まちの駅の現場も応援団もみんなで力を合わせて地道に考えていかなければならないことなのだと感じました。なおこの分科会については確かに「想像していた内容とは違った」との失望の声もありましたが、その反面「成功例よりも失敗例の話が聞けて来た甲斐があった」「本物の話がきけて良かった」と評価してくださる意見もあり、賛否両論といったところだったと思います。

さて分科会が終わって、再び全体会が開かれました。5つの分科会からの報告ののち、宇都宮共和大学の古池弘隆教授に全体を総括していただきました。その中で、「危機論が出てきたことが、まちの駅が本物になってきつつある証拠だ。まちの駅は今新しい段階に入ってきた」とあり、第4分科会を評価してくださいました。重い主題でしたが、まちの駅の課題に対して避けることなしに真正面から向かっていくこと。これからのわたしたちに課せられた使命なんだろうなとあらためて思いました。

(「まちの駅の課題」おわり)

2006年10月 5日 (木)

まちの駅の課題 - 第9回まちの駅全国フォーラムin会津若松に参加して - (前編)

9月30日(土)。福島県会津若松市の市街地から少し山の方に入った東山温泉。その中でひときわ高いタワーがそびえ立つホテルの御宿「東鳳」で、「第9回まちの駅全国フォーラムin会津若松」が開催されました。

きびきびと準備に動いてらっしゃる地元の青年会議所の方々に気持ちよく迎えられて会場に入ると、たくさんの参加者の中に懐かしいお顔もちらほら。以前栃木県や静岡県でわたしが取材に伺ったり、講演をさせていただいたときに知り合いになったまちの駅の仲間たちです。久しぶりの再会に、お互い熱い握手を交わしあいました。060930000_1

午後1時30分に開会。この日のためにつくられた大会イメージビデオが華々しいオープニングを飾ったあと、市長挨拶、まちの駅連絡協議会田中事務局長の全体説明と続き、その後にこのブログの共同執筆者でもある「まちの駅ネットワークとちぎ」の吉田恵子さんによる基調講演「まちの駅の現状と課題」がはじまりました。

この講演のスライド制作はわたしも協力したのですが、「まちの駅とは」からはじまって、見聞きしてきた事例を紹介しながら「まちの駅の効果」を示した後、今まであまり触れられることがなかった「まちの駅の課題」にも言及しました。それは次のとおりです。

そもそも草の根ベースではじまったまちの駅なのですが、最近商工会や行政の支援を受けながら全国的に増えていることもあって、それがゆえの問題も発生してきています。

まちの駅にはなったものの、店員さんたちにその意識がなく、店の商品を買わずにトイレを借りることが気まずくなるような「まちの駅」があったり、月に一度しか開かれない、入るのに入場料を取ったりする「まちの駅」が現れたり、登録商標である「まちの駅」の名称を勝手に使った施設も現れてきているのが、それです。

これらの問題が生じている原因は大きく分けてふたつ。まちの駅の知名度の低さと、ブランド力の弱さです。「誰でもできる」というのが、まちの駅の良さなのですが、それ故にいろいろなまちの駅が生まれてしまい、ユーザーの側に確固としたイメージがいつになってもつくられない、また勝手にまちの駅がつくられてしまう、そしてまちの駅のブランドはいつになっても形成されないの悪循環です。

そういったことを指摘し、基調講演が終わりました。(後編につづく)

2006年9月26日 (火)

まちの駅全国大会、ふたたび

060930000 今年の2月に福岡県の甘木・朝倉で行われたまちの駅全国大会。全国各地から350人を超える方々に参加いただいて、様々な議論が交わされました。そして「地域が元気になる」まちの駅をめざして、ひとつひとつのまちの駅、そしてまちの駅を支える応援団ひとりひとりが、毎日地道に取り組んでいこうという宣言を採択して終わりました。

あれから約半年。ふたたびまちの駅の全国大会が行われます。9月30日(土)。今度は福島県会津若松市においてです(詳しくはまちの駅どっと混むをご覧ください)。大会テーマは「ひとの力はまちの力」。このブログの執筆者である「まちの駅ネットワークとちぎ」と「まちの駅ネットワークふくおか」は全体会で基調講演をするほか、第4分科会の運営も担当します。

この分科会ではまちの駅のブランド戦略について議論する予定です。誰でもできるからこそ増えてきたまちの駅。確かにそれはすばらしいことなのですが、その反面ひとりひとりがつくりあげてきたまちの駅のブランドも崩れやすいということにもつながっています。これは以前7月1日の記事で問題提起させていただきましたが、なかなか難しい問題です。そこで今回わたしたちの分科会では、実際にまちの駅に関わっておられる参加者の皆さんの生の声をお聞きしながら、考えていきたいと思います。

当日の議論の概要は、後日こちらのブログでも紹介させていただきます。

2006年8月18日 (金)

黒崎まちの駅訪問記

以前紹介した北九州市八幡西区黒崎のまちの駅。まちの駅としては全国でもまだ珍しい中心商店街タイプの取り組みですが、動き出して1年が過ぎました。そこで、先日再び黒崎を訪れて、この動きの仕掛け人であるふたりの商店主、「お~洒落の駅」(R&Mヤマナカ)駅長の山中秀夫さんと「ふくろうの駅」(水口呉服店)の水口鉄昭さんに現在の動きとまちの駅の考え方についてインタビューしてきました。060816003

現在の動き

黒崎まちの駅は商店街の中の8つの商店がまちの駅になっています。原則毎月1日をはまちの駅の日と決めて駅長会議を開催。外の人に向けてよりもまずまちの駅間の結束を固めるためだそうです。誰がリーダーというわけでもなく、決まったことをメモにして各駅長に配布するのは当番制になっています。このことにより、お互いのまちの駅を訪問することになり、顔見知りになれます。同じ商店街といっても、普通はそんなにお互いの店を訪ねることはしないそうなのです。

駅長会議で最近話し合った結果やろうと決まったのは、次の2つの自主企画です。

(1) まちの駅名刺づくり
お店の名刺とは別に、黒崎まちの駅の統一名刺を作って配ろうとなりました。もちろん、手作りの名刺です。今、ロゴやデザインををどんな風にしようか、みんなで知恵を絞っているそうです。

(2) MOTTAINAIコーナー060816005
9月以降の取り組み予定ですが、各店がそれぞれMOTTAINAI「もったいない」という視点から環境問題を考えるコーナーを店内に設置。具体的内容は各自で考え、それを駅長会議で報告し合い、お互いそれを参考にしながら内容を次第に充実させていこうということです。しかし今はまだ山中さん、水口さんのまちの駅で試験的に実施しているのみです。山中さんのお店は化粧品店ということもあって化粧瓶のリサイクルを手がけています。また水口さんは最初なかなかアイデアが思いつかなかったため、お客さんに聞くことにしたそうです。すると店でやったら良い環境への取り組みとしていろいろなアイデアが出てきました。例えばハンガーの回収や、来店者にバスや電車を利用してもらうため交通時刻表を掲示して案内をするなどです。それを模造紙に書いて店内に掲示し、お客さんにもわかるようにしています。

自主企画の考え方について

ふたりは、「いろいろな自主企画を絶えず行うことで、ただ旗を立てるだけではない、動くまちの駅というものを維持していきたい」とおっしゃっていました。また8つの駅に多少の温度差や考え方の違いがあることは否めないようです。ただ、とにかくまちの駅であるという意識だけは持っておいてもらうためにも自主企画を続けていきたいとしています。黒崎では各商店がまちの駅になるにあたって、他の地域のまちの駅を視察するなどして、十分勉強し納得してまちの駅に取り組んでいます。その意識を大切にしていきたいとのことです。

そして次のようにも語ってくださいました。

「まちの駅を動かしていくこと、そしてまちの駅のブランドをつくっていくのは、ひとつひとつのまちの駅だ。まちの駅になったら、自動的に来客が増え、売上があがるといった誤解があるようだが、決してそんなことはない。まちの駅が何をしてくれるかではなく、自らがまちの駅に対して何が出来るかを考えないといけない。それがやがてまちが元気になり、回りまわってお店の売り上げが増える」。

そのためにも自主企画を作り出していって、まちの駅を自らの力で常に動かしていく必要があるとのことです。ただ、その自主企画の考え方ですが、8駅みんなで共同して取り組むのはもちろんなのですが、大切なのは決して強制はしないということ。決めるのはテーマだけで、その内容はテーマに応じて各店が考えるものとしています。だからその時々で、ある商店がどうしてもやれない状態にあるのなら、その時は趣旨に賛同してもらうだけで良く、できるときにできる範囲でやってもらうことにしているそうです。それが無理なく続いていく秘訣だなと思いました。

まちの駅でまちは変わった?

山中さんと水口さんに、まちの駅をはじめる前と後とでまちの駅に取り組む商店主、さらにはそれを取り巻くまちの雰囲気はどのように変わったのかを語ってもらいました。

(1) 情報は与えられるものから、自らつくるものへ
以前は店内に置くチラシ等は、市役所や商店街連合会組織等が制作し配布するものをただ受け入れるだけでした。しかし、まちの駅で自主企画を行うようになってからは、チラシやマップなど自分たちでつくるものがほとんどを占めるようになってきました。今ではまちの情報は自らつくり出すものだという意識になっているそうです。

(2) 主体性のめばえ
自主企画では統一テーマだけを駅長会議で設定し、後はその企画にのるものらないも、またどのような内容にするかもすべて各店の判断に任されています。そのため、商店街の上部組織が決めたことに従うとだけといった依存心はなくなり、それぞれの商店主の主体性が芽生えてきたようです。

(3) 商店街内の横並び意識が打開され、個店の顔が見えるようになってきた
これまで商店街で何をやるにしても商店街組織が主体となり行われ、横並び意識の中で商店街を構成している個店がクローズアップされることはありませんでした。しかしまちの駅は個店主体の取り組みであり、やる気のある元気な個店はまちの顔としてメディア等で紹介されるようになりました。それが個店のいっそうのやる気にもつながり、来街者にとっても黒崎には訪れるべきユニークな個店があることがわかるようになったそうです。

(4) 商店街間の連携
熊手と藤田の両商店街は、車の通る安川通りで分断されているものの、それを除けば旧長崎街道に沿った連続した商店街です。しかし、商店街組織が違うことからお互いの連携は全くありませんでした。そのため、一方で宿場祭りが行われていても、もう一方では何も行われていないという状態も見られたそうです。それが両商店街の有志がまちの駅の取り組みを始めてからは、少しずつその壁が取り払われ、一方のイベントに片方が協賛して何か企画するという連携が生まれてきたとのことです。

黒崎を訪ねて

今回あらためて黒崎のまちの駅を訪ねて感じたことは、ここではとにかく商店主自らがまちを元気にしていこうという姿勢があることでした。060816006

確かにこれまで黒崎は北九州市の副都心として、市が再開発ビルを造るなど、多くの公共投資が行われてきました。商店主さんたちは幾度となく活性化の起爆剤としてのそれらに期待してきました。しかし、どれもうまくいきませんでした。それでもう誰にも頼れないということを、彼ら彼女ら自身が身をもって知ったからだと思います。

ただ、ひとつの商店街といってもいろいろな考え方の方がいらっしゃいます。だから、商店主さんたち自らがまちを元気にしようとしても、商店街組織としてはなかなか動き出しません。それで今、まちの駅に取り組んでいる駅長さんたちは、個人の立場で、そして決して無理に誘うわけでもなく、「この指とまれ」で自らの判断で集まってくれたひとといっしょにできる範囲でこの活動を続けていこうとしています。

その結果、商店街の中から元気のよい個店がまちづくりというステージに上がり、そこが他の商店を引っぱっていこうとしています。今までは商店街の時代でしたが、これからは個店の時代のような気がします。商店街そのものが客を引きつけるのはなかなか難しいですが、元気で魅力的で客を引きつける個店がたくさんあれば、商店街は次第ににぎわうわけですから。

黒崎は今、その実験をしようとしているように思えます。

                          (まちの駅ネットワークふくおか)

2006年7月15日 (土)

焼津まちの駅訪問記

遠洋漁業の水揚げ港、さかなのまちとして全国に知られた静岡県焼津市。昨年9月にそこで開かれたまちの駅説明会に呼ばれ、福岡県のまちの駅についてお話をさせていただきました。そして今年の1月その説明会に参加されていた方々が中心となって、焼津市内で46のまちの駅が立ち上がりました。

そこで動き出して半年のまちの駅の様子を見たいと思い、先日久しぶりに焼津駅に降り立ちました。迎えてくださったのは、焼津まちの駅の副会長をされている水産加工会社社長の石橋さん。元気で爽やかな「海の男」です。

石橋さんの車でいろいろな駅を案内してもらいました。まず向かったのは、サッポロビール静岡工場。ここはたくさんの見学者が訪れるゲストハウスがまちの駅「ビオトープ園の駅」になっています。060708000

入口すぐの右手にトイレ、そして左手には休憩スペースと情報コーナーとして他のまちの駅の紹介などが掲示されています。そして奧に進むと案内嬢の皆さんが見学者の対応をされています。

彼女らのひとりにまちの駅について尋ねたところ、即座に的確な答えが返ってきました。聞くと、ここの支配人さんはミーティングのたびにまちの駅について繰り返し説明されているとのこと。きちんと現場の方々にまちの駅の理念が徹底されている、い060708001 い駅だなと思いました。そしてゲストハウスの向こうには、広大な緑のビオトープが広がっていました。
※ビオトープとは、生き物(Bio)がありのままに生息活動する場所(Top)という意味の合成されたドイツ語です。

次は焼津港から少し山の方にいったところにある大覚寺全珠院。日本一大きな千手観音があるお寺ということから、「千手観音の駅」と名付けられています。

広い境内に車が停められるようになっており、そこで車を降りると、目の前に大きな本堂。そしてその横にはトイレと木造の休憩所が独立して設置されており、気兼ねなく休憩することができます。本堂の中に入ると、そこに千手観音が堂々と鎮座しているのが見えますが、この入口にまちの駅情報コーナーがありました。060708004

誰もいないなと気になっていたところ、すぐにひとりの女性が入ってこられました。彼女は住職の奥さんで、曽根晋子さんとおっしゃいます。いつもは事務室にいるのですが、ひとりでも本堂に入ってきたら出てきて、きちんとおもてなしをするようにしているとのことです。そして彼女はわたしたちに、千手観音がつくられた工程や、観音様の見方、このお寺がここにあって巨大な観音様をつくることになった経緯など、いろいろと説明してくださいました。

060708005ここもまちの駅のお手本となるようなきちんとした駅ですが、曽根さんにお聞きしたところ、まちの駅に必要な「おもてなしのこころ」はお寺にとっても大切なことのひとつであるので、是非ともまちの駅になりたいと思っていたとのことでした。

ちなみに残念ながらご不在でしたが、ここの住職さんの名刺をいただいたところ、「全国手をふる会会長」との肩書きがありました。何でも千手観音様は千本の手で手を振ってみんなを応援しているように見えるから、この会をつくったとのこと。ちなみに、会長兼会員は住職さんひとりだそうです。

この後わたしたちは、お茶屋さんやプラネタリウムがまちの駅になっているところをめぐり、焼津市街へと戻って来ました。

今回訪れたのは46ある焼津まちの駅のほんの一部でしたが、見せていただいて次のような感想を持ちました。

060708010○まちの駅の基本がきちんとおさえられている。
設備面でいえば、誰にでも使いやすいトイレがきちんと整備されています。またトイレはあるのですが、バリアフリーでないということから、身体の不自由な方が来られたときのために、向かいのコンビニのトイレを貸してもらうように話をしているというまちの駅もありました。そして、どの駅にもまちの駅情報コーナーが設置されていて、観光案内だけではなく、他のまちの駅の情報や、周囲の歴史案内などもありました。さらに、訪問客には駅長さんたちがおもてなしの心できちんと対応してくださいます。

○駅長さんたちが、まちの駅のことを実によく理解している。
 駅長(店長)さんだけではなく、駅員さん(従業員さん)ひとりひとりがまちの駅のことをよくご存じです。まちの駅として何をしなければいけないかも良く理解してくださっています。
 
夕方からは、市街のお寿司屋さんで、焼津まちの駅の世話人さんや実際にまちの駅をされている方々と杯を傾けました。

その際、二ヶ月に一回の駅長会議でどんなことを話し合うのかを尋ねますと、ホームページ班・マップづくり班など、駅長さんたちが班に分かれ、通常は班ごとに適宜よりあって与えられた仕事に取り組んでいき、駅長会議で進捗を発表しあうとのこと。マップづくり班はまもなく焼津まちの駅マップを完成させるとのことで、ホームページ班もそれに負けてはならないとハッパをかけているようでした。

また、わたしがすばらしいなと思ったのは、会にもお見えになっていたのですが、地元金融機関の職員さんや、工場を経営されている方など、自分のところはまちの駅になれないのですが、この動きに参加したいと積極的に部会に入って活動されている皆さんがいらっしゃることです。

他の地域ではまちの駅をやっている人たちだけでネットワークが動いていることが多く、そのためまちの駅になれないような施設でも無理にまちの駅になっているところがあるのですが、焼津ではそういうところはサポートの方に回るというシステムで自然に動いています。実に良い雰囲気でまちの駅を楽しんでらっしゃるなと嬉しくなりました。

今回は他に所用があったため一日だけの訪問でしたが、またいつか焼津におじゃまして、他のまちの駅も見せていただいて、関係の方々にもじっくりとお話を聞く機会をもちたいと思います。

                      (まちの駅ネットワークふくおか)

2006年7月 7日 (金)

「まちの駅めぐり」もうすぐ最終回

今年の1月から西日本新聞月曜日の県総合面で「手嶋博士のまちの駅めぐり」を連載させていただきましたが、まもなく最終回をむかえます。わたしにとって初めての新聞連載。素人っぽい文章で大変恥ずかしかったのですが、まちの駅の駅長さんたちの日々の活動やまちへの思いを少しでもお伝えできたらとがんばってまいりました。ここであらためて企画を持ち込んでいただいた同紙デスクのMさんや、わたしの稚拙な文章を直して紙面にしていただいた担当記者Tさん、そして読者の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。060707000

さて、「まちの駅めぐり」は山里の小さな喫茶店からはじまり、のどかな田園や海辺のまち、工場の煙突を望むまちから白壁のまちまで。これまでいろいろなまちの駅をめぐり、駅長さんたちにいろいろなお話を語っていただきましたが、私は連載を続けながらあることに気づきました。それは、まちの駅は演劇に似ているということです。

舞台の上で演じる役者さんは、もちろん駅長である商店主さんたち。魅力ある商品、そしてまちのいろいろな物語を語り、私たち観客を引きつけます。でも役者だけで演劇は成り立ちません。まわりにたくさんのスタッフがいて、彼ら彼女らを支えています。プロデューサーとして、商工会や観光協会などそれぞれの地域のまちの駅のお世話をしている方々。また客席からは見えないのですが、舞台袖の舞台監督や裏方さんは役所の担当者さんたちがつとめてくださっています。スポットライトをあてる照明さんや舞台の声を客席に伝える音響さんたちは、新聞をはじめとするマスコミの皆さん。

そしてもちろん観客、つまり市民の皆さんに来ていただいてはじめて日々の幕があがります。まちの駅は舞台と客席の間が近くて、たまには観客のみなさんが舞台に上がって演じたりもできます。こうした舞台と観客との一体感もあって、各地で「ロングラン公演」が続けられています。まさに「まちの駅劇場」です。

まちを元気にするためには「多様な主体によるまちづくり」が大切だと言われています。まさにまちの駅は多様な主体で動いているもの。私はまちを元気にするためのヒントをいただきに、これからもまちの駅をめぐっていきたいと思います。

2006年7月 1日 (土)

「誰でもできる」と「ブランド」

「まちの駅は誰でもできる」。これがまちの駅の良いところです。

これまでのまちづくり、特に商店街の活性化を目的としたまちづくりは、商店街組織に入っていたり、そもそも何かモノを売る商店であったりでなければ、その主役になることはできませんでした。そんな「壁」をなくし、やる気があれば誰でも手を挙げて自分のお店や施設をまちの駅にすることができる。そんな敷居の低さが、現在全国各地でまちの駅が広がっている理由のひとつであろうと思います。

しかし今、考えないといけないことがあります。

それは、まちの駅の「ブランド」についてです。グッチやエルメス等の誰でも知っているいわゆる「パワー・ブランド」というわけではありませんが、最近まちの駅がオープンするとすぐに地元新聞に紹介されるようになってきて、それなりのブランド-まちの駅と聞いて、「ああ、あれか」とイメージできるもの-ができてきたのではないかと思われます。

つまり、もうまちの駅はブランドをつくっていく段階ではなく、ブランドを守る時期にきているのです。

では、ブランドを守るためには何が必要なのでしょうか。経営学者の片平秀貴氏によれば、ブランド(氏はパワー・ブランドについて述べています)の三大法則とは「夢の法則」「一貫性の法則」「革新性の法則」である1とされており、さらにこの中で「一貫性の法則」が最も重要だとあります。つまり、ぶれない、動かない、しっかりした背骨があって、たとえ様々に進化していっても、その背骨の存在がわかれば誰がみても「ああ、あれか」とわかる、そんな一貫性です。まちの駅にとってこの背骨にあたるのは、誰でもトイレが使えて、休憩できて、まちの情報が手に入って、そして駅長さんが笑顔でおもてなしをしてくれる、そんな基本的な機能だと言えるでしょう。

しかし今あちこちで増えつつあるまちの駅には少数ですが、看板は掲げているものの、この基本的な機能のいくつかが欠けているところが出てきています。

確かにまちの駅は誰でもできます。ただそれには上に述べた基本的な機能は少なくともなくてはなりません。そうしないと、せっかくまちの駅の駅長さん、駅員さん、そして応援団のひとりひとりが地道につくりあげていったブランドが崩れることになりかねません。

ブランドをつくることは難しいものですし、時間もかかるものです。しかし、ニュースで報じられたいくつかの企業の例を思い出すだけでも、ひとつの事件をきっかけにそれまで盤石と思われていたブランドイメージがいとも簡単に崩れ去っていったことがわかるでしょう。

まちの駅は、立ち戻るべき原点をもう一度見つめ直すところにきているのではないか。わたしは今それを強く感じています。

2006年6月 4日 (日)

こころのリレー -福岡県中間市-

福岡県中間市は北九州市の隣にある人口4万7千人ほどの市です。でもここは北九州市のベッドタウンとして住宅が建ち並び、大型ショッピングセンターもあって、休日は車の渋滞が激しいところとして知られています。ただし賑やかなのは、そのショッピングセンターのまわりだけ。市役所そばにある平和通りという古くからの中心市街地は、まったく正反対に車の通り抜けさえもなくひっそりと静まりかえっています。

入江義熙さんは、この通りで20年ほど前から商売をされています。結納品屋さん。ただそれだけではと、今ではお店の隣で「こっとん倶楽部」という結婚紹介のNPOを立ち上げていろいろな方々の出会いのサポートもされています。

今年の3月にこの「こっとん倶楽部」の事務所がまちの駅になりました。「NPO縁結びの駅」と名付けられています。中間市ではたったひとつのまちの駅です。

以前入江さんが知り合いからまちの駅のことを聞いて、それではと実際にまちの駅をされている方にお話を聞きに行ったそうですが、そのときにまちを元気にするために何かしたいと思っていた自分の考えが、ここで形にできそうな気がして、看板を掲げることにしたとのことです。

わたしは先日実際にこの駅を訪ねてみました。そして入江さんのお話をうかがってきました。

このまちでたったひとりでまちの駅をはじめて、3ヶ月。まだ商店街の方にはこのまちの駅を十分理解してもらってないようですが、でも少しずつ応援してくださる方があらわれてきたそうです。市長さんもそのひとり。先日このまちの駅オープンのことを市の広報に載せてくださいました。また市の図書館長さんも、何かお手伝いできたらと、中間の歴史に関する資料を貸してくださったとのこと。そしてそのおかげで市民の間にじわじわと広まっているのを感じておられるようです。

入江さんはこうおっしゃいました。「自分も年なので、何とか若い人にやる気のあるひとだけでいいからこの気持ちを伝えて、バトンをつないでいきたいんですがね。そのためにまだまだがんばりますよ」。

「寂れつつあるこの街を何とか元気にしたい」と走りはじめた入江さんの思いは、少しずつ他のひとに伝わっていって、やがて「こころのリレー」がこの街を駆けめぐる。そんな気がしました。

2006年5月 6日 (土)

あたたかい心づかい

福岡県の小京都といわれる朝倉市(旧甘木市)秋月地区。そこに6つのまちの駅があります。そこでまちの駅めぐりをしようと思い甘木鉄道に乗って行き、甘木駅構内にあるまちの駅「ほとめきの駅」でレンタサイクルを借りました。

秋月は山奧の集落のイメージがありますが、実際そこに行くまではほとんど坂らしい坂もありません。そこで変速ギアなしのいわゆる「ママチャリ」でも30分ほどペダルをこげば、楽に行くことができます。

小川にそって緑の畑の中を進むサイクリングは、とても気持ちの良いものです。しかし空はあいにくの曇り空。しかも秋月まであと少しのところで雨粒がぽつぽつと。天気予報では夕方から降り始めるとのことだったので大丈夫かと思っていましたが、意外に早く降り始めたようです。ただまだ本降りではないようだし、ここまで来たのだからと思い、構わず秋月まで行くことにしました。

秋月6つのまちの駅のうち、今日は一番新しくまちの駅になったところを訪ねました。そこでは食事ができる店ですので、昼食をとることにしました。大きな窓から外を眺めると、やはりぽつぽつと降っています。

食事が終わって支払いの時にレジに立ってらっしゃった「駅長さん」と少し会話を交わしました。そして出るときに彼女がひとこと。

「雨がけっこう強くなったみたいですよ。合羽を貸しましょうか」。

でも返すあてもないので丁重に断ると、「そうですか、それではお気をつけて」。

外に出ると彼女の言葉どおり雨は強くなっていました。それでふと乗ってきた自転車をみると、思わず心が温まりました。外に置きっぱなしにしていた自転車は、雨に濡れないように軒下にきちんと置かれてあったのです。そしてサドルにはビニールの袋が丁寧にかぶせてありました。さりげないことですが、あたたかい心づかいが伝わってきました。

雨の中を甘木駅にむかいながら、秋月にまた来たいと思いました。

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2006年5月 5日 (金)

宗像ふれあいまちの駅

福岡県宗像市は以前はのどかな田園がひろがる地域でしたが、北九州市と福岡市の間にあることから、近年では両市のベッドタウンとしてたくさんの住宅が建つようになりました。また、このまちの玄関であるJR赤間駅の北口前には昔からの商店街が並んでいるのですが、新たに区画整理された南口に最近大きなショッピングセンターが進出しそちらに客が流れたことから、商店街はだんだん寂れていきました。

その駅前商店街の商店主さんたちは、以前から危機感を感じていました。街を盛り上げようとイベントを企画したりしましたが、なかなかうまくいきません。でも、有志でまちづくりの勉強会をしたりと地道に検討を重ねてきました。

そんな中、今年の1月の終わり頃です。勉強会を市の側から応援してくださっている赤間駅前まちづくり協議会の方から、「まちの駅」という取り組みがあって、2月に甘木市(現・福岡県朝倉市)で全国大会があるということを聞きました。締め切り直前でしたが、何とか調整をつけて行けるひとだけでも行ってみようとなり、それに参加しました。

会場では全国各地でまちの駅に取り組んでおられる「駅長さん」たちの事例報告を聞き、交流会で意見交換をし、さらには翌日の現地視察で甘木・朝倉のまちの駅を実際に見てきました。2日間の全国大会ですっかりまちの駅に興味を持った皆さんは「自分たちもぜひやってみたい」と思うようになりました。

それから2ヶ月半。この赤間駅前商店街で「宗像ふれあいまちの駅」が立ち上がることとなり、4月末に勉強会の有志を中心に9つのまちの駅がスタートしました。

そこで先日わたしはこの赤間駅に降り立ちました。動き出したばかりのまちの駅をこの目でみたいと思ったからです。駅をおりると左手すぐに黄色いまちの駅の幟が見えてきました。「自慢や 綿麻の駅」とあります。このお店は「綿・麻・里(メアリー)・ポピンズ)」という婦人服店ですが、いろいろな雑貨も取り扱っています。

ここの駅長(店長)の花田由利子さんといろいろなお話をさせていただきました。

彼女はパソコン教室で習ったばかりの技術を活かして、今9つのまちの駅の名前をいれてそれぞれに掲げる案内表示を作ってあげているそうです。

「まちの駅の幟をたてて目立つようにしても、そもそもこのまちの駅がどういうもので、ここでどんなことができるのか、お客さんはまだご存じありませんものね」。

気軽にトイレを使ってくださいというような説明が書かれています。特に彼女がこれをつくる担当になったというわけではないようですが、「やれるひとが気づいたことをやる」といった雰囲気がこの勉強会の仲間にはあるそうです。

また彼女のモットーは、「結果よりも過程を大切に」。彼女はこう語ってくれました。

「まちの駅をはじめて街がすぐに元気になるとは全然思っていません。ただ自分たちがまちの駅を通じていろいろなことをやっていくその過程、その積み重ねの経験が大事だと思っています。それが5年先、10年先にきっと実を結ぶのだと思います」。

これから2ヶ月に一回のペースでみんなで知恵を持ちよって駅長会議をしていくのだそうですが、その中でぜひまちの駅めぐりのマップを作りたいと思っているとのこと。それから、他の地域のまちの駅ともつながっていきたいと考えているそうです。同じ宗像市で昨年からまちの駅をはじめている「健康の駅はまゆうワークセンター」は障害者の授産施設ですが、そこにまちの駅の看板を木工で作ってもらうように依頼中。また、マップづくりに関しても、まちのおもしろネタを集めた「トリビアマップ」をつくりあげた黒崎の水口さんにもアドバイスをもらいたいと積極的です。

これからが楽しみなまちの駅だなと思いました。

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2006年4月15日 (土)

チイキ!ゲンキ!マチノエキ!(「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」の記録)(4)

4.ちょっとだけシンポジウム

 各分科会での熱い議論。その報告を受け、再び全体会で「地域が元気になる『まちの駅』とは!」についてシンポジウムを行いました。
 パネラーは、まちの駅に対して様々な形でかかわっている3人。まちの駅の現場からは地元甘木市「川茸の駅」駅長の遠藤淳さん、広い視点で語ってもらうために、まちの駅連絡協議会事務局の遠藤あおいさん、学問的(地方自治論)な視点から北九州市立大学法学部講師の森裕亮さんです。まちの駅をいろいろな方向から見ることによって、冒頭に提示した「ふたつの問い」-「まちの駅が地域に与える効果とは」、「地域を元気にするためにまちの駅は何をすべきか」を浮き彫りにしていこうという試みです。そしてまちの駅ネットワークふくおか代表・手嶋隆行のコーディネートで議論が展開されていきました。
 まずは各パネラーにそれぞれの「目」からみたまちの駅像(具体的な質問は名前横の( )のとおり)と、分科会で出されたキーワードの中で共感したものはどれかを語ってもらいました。

●遠藤 淳さん(まちの駅になって変わったことは?)
「駅になった当初は張り切りすぎて、お客さんを戸惑わせてしまったことがありましたが、やがてお客さん同士の会話に、ころあいを見計らって自分が加わる、という「間」を覚えました。このように駅長としての経験を積んでいくことで、もてなしの心も芽生えました」。
●遠藤あおいさん(まちの駅に事務局としてかかわって良かったことは?)
「現場の人との出会いです。心からつながる、感動する=感じたら動く人が多いのが、まちの駅のすばらしさだと気づきました」
●森 裕亮さん(まちの駅に出会って感じたことは?)
「まちの駅は、人々の意識が変わることによって、地域づくりを担う人材を育成する場なんだと感じました」。

 次に、「ふたつの問い」について、これまでの議論とそれぞれの知識・体験等をふまえて答えてもらいました。
●遠藤 淳さん(まちの駅で地域が元気になったと思いますか?)
「元気になった駅はありますが、地域全体として元気になったかどうかは疑問。少しずつ、より良いコミュニティをつくっていければ、
と考えています」。
●森 裕亮さん(まちの駅は地域を活性化しますか?)
「地域活性化に必要なのはコミュニティを再生させること。それには経済の活性化と人々のつながりが必要ですが、まちの駅はこのうち人々のつながりが生まれる場だと思います」。
●遠藤あおいさん(元気なまちの駅に共通するものは?まちの駅に何が大切ですか?)
「元気なまちの駅に共通するのは、笑顔で迎えてくれる人がいる、元気な人がいる、人の話を良く聞く人がいる、自分の特技をうまく活かす人がいるの4点。まちの駅がますます元気になるためには外からほめてあげるシステムが必要だと思います」。

 以上の意見を受けて、最後にコーディネーターがまとめました。
 地域を元気にするためには、まずまちのひとりひとりが変わらなくてはいけません。まちを愛するこころ、まちを何とかしなければという意識が生まれるところからそれははじまります。これまでの議論でも明らかになったように、まちの駅にはひとの意識を変える力があります。つまりまちの駅は地域を元気にする可能性をもっていると言えます。
 しかし、そうなるためにはまちの駅がしなければならないことがあります。それは、特別なことではありません。まちの駅へのお客さんに対し毎日地道にあたたかくおもてなしをしていくことです。まちの駅の数が増えることよりも、ひとつひとつのまちの駅が常に原点に立ち戻りながら地道に続けていき、「本物のまちの駅」を増やしていくこと。これが「地域を元気にするまちの駅」にしていくために、今求められていることではないでしょうか。

 以上が第8回まちの駅全国大会のフォーラム部分の概要です。大会はことあと、「まちの駅甘木・朝倉宣言」を採択し、全国のまちの駅からの物産があたる福くじ抽選会、地元農家の奥さんたちによる手づくり料理に舌鼓を打ちながらの交流会、夜なべ談義と続き、全国のまちの駅関係者の交流が夜遅くまで続いていきました。そして、翌日は青く晴れた空のもと、約45名の参加者が甘木・朝倉やうきは市のまちの駅をめぐり、大会の成果と新たな人と人とのつながりをお土産に、甘木をあとにしていきました。

チイキ!ゲンキ!マチノエキ!(「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」の記録) おわり

2006年4月13日 (木)

チイキ!ゲンキ!マチノエキ!(「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」の記録)(3)

3.分科会

 基調講演後は5つの研修会場に分かれ、分科会が始まりました。コーディネーターの進行の下、2人ずつの話題提供者がお話しする事例をもとに、参加者の意見もあわせてそれぞれのテーマで議論が交わされ、3つのキーワードにまとめられていきました(○はコーディネーター、●は話題提供者。敬称略)。

第1分科会
 「まちの駅とは?」
○山口 覚 (地域交流センター)
●遠藤あおい(地域交流センター)
●尾藤長司 (アートの駅・甘木市)
まちの駅は「地域の魅力を出来るだけ伝えたい」「仲間とつながり地域を元気にしたい」という思いがある方々のためのツールとして機能するものだと尾藤さんから話して頂きました。失いつつある地域への愛情、人との会話によるもてなしなどを住民が主体となり少しずつ取り戻そうと呼び掛けました。地域づくりは行政などに任せっきりではけして進まないのです。主旨に賛同し早速始めてみたいという方々が何人もいらっしゃいました。
(キーワード) 「もっと深い」「共有」「コミュニティ再生」

第2分科会          
「まちの駅はどうやって立ち上げるの?」
○河井達志(まちの駅うすき・鹿児島市)
●水口鉄昭(ふくろうの駅・北九州市)
●藤田眞一(馬頭観光協会・栃木県那珂川町)
ふたりの事例報告者からまちの駅立ち上げの苦労を語ってもらいました。その中でまちの駅立ち上げに必要なのは、まずは「元気」。そして「やる気」のある人を集めること。最後に自分がひとから何を言われようとも先頭に立って旗を振る「勇気」。この3つの「気」が大事だと語ってもらいました。立ち上げたら、あとはいろいろなひとや組織からの応援をもらいながら、進んでいくことができます。まずは立ち上げることが大事だという結論になりました。
(キーワード)「元気」「やる気」「勇気」

第3分科会               
「駅長・事務局が語るまちの駅の運営ノウハウ」              
○上野春樹(甘木・朝倉広域観光協会)
●古野雅臣(まちの駅わかみや・若宮町)
●佐藤有史(会津まちの駅・福島県会津若松市)
売上増を期待して「まちの駅」になったが、思った程の効果がなく意欲が薄れてきたとの報告がありました。しかし本来まちの駅とは、人が集まり交流する場所を提供するのが基本で、歓迎の気持ちの代価として売り上げに結び付くこともある位でなければ継続はできません。各駅長が地域社会に貢献できる「まちの駅」を育てて行こうとする心が大切で、そのためにもまちの駅間で連携をしながら切磋琢磨する必要があるのではという結論となりました。
(キーワード)「ひとがつくる」「まちのことを知る」「まちの駅同士の連携」

第4分科会        
「どんどん交流。つながるまちの駅」  
○手嶋隆行(まちの駅ネットワークふくおか)
●吉田恵子(まちの駅ネットワークとちぎ)
●高橋秀一(まちの駅ながおか・新潟県長岡市)
一昨年の中越地震被災地への支援として、まちの駅ながおかで行われた事業を中心に連携の事例を紹介しました。全国にたくさんの仲間がいることを教えてくれた「まちの駅のつながり」。その根っこにあるのは、暖かい「おもいやりの心」や「まごころ」です。駅と駅、人と人とがつながる経験は、まちの駅のみんなの意識を変え、新しい活動を始めるきっかけを与えてくれました。新しいことが始まれば、街も少しずつ元気になります。「つながること」には、まちの駅を、そして街自体をより良いものに育てる力があるのだと思います。
(キーワード)「仲間がいる」「つながりの素はこころ」「つながりは育ての親」

第5分科会          
「え!こんな駅も登場!まちの駅」の将来は?」       
○今泉重敏(地域交流センター九州)
●松井広志(まちの駅ぽっぽ町田・東京都町田市)
●小池智明(富士市まちの駅・静岡県富士市)
まちの駅の関わり方には様々な入口がありますが、事例報告ではそこからどのように発展していったかが紹介されました。富士市では観光から入って地域内交流、まちづくりへ。また町田市では市街地活性化からひとづくり、コミュニティづくりへ。その際各主体が連携し協力しあっていくことが大切です。またタクシーがまちの駅になったりと新しい形のまちの駅が生まれてきているという報告もあり、いずれは海外進出もできるのではないかと夢が広がりました。
(キーワード)「国を変える」「幸せのプラットホーム」「バラバラで一緒」

2006年2月28日 (火)

のどかな里で

2月26日(日)。熊本県三加和町に行ってきました。三加和町地域交流促進協議会という官民共同組織からのお招きで、まちの駅について講演をさせていただくために向かったのですが、北九州市から福岡県瀬高町まで電車で1時間40分、そこからJRバスで三加和町まで約40分の長旅でした。でも日曜朝ののどかな空気がただようなか、田んぼや畑や遠くの山をながめながらの路線バスの旅も、なかなか良いものです。

さて、まちの駅講演は町の公民館でお昼過ぎからはじまりました。参加された方は15名くらいでしたが、町内各地域の里づくりのリーダーとしてがんばってらっしゃる方が中心で、約90分の講演時間にもかかわらず、皆さん終始真剣に耳を傾けてくださいました。

今回の演題は「まちの駅からはじまるまちづくり」。まちの駅とは何かということからはじめて、いろいろなまちの駅駅長さんたちの言葉を引用しながら、まちの駅への取り組みを通じて人々の意識が変わり、それが「フツーの人」による新しいまちづくりがはじまっていくということをお話ししました。

この三加和町は過疎地に指定されていますが、それだけに町民の皆さんは以前から減り続ける人口、そして失われていく町の活力に対する危機感を持っておられ、それが住民主導で行われる里づくり運動へとつながってきています。まちづくり(里づくり)活動については、皆さんすでに実践を積んでらっしゃるためでしょうか、「まちの駅がまちを元気にする力を持っているといっても、それは体の中からじわじわと体質改善をしていく漢方薬のように即効性はないものです」というわたしの主張を実に良く理解してくださったようです。講演後の意見交換でも、「少しずつでいいから、自分たちのできるところからはじめていこう」と皆さんおっしゃっていました。

ところで、この三加和町。3月からは隣の菊水町と合併して、和水(なごみ)町となるそうです。新しい町になっても、ぜひ今までのようなあたたかい里づくりを続けていって欲しいなと思いながら、役場の係長さんの車に乗せてもらってこの町を後にしました。

2006年2月18日 (土)

チイキ!ゲンキ!マチノエキ!(「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」の記録)(2)

2.基調講演

「地域を元気にする『まちの駅』とは!」。大会テーマをタイトルに行われた基調講演。
講演者は、宇都宮大学工学部教授・古池弘隆先生です。

昨年9月、スイスのチューリッヒで行われた国際会議「WALK21」で、”Machinoeki”を国際デビューに導いた古池先生。
今回の基調講演では、チューリッヒでの模様を織り交ぜながら、まちの駅の「きほん」をお話くださいました。

§基調講演 要旨§
徒歩が移動の主な手段だった頃、街道筋には旅人の休憩や情報入手の場として、「駅(うまや)」が設けられていました。
明治時代、鉄道の敷設が進み、汽車が重要な移動手段になったことに伴い、「駅」は鉄道の停車場としての「駅(えき)」を意味するようになります。
20世紀後半から、移動の主な手段は鉄道から車へと変わりました。そして、新たに登場したのが車利用者のための休憩施設・「道の駅」です。1993年に始まり、全国に800以上ある「道の駅」は、大規模な駐車場や休憩場所、レストランなどを整備し、地元の農産物などの物販により、地域経済へも大きく貢献しています。そのため、成功事例としての「道の駅」の概念は、世界銀行によって輸出され、現在ケニアと中国で、実証実験が行われています。

車利用者のための施設である「道の駅」に対し、歩く人のための施設として誕生したのが「まちの駅」です。
「道の駅」が、主に行政により幹線道路沿いに、大規模な施設を伴って建設されるのに対し、「まちの駅」は、設置場所に制限はなく、だれでも既存の施設を利用して、始めることができます。
休憩・情報発信・交流・地域連携の4つの機能を持つまちの駅に必要なのは、看板+だれでも気軽に使えるトイレ+街の情報+笑顔あふれる案内人さんです。

現在、全国に572ある「まちの駅」は、さまざま主体により、さまざまな場所に設置されています。
目的別には、観光案内所や行政機関のような「まちづくりタイプ」の駅、「海の駅・川の駅・健康の駅」など「テーマ重視」の駅、幼稚園や介護福祉施設のような「特殊」な機能に休憩スペース等を併せ持つ駅などがあります。
また、設置者のタイプでは、「民間団体が中心になってつくる駅」、「市民が一からつくる駅」、「行政がつくる駅」、「行政の支援を受けた民間事業者等がつくる駅」に分けられます。

平成16年の中越地震の際、まちの駅のネットワークを通じ、全国から長岡市や見附市のまちの駅に救援物資が届けられた事例に代表されるように、最近では、まちの駅同士の交流・地域連携も、盛んに行われるようになりました。
これからのまちの駅は、中心市街地活性化等において、その効果を発揮していくものと思います。

2006年2月14日 (火)

チイキ!ゲンキ!マチノエキ!(「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」の記録)(1)

九州で初、福岡県甘木市で行われたまちの駅全国大会が盛会のうちに終わりました。たくさんの方々が集まり、「地域が元気になるまちの駅とは!~チイキ!ゲンキ!マチノエキ!」をテーマに熱い議論が交わされ、そしてあちこちであたたかい交流が生まれました。そこでこれから数回に分けて、この模様をお伝えしていきたいと思います。

1.全体会1(開会~「今日の流れの説明」)

2006年2月4日(土)、早朝。福岡は未明から降り続いた雪で一面の銀世界。この日、福岡県甘木市では「第8回まちの駅全国大会in甘木・朝倉」が、全国からまちの駅関係者を集め行われます。雪で交通機関が止まったりしないか - 早起きした実行委員には一抹の不安がありましたが、やがてのぼった太陽が燦々と輝きはじめ、会場となったピーポート甘木に開会準備の慌ただしさが増してきたころ、空には一面の青空が広がり、真っ白だったあたりの景色も少しずつもとの色を取り戻してきました。

そして、昼過ぎから会場には続々と参加者が集まってきました。各地のまちの駅から集まった物産が並ぶロビーにも人の波。地元新聞の告知を見てやってきたという当日申し込みの参加者も多く、最終的な参加者数は当初予想の200人を遙かに超える350人に達しました。

さて、午後1時。いよいよ開会です。まず、まちの駅連絡協議会会長の久住市長(新潟県見附市)をはじめ、地元甘木市長などの挨拶が行われました。

続いて、まちの駅ネットワークふくおかの手嶋隆行による「今日の流れの説明」です。これは、基調講演から分科会を経てまとめとしての「ちょっとだけシンポジウム」までの議論の流れを、それぞれの位置づけと目的をはっきりさせながら、参加者全員で大会テーマである「地域が元気になるまちの駅とは!」を考えていこうという、その考え方の説明です。以下でその内容を紹介します。

ここでは、「地域が元気になるまちの駅とは!」をふたつの問いにわけてみました。ひとつは、「まちの駅が地域に与える効果とは」。そしてもうひとつは、「地域を元気にするためにまちの駅は何をすべきか」。これからはじまる議論ではこのふたつの問いについて考えながら進めていくこととしました。そしてそのあとの宇都宮大学工学部の古池弘隆教授による基調講演では、まずまちの駅とはどんなものか、基礎知識の説明により参加者全員で共通認識を持ってもらい、さらに古池先生には今後の議論のヒントを与えてもらって、各分科会へとつなげていくような構成にしてもらいました。

それをふまえて5つの分科会に分かれてもらうことになるのですが、それぞれ上に述べた「ふたつの問い」に答えることを目的としながらも、まちの駅が何かを考えるものから、まちの駅の将来性を考えるもの、またまちの駅の立ち上げや運営ノウハウを議論したり、さらには駅同士がつながって交流することについて考えるものなど、様々なレベルで議論することができるように分科会の設定をしました。また、分科会で話し合われた結論を3つのキーワードにして再び全体会(全体会2)の中で各コーディネーターから報告してもらうこととなります。このことで、よりわかりやすく他の分科会の内容も知ることができます。

最後に全体会2として、分科会で報告されたキーワードをもとに「ちょっとだけシンポジウム」を行います。これは一度分科会で広がった議論を集約する役目をもっていますが、まちの駅に対するいろいろな「目」(立場)をもったパネラー3人に壇上に上がってもらい、それぞれの観点から「ふたつの問い」ひいては、「地域を元気にするまちの駅とは!」を考えていこうというミニシンポジウムです。ここでの3つの「目」は、まちの駅の駅長さんである「現場の目」、まちの駅連絡協議会で全国のまちの駅を知っている「広く見わたす目」、さらには地方自治論からの「学問的な目」です。これをまちの駅ネットワークふくおかの手嶋がコーディネーターとなって、様々な方向からまちの駅をとらえてみようという試みです。

以上の説明が終わり、いよいよ基調講演がはじまります。(つづく)

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※「今日の流れの説明」で使用したスライドの1部です。

2006年1月31日 (火)

雨にもまけず、風にもまけなかった全国大会

2004年10月9日(土)。栃木県宇都宮市。
台風直撃という悪天候の中、開催されたのが「第6回まちの駅全国大会」です。

会場となった宇都宮大学では、参加者の無事到着を祈りながら、スタッフが空を見上げます。
「台風被害に備えて職場待機になった」方もいらして、参加者は100名程度とやや少なめ。でも、昼から次第に強まった風雨をものともせず、北は北海道から南は九州・鹿児島まで、元気なまちづくリストが大集合しました。

まちづくりの悩みを抱え、浮かぬ顔で島根から参加した女性は、2日間の大会で、多くの人から勇気と励ましをもらい、元気な笑顔で会場を後にしました。
「台風のせいでダイヤが乱れ、来るときの新幹線はすし詰め状態。せっかく買った駅弁を食べられず、身動きもとれないまま立ち通しだったのよ。でもいろいろ勉強になったわ。また栃木へもゆっくり遊びに来るわね」との言葉を残し、二人の女性は鹿児島は隼人町へ帰っていきました。

来たときよりも、もっと元気になって帰れる場・「まちの駅全国大会」。
第8回大会が、今週末、福岡県甘木市で開催されます。
今回はどんな出会いが待っているのでしょうか。
まちの駅の魅力を、またひとつ発見できる全国大会が、今からとても楽しみです。

 第8回まちの駅全国大会  
  開催日:   2006年2月4日(土)~5日(日)
  開催場所: 甘木市総合市民センター(ピーポート甘木)

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2006年1月16日 (月)

地道に少しずつ - 黒崎の新しいまちの駅(後編)

黒崎の新しいまちの駅。もうひとつ訪ねたのは「メガネの駅」。その名の通り眼鏡屋さんです。駅長さんは西山康子さん。はきはきと歯切れの良い話し方をされる女性です。彼女も衰退していくばかりのこの歴史ある商店街(ここはまさに長崎街道が通っていました)に少しでもひとを呼び戻そうと、いろいろなことを考えてきたそうです。

彼女がまちの駅に出会ったのも、エルの駅の村上さんたちと一緒に芦屋のまちの駅を見に行ったときのこと。小さな靴屋さんがまちの駅になっていて、そこで70才くらいの駅長さんが店に来た人に温かく声をかけて、会話をしながら実に楽しそうに商売をしている、その姿を見たときに、これが商売の本当の姿なんだと感じたそうです。もちろん、これは彼女自身も日頃から努めてやってきたことで、商店街を通る人に積極的に声をかけるようにしているのですが、このときにあらためて刺激を受け、自分もその仲間としてまちの駅になりたいと思ったとのことです。

西山さんは語ります。「商店街が寂れたって、まわりにひとがいなくなったわけではありません。ひとは相変わらずたくさん住んでいるんだから、そのひとたちにどうやってまちに来てもらうかだけの話。そこに知恵を絞ればいいんです」。

そんな彼女がまちの駅としてもっとも力を入れいているのが、トイレ。「だって、街を歩いててこれがないと困ることがあるでしょう。困ったときに手をさしのべるのは当たり前です」とおっしゃる西山さんにトイレを見せていただきました。掃除が行き届いていてピカピカに磨かれた便器の周りには、お正月らしいディスプレイ。これは、季節ごとに変えており、ついこの前まではクリスマスの飾りでとてもきれいだったそうです。

「何かしないとまちは良くならないんですよ。でもしたからといって、すぐに良くなるものでもない。こういうことは長いスパンで考えないと。でも若い商店主にはなかなかわかってもらえない。彼らは即効性をもとめるんです。年の功ですかね」と、西山さん。

今回黒崎の3つのまちの駅を訪ねましたが、それら駅長さんたちに共通する姿勢がありました。それは「地道に少しずつ」まちの駅に取り組んでらっしゃること。そして遊び心を忘れずにまず自らが楽しみながらやっていることのふたつです。おそらくここのまちの駅の取り組みは長続きしながら、じわじわと効果をあげていくのだろうなと思いました。そして、毎日現場でまちのことを考えながらの彼らの言葉は、どんなまちづくりの専門家が語ったキーワードよりもわたしのこころに響いてくるのでした。

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※写真は「メガネの駅」です。写真左下は、トイレにあった張り紙

2006年1月15日 (日)

地道に少しずつ - 黒崎の新しいまちの駅(前編)

久しぶりに黒崎商店街(北九州市八幡西区)のまちの駅を訪ねました。ここは水口さんと山中さんのふたりの商店主が中心となってはじめ、最初は彼らのふたつのお店がまちの駅になる形で、ふたつだけだったのですが、次第にまわりを巻き込んでいき、今や8つのまちの駅が商店街の通りに沿って展開されています。そこで新しくまちの駅になったお店に行って、いろいろとお話しを聞くことにしました。

その前にまず水口さんの「ふくろうの駅」を訪ねました。先日黒崎のトリビアなネタを集めた「へえ~マップ」を発行した水口さん。もう次なる企画を構想中です。今度は「おひなさまめぐり」。といっても他の地域でやっているようなものでは面白くないと言うことで、ちょっと違ったものを考えてらっしゃるようです。しかもわざと時期をはずして桃の節句が終わってからはじめたいとのことでした。「なぜって?だって、節句前はどこのまちでもやっているから、目立たないでしょう」と水口さん。今日も茶目っ気たっぷりでした。さらに彼はまちの駅について語ります。「常に原点に立ち戻って考えなければならない。それぞれのまちの駅の名前が示す、その駅の特色が何であるかを。例えばここはふくろうの駅。だからふくろうにはこだわっていきたいし、少しずつでもふくろうグッズをそろえていって、来た人にそれをアピールしていきたい。とにかく何かやり続けることが大事」。良い言葉をいただきました。

次に新しいまちの駅へ。ひとつめは「エルの駅」。L寸、つまり大きめの婦人服専門のお店です。駅長さんは村上弘子さん。小さな店にもかかわらず、いろいろな種類の洋服が飾られていて、それでも店の中央にはテーブルがあって、そこで休憩することができます。ただ今は寒いのでそうしているのですが、気候が良くなればテーブルを外に出して、アーケードを通る人に気軽に座ってもらおうと考えているようです。

村上さんがまちの駅をはじめようと思ったのは、水口さん、山中さんのすすめで芦屋町のまちの駅を視察に行ったときのこと。ここと同じくらい小さな店でもまちの駅となって元気にまちの魅力を伝えてくださる。そのことに感銘を受け、自分でも何かやれるんじゃないかと思ったそうです。

そしてまちの駅になってからは、村上さんは「どんな情報を発信することができるか」をいつも考えておられます。目下のところ勉強中なのは「ダイエット情報」。

「これって、結構みんな真剣に尋ねてくれるんですよ」と語る村上さんに、素朴な疑問を投げかけてみました。

「村上さんの話を聞いてダイエットに成功したら、L寸の店の売上げが減りませんか?」。これに対して村上さん。「そうそう成功するものでもないですよ」。と、なかなかお茶目な方です。

さて、まちの駅になってからは、他の駅のみなさんといっしょにまちづくりの企画を考える毎日が楽しいと村上さんはおっしゃいます。水口さんたちとは、同じ黒崎でも商店会組織が違うので、これまで共にひとつのことをすることはなかったのですが、今は同じまちの駅の仲間として楽しくやれる。そのことでいろいろな刺激を受けているそうです。今彼女の頭の中にあるのは、前述の「おひなさまめぐり」の企画。どんなおひなさまを用意しようか、「L寸の店だから大きなおひなさまをそろえようか」などといつも楽しく考えてらっしゃるとのことです。

「まちの駅になってからも、この店に来られるのはお得意さんだけ。だからまちの駅で集客を考えようとは思いません。でもまちの駅のおかげで自分もほんのちょっとだけでも成長できる。まちも少しは成長できるのでは。そう考えてやってます」。

ここでも、良い言葉をいただきました。(つづく)

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※写真は「エルの駅」です。

2006年1月 1日 (日)

今年もまちの駅でまちを元気に!

みなさま、謹んで初春のお慶びを申し上げます。

だれでも、どこでも始めることができる「まちの駅」。
その多くは、お菓子屋さん、洋品屋さん、薬屋さん、おそば屋さんなどの商店ですが、商店にとどまらないのが、まちの駅のおもしろい所。

元日、たくさんの人でにぎわっている駅があります。
それは神社やお寺。
栃木県の南部・藤岡町にある駅は、「まちの駅・みかも不動尊」。万葉集にも詠まれた三毳山のふもとにあります。
県・北東部の那珂川町には、神社が1ヶ所、お寺が2ヶ所、まちの駅になっています。
「ふくろうの駅・鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)」は、栃木と茨城の両県にまたがってお社が立つ珍しい神社。守り神のフクロウをかたどった陶器製のおまもりは、「焼物の駅・藤田製陶所」さんの製作です。
樹齢200年の白藤が見事な「出逢いの駅・乾徳寺」は、曹洞宗の禅寺。
「いのりの駅・馬頭院」には、1年に3度花を開く珍しい枝垂れ栗の木があります。なんとこの栗の木は、黄門様でおなじみの水戸光圀が植えたとか。

昨年、静岡県富士市に誕生した22のまちの駅にも、臨済宗の法雲寺が「わきみず寺の駅」として参加。
このように、いくつもの神社やお寺が駅になっているのは、まちの駅が単に商店街活性化のためのツールではなく、「まちを元気にしたい」という人々の想いを、形にするものだからだと思います。

2006年も新春から、栃木県鹿沼市で31の駅がスタートするなど、新しい駅がぞくぞく仲間入りする予定です。
「まちを元気にする素=まちの駅」。
本年もご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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   栃木・茨城の県境にある 「ふくろうの駅・鷲子山上神社」

2005年12月 5日 (月)

「プレまちの駅」のお話

栃木県小山市は、県南部に位置し、東北新幹線、東北本線、水戸線、両毛線が通る交通の要所。古くから産業が栄え、徳川家康が諸将とともに石田三成軍との戦いを決した「小山評定」の歴史も持つ街です。

平成17年12月4日。小山駅にほど近いところに「プレまちの駅」がお目見えしました。
これは、2年前から街を元気にしようと活動を続ける「根っこの会」のみなさんが、クリスマスチャリティーイベントにあわせて、開催したもの。「まちの駅」ののぼりがたなびく中、会場は採れたての野菜やおいしいそうなお菓子類、焼そば、おこわなどを買い求めるお客さんで、大賑わいです。

さて、「根っこの会」は駅周辺の四つの商店街にかかわりのある女性陣の集まりです。商売をしている人、住んでいる人、この場所に関心を持っている人など、約20名が勉強会をしたり、イベントを行ったりしています。
新聞で紹介された「まちの駅」に興味を持ったみなさんは、先月中旬、那珂川町の馬頭地区や那須塩原市の駅を視察。
既存の施設を利用し、だれでも始められる「まちの駅」を実際に見て、2週間後のイベントで「プレまちの駅」をやることにしたのです。視察後すぐに、「取りあえず1日だけでも”まちの駅”をやってみたい」という行動力は、「スゴイ!」の一言。
さらに、視察で出会った先輩駅長さんたちの体験談と温かいおもてなしも、大きな原動力になったものと思います。

イベントやお祭りなど、大勢の人が集まる時、トイレや休憩場所があったり、いろいろな情報が手に入るというのは、ありがたいもの。まちの駅は常設が基本ですが、時と場合に応じて、「一日だけの”まちの駅”」も必要なものかもしれません。
今回の「プレまちの駅」は、おもてなしの心を形にするひとつの方法を、示してくれたように思います。

「根っこの会」では、これを機に、常設のまちの駅をオープンさせるための準備を始めたいとのこと。
来年になったら、小山市にもすてきなまちの駅が誕生することを、今から楽しみにしています。

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  会場では大きなツリーとかわいいスノーマンもお出迎え

2005年12月 4日 (日)

まちの駅がくれたもの

まちの駅を始める。その時、まちの駅は駅長さんや案内人さんに、何を与えてくるのでしょうか?
まちの駅応援団=”まねとち”を始めて、1年半。
全国各地のまちの駅を訪ね、いろいろな駅長さんたちとお話して、まちの駅がくれるものには、大きく三つがあるのではないかと、思います。

その1
「トイレを貸したり、ちょっと休んでいってもらったり、道案内したりするのが、まちの駅? そんなことなら、もうやってるわよ」。
まちの駅の説明を聞いて、こんな答えを返してくれる方にとって、「まちの駅」は今までやってきたことに「意義付け」を与えてくれます。

その2
「街を元気にしたいって、前から思っていたんだけれど、何をしていいかわからなかったの。まちの駅って面白そうだし、私もやってみようかしら」。
こんな方には、「まちの駅」はまちづくリの実践に関わる「きっかけ」を与えてくれます。

その3
「人に頼まれて、しかたなくまちの駅を始めたの。でもやってみたら、これが結構おもしろいのよ」。
「もうけにつながるかも」等々の下心を持って、いやいや始めたのに、いつの間にかまちの駅の魅力にはまってしまった方は、もともと街を元気にしたいという思いを持っていたはず。「まちの駅」は心の奥底に眠っていたそんな気持ちに「気づき」を与えてくれます。

「意義付け」、「きっかけ」、「気づき」。
どれも目には見えないけれど、駅長さんたちにとっては、まちの駅への第一歩を踏み出すための、大切な力なのかもしれません。

2005年11月29日 (火)

もうすぐ始まるまちの駅

栃木県鹿沼市。
栃木県の中央部に位置し、木工業、ニラやイチゴの生産が盛ん、鹿沼土、鹿沼こんにゃく、最近ではハトムギ焼酎など特産品も豊富なこの街で、もうすぐ「まちの駅」が始まります。

まちの駅は、だれでも、どこでも、いつでも作れるものですが、始めるきっかけや、言いだしっぺを見ていくと、いくつかのパターンに分けることができます。観光協会や商工会議所など民間の団体が中心になる場合。市民がひとりで始める場合。そして行政が旗振り役になる場合。
鹿沼市は、市役所が公募するところから、まちの駅の取組が始まりました。でも、市役所がやるのは、「まちの駅というまちづくりの”道具”がありますよ」、と声をかける程度。あくまで役所は黒子に徹して、市民が動かすまちの駅を陰で支える、という姿勢です。

市役所の呼びかけに、「まちの駅、やりたい!」と手をあげた方が、31名。先日、未来の駅長さんたちが集まって、研修会が開かれました。
まねとちも、まちの駅の説明をするために参加したのですが、みなさん、とても熱心。
「街なかのことって、案外知らないもの。駅長になって、いろいろ聞かれても答えられるかしら」との不安の声や、「歴史のある街道を、もっとみんなに知ってほしい。まちの駅どうしで何かできないか」との期待の声など、グループに分かれて話し合いを進めるみなさんから、様々な意見が出されました。
「三人寄れば文殊の知恵」。これから、駅長さん同士の輪が広がる中で、不安が除かれたり、夢がかなったりしていくのだろうと思います。

来年1月に市町村合併を控えた鹿沼市。まちの駅は”新生・鹿沼市”の誕生を待って、正式スタートする予定です。

2005年11月20日 (日)

まちの駅になってよかった

先日静岡県庁の職員でプライベートで富士市のまちの駅をサポートされている方が福岡にお見えになったので、お会いしました。

彼はこれまでもまちづくり活動の経験があったそうですが、富士市にまちの駅ができることを知ってからは、自分のできる範囲で無理なくやれそうだということで、主に企画面でのサポートを積極的にされています。そして彼のご実家は旧東海道沿いの薬屋さんということで、お父さんを説得してまちの駅になってもらったそうです。そんな彼から今回22の駅でスタートしたばかりの富士市まちの駅のお話をお聞きしました。富士市はまちの駅開設にあたって、PRもかねてスタンプラリーを行っているそうですが、彼曰く、

「駅長さんたちの反応として、『やってよかった。売り上げにはつながらなくても人と人との出会いの場が増えてうれしい』という肯定派と『スタンプラリーの人だけ。お茶を出そうとしたらさっさと行かれてしまった。今はいいけど、スタンプラリーの期間が終わったら誰も来ないのでは?』という懐疑派の二つに分かれています。人と会うことを苦にしない父は前者で楽しくやっています」

そのとおりだなと思いました。まちの駅をはじめても、目に見えるようにお客さんが集まってくるという効果があるわけでもありません。それではまちの駅をやって得られるものは何でしょう。それはまちの駅に取り組むひとの意識がまず変わるということなのです。であれば、彼のお父さんのように前向きに考えないと「まちの駅になってよかった」とはなかなか思えず、続いていかないのだと思います。

ところで、彼は一市民として各まちの駅に呼びかけて、「富士川の古戦場めぐりとまちの駅を訪ねる秋のウォーク」という企画を11月23日に行うので、今準備が大変だとのこと。でも彼自身もまちの駅を楽しんでいるようです。彼のようにすてきなひとに支えられている富士市のまちの駅。これからがますます楽しみです。

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※写真はわたしの家のそばを流れる川です。青空に映えてとてもきれいでしたので、思わずシャッターを切りました(本文とは関係ありません)。

2005年11月19日 (土)

まちの駅のつながり方あれこれ

今回は、まちの駅の4つの機能のうちの1つ「連携」のお話です。

まちの駅の全国大会で新潟県見附市を訪れた際、まねとちは新幹線の停まる長岡市へもちょっとお邪魔しました。
目指す先は、まちの駅「ながおか市民センター」。
行政が整備した建物の一角にあるこのまちの駅は、おもてなしの心にあふれる案内人さんたちの精力的な活動で、多くの市民から愛されている場所です。まちの駅「ネーブルみつけ」の駅長さんたちも、オープン前、ここへ1週間の修行に出かけたとか。

「ながおか市民センター」1階の情報コーナーには、市内や近隣市町村のパンフレットと一緒に、まちの駅がある全国各地の市町村のパンフレットも並んでいます。
「まちの駅でつながっている市町村のパンフレットを置くことで、それを見た人がその街へ行きたくなるのでは」との思いから、設置を始めたとのこと。
栃木県からも、宇都宮市、足利市、大平町、上三川町、馬頭町が観光パンフレットを提供しています。

「デザインもきれいだし、お国柄もわかるので、パンフレット集めは楽しいですよ」と話す案内人の高橋さん。
隣町の「ネーブルみつけ」でも、同じ取組を始めるそうです。

1枚のパンフレットが、駅と駅、街と街を結ぶ「架け橋」になる。
まちの駅の「連携」というと、「何かイベントをやろう!」という発想になりがちですが、こんな「連携」のしかたもあるんですね。

たくさんのお金をかけなくても、多くの手間・ひまをかけなくても、タテ・ヨコ・ナナメにつながっていく「まちの駅」です。


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まちの駅「ながおか市民センター」に置かれた栃木のパンフレット

2005年11月14日 (月)

まちの駅の元気リレー

前回の更新から、だいぶ時間が経ってしまいましたが、今回も「ネーブルみつけ」の話題です。

まちの駅「ネーブルみつけ」には、子育て支援センターやいきいき健康づくりセンターと一緒に、地元の特産品を売る「みらい市場」があります。採れたての野菜や、おいしそうなおはぎ・おもちなどのお菓子類、新鮮なお魚類のほか、見附市の産業であるニット製品も販売されています(なんと、プロ野球選手のユニフォームの6割は見附市製!)。

そんな「みらい市場」の一画で、こんな看板を見つけました。
  「まちの駅の元気リレー」
このコーナーには、三宅島の特産品が並んでいました。「がんばれ三宅島」のメッセージとともに。

「なぜ、見附市に三宅島の商品?」
このナゾを解くために、時計の針を2005年3月まで戻しましょう。
2005年3月27日。栃木県大平町のまちの駅「香秘と芸術と人の駅」と「ま・ね・とち」は、中越地震で大きな被害を受けたみなさんと、春の訪れを祝おうと、まちの駅「ながおか市民センター」で、小さなフォークライブを行いました。ライブに合わせて「まちの駅連携物産展」も開催。その物産展には、地元長岡市のほか、見附市の「みらい市場」と、東京都町田市のまちの駅「ぽっぽ町田」のみなさんも参加されました。

縁あって三宅島の特産品を販売している「ぽっぽ町田」の方は、この連携物産展にも三宅島の干物や岩のり、明日葉ふりかけを出品。それを試食した「みらい市場」の方が、「これはおいしい。ぜひ、みらい市場でも販売したい」ということで実現したのが、「ネーブルみつけ」の「三宅島コーナー」なのです。

「まちの駅」をきっかけにつながった、町田-見附-三宅島のゴールデントライアングル。
まちの駅の「元気」は、確かに三宅島にも届いていることと思います。
三宅島のおいしい物産と一緒に、暖かい心も並んでる「みらい市場」です。


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     「みらい市場」の「三宅島コーナー」
     まちの駅のつながり方は、自由自在

2005年11月 2日 (水)

まちの駅はまちのへそ  ~新潟県見附市~

全国に約500ある「まちの駅」には、「まちの駅連絡協議会」という全国組織があり、毎年、大会を開催しています。
今年は10月29~30日の2日間、新潟県見附市のまちの駅で行われました。

その駅の名は、「ネーブルみつけ」。
ネーブルには、「へそ」という意味があります。おいしいネーブルオレンジも、形が「へそ」に似ていますよね。
「ネーブルみつけ」は、見附市が新潟県のちょうど「へそ」に位置することと、まちづくりの中心にしていきたいという願いから、名づけられたそうです。

「ネーブルみつけ」は、実は見附市の施設です。撤退したスーパーの跡地を市が買い取り、市民の交流場所として整備。
建物の中には、「市民交流サロン」、「多目的広場」、「子育て支援センター」などが同居しています。
昨年7月のオープン直後、市を襲った水害、さらに10月の中越地震と、相次ぐ災害の際は救援物資のとりまとめやボランティアの受付窓口として、活躍した施設でもあります。
そして、建物の一角が「まちの駅」になっているのです。

行政が設置した「まちの駅」。しかも施設の中には、「いきいき健康づくりセンター」とか、「学習コーナー」があると聞くと、なにかお堅いイメージを持ってしまいますが、初めてお邪魔した「ネーブルみつけ」は、そんなイメージとは正反対。

まずステキなのが、市民公募で選ばれた4人の駅長さん。おもてなしの心にあふれ、説明は明瞭。聞けば女性の駅長さんは2人とも、元・バスガイドさんとか。お話がわかりやすいはずです。
喫茶コーナー「風来人(ふらっと)」や、特産品を販売している「みらい市場」で働いているみなさんも、とってもあったかで、居心地抜群。
さらに、施設内に事務室を持つ市のまちづくり課のみなさんも、街を愛する心にあふれた「まちづくリスト」でした。

行政がハード(建物)を整備しても、ソフト(事業・活動内容)面では、市民の力を充分に発揮してもらう。
まちの駅を舞台にした、官民連携・協働の良いケースの1つが、「ネーブルみつけ」だと思います。

「もう一度、行きたい。また、あの駅長さんたちに会いたい」。
そう思えるまちの駅が、またひとつ、増えました。


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     ネーブルみつけの看板

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     駅長さんと 「駅長席」

2005年10月29日 (土)

駅(うまや)

先日福岡大学商学部で「まちの駅」について講義をしました。サービス産業論という講座の一環でしたが、多くの学生さんたちに真剣に聴いていただきました。そして講義が終わって、後片付けをしていたときに、学生さんのひとりから次のような質問を受けました。

「まちの駅って『駅』でもないのに、何で『駅』という語をつかっているのですか?交流の場であれば、『広場』の方が良いのに」

良い質問だなと感心しました。そしてわたしが当たり前に思って使っている言葉に対して、講義の中でもう少し丁寧に説明しなければならなかったなと反省しました。

その学生さんは、「駅=電車などの停車場」とのみとらえておられるようでした。これは当然のことです。しかし、「駅」にはもう一つの古い意味があるのです。広辞苑で「えき」を繙いてみると、次のように記されています。

「律令制で、公用の旅行や通信のために駅馬・駅船・人夫を常備している所。うまや」

少し補足しますと、律令制の時代以降近代まで、街道筋には約16キロメートルごとにこの「駅」が設置されて、そこで駅間ごとに走る馬を乗り換えていたとのことです。一頭の馬を長距離走らせるよりも、そちらの方が管理がしやすく、効率的ですからね。そして、そのように、馬を乗り換える場所が駅だったとのこと。「駅」という文字に馬が入っているのも、「駅」と書いて「うまや」と読んだりするのもこのためです。

さて、ある場所に交通機関を乗り換えるという機能が付加されると、そこには人がたまるようになります。乗り換えで一時的に休む人、その人に様々なサービスを与える人。集まった人にものを売る人等々。人が集まればそこにビジネスが起こり、雇用も生まれます。やがて、そこに住む人もでてきて、人口が増えます。「まち」の誕生です。ヨーロッパのまちは「広場」を核に発達してきたそうですが、わが国においてはこのように道、そして「駅」を中心に発達してきたと言われています。以前白井さんからこのブログにいただいたコメントでも、開拓期の北海道に「駅逓」という駅・郵便局・雑貨屋を混在させたような建物が半官半民で運営され、のちに国鉄の駅になったり郵便局になっていき、そこがやがてまちの核になっていったということでした。これも同じですね。

つまり、「駅」は単なる交通施設だけではなく、人が集まり交流・連携するための装置でもあるのです。鉄道の駅、道の駅、そして「まちの駅」。本質的なところでは、同じものであるのかもしれません。

学生さんからいただいた質問のおかげで、あらためて「まちの駅」について深く考えることができました。ありがたいことです。

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※写真は長崎街道木屋瀬宿(北九州市八幡西区)の現在の街並みです。

2005年10月13日 (木)

まちの駅になれるかな

最近商店街の商店主の方々から、「まちの駅になりたいけど、(自分のお店は)なれるのか」というご質問をよくいただきます。まちの駅に必要な設備としては、トイレ、休憩スペースやまちの案内マップなどいろいろな情報等ですので、特に新しく追加するというものでもなく、たいていのお店が持っているそのままの設備で十分条件を満たすものです。ですから、まちの駅の看板を掲げることは誰でもできます。

しかし、まちの駅になるための要件としてはもっとも重要なことは別にあります。まちの駅に「なること」ではなくて、まちの駅で「あり続けること」です。

これは訪れた方にトイレを快く使わせてあげる、居心地良い雰囲気で休憩させてあげる、そしてまちのことで尋ねられたら、きちんと答えてあげるなど、「まちの駅のこころ」を毎日お客さんに直に接しておられるお店の方全員が持ってらっしゃるかどうかで決まります。

まちの駅になろうと思っておられる店主さんはそのこころを当然お持ちでしょう。でもお店のその他の方がしっかりとまちの駅を理解されているか、そして「まちの駅のこころ」を持ってらっしゃるか。これが結構難しいのですが、大事なことです。店主さんであれ、アルバイトの店員さんであれ、まちの駅に来られたお客さんにとっては最初に接するひとがまちの駅の「駅長さん」であり、その方の接遇がまちの駅の印象を決めるものだからです。

ですから、お店がまちの駅になろうとするときには、まずお店のスタッフ全員でまちの駅になるということはいったいどんなことなのかを確認しておく必要があります。では、具体的にどういったことを確認すれば良いのでしょうか。

そこでそのためのツールとして、このたびまちの駅ネットワークふくおか(ま・ね・ふく)とまちの駅ネットワークとちぎ(ま・ね・とち)が「まちの駅なれるかなシート」を共同開発しました。といっても、A4一枚の小さなシートですが、まちの駅になるために必要なことや、どういうふうにすればまちの駅になれるかなどがコンパクトにまとめられています。まちの駅ネットワークふくおかのホームページ
http://manefuku.netに掲載しています。

まちの駅をやってみようとされるかた、まずはこれをご覧ください。

ぼく、「まちの駅なれるかなシート」のマスコットキャラクター「なれる君」です。.gif

2005年10月 9日 (日)

まちの駅のひろがり - 栃木県・馬頭町の場合 -

「もうひとつの美術館」が「アートの駅」になったことを皮切りに、馬頭町には全部で18のまちの駅が誕生しました。平成16年11月のことです。
以前から「もっと地域の横のつながりを深めていきたい」と考えていた馬頭町のみなさん。簡単に作れて、工夫次第でまちが元気になる「まちの駅」のことを知り、「これだ!」とひきつけられたようです。

「まちの駅になって、よかった」と話すのは、「蕎麦の駅」の駅長・塩澤孝子さん。塩澤さんは町の景勝・御前岩の近くで物産店を営んでいるのですが、今まではお店でイベントをやりたいと思っても、不安が先に立ち、実行に移せませんでした。でも、まちの駅になってからは、悩んでいると、他のまちの駅の駅長さんたちが、肩をポンとたたいてくれたり、スーっと手を差し伸べてくれたりと、塩澤さんを大いに勇気づけ、そのおかげで、塩澤さんはいろいろなイベントを実現させたのです。
御前岩のライトアップ、オリジナルコロッケの販売、地元の企業にも参加を呼びかけたお祭り、ミニコンサート。これはまちの駅になって、わずか4ヶ月の間に、行われたこと。
「私を変えるきっかけになったのは、まちの駅。まちの駅になってから、自分の街がますます好きになったし、他の街のことももっと知りたいと思うようになりました」と語る塩澤さんは、毎日ときめきながら仕事をなさっています。

塩澤さんのところの「蕎麦の駅」を始め、馬頭町には洋品店やおそばやさんなどの商店から、美術館、寺院、神社まで多彩な駅が勢ぞろいし、自分たちでお金を出し合って「まちの駅のマップ」を作るなど、民間主導で自然体のまちの駅を運営。全国のまちの駅関係者からも、注目を集めています。

もうすぐスタートから1年を迎える18の駅。これからの展開が楽しみです。


※馬頭町は、市町村合併により、平成17年10月1日から「那珂川町」になりました。
福岡県にも「那珂川町」があって、こちらにもたくさんのまちの駅があります。二つの「那珂川町」。まちの駅のご縁で、つながっていくかもしれません...。

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  まちの駅マークが輝く「蕎麦の駅・御前岩物産センター」

2005年10月 7日 (金)

もうひとつの美術館 - もうひとつのアートの駅 -

もうひとつの美術館。
栃木県の北東部、茨城県と境を接する那珂川町(17年10月合併、旧・馬頭町)にあるこの美術館は、廃校になった小学校を利用した、エイブルアート専門の美術館です。
そう。「もうひとつの美術館」は、福岡県甘木市にある「共星の里」と、とてもよく似た美術館なのです。

私がここを初めて訪れたのは、平成16年5月の連休中でした。「ま・ね・とち」を始めて、まだ数日。知人に「まちの駅になってくれるかもしれない」と紹介され、地域交流センター代表の田中栄治さんと出かけたこの美術館で、私は初の「まちの駅へのお誘い」をしたのです。
田中さんの絶妙の説明のかいあって、まちの駅に大きな関心を示してくれた、館長の梶原紀子さん。
訪問から3ヵ月後の平成16年8月4日、美術館の創立記念日にあわせて、まちの駅になってくださいました。
「アートの駅」の誕生です。

明治・大正期に建築された木造校舎を、自分たちの手で改装し、NPO法人を設立して美術館の運営を続ける、梶原さん。
暖房設備がないため、真冬を除き、年3回、毎回3ヶ月程度の企画展を続けています。

今年の夏(6~9月)に行われたのは、「福岡からいっぱい元気」と題した企画展でした。
そして、この企画展には、福岡の「アートの駅」=「共星の里」からも、所蔵作品が出品されました。

栃木と福岡のまちの駅が協力し合って実現した企画展のきっかけは、1枚のパンフレット。
昨年10月、宇都宮で開かれた全国まちの駅大会の帰途、「まちの駅ストーリー」の取材で美術館を訪れた、「まちの駅ネットワークふくおか」のみなさんが、梶原さんに手渡した「エイブルアートin原鶴」の案内でした。
福岡県・原鶴温泉の各旅館のロビーなどに、エイブルアートの作品が展示されるというこの企画を見て、「福岡へ行くっ!」と思い立った梶原さんは、「共星の里」も訪ね、それが縁で、企画展「福岡からいっぱい元気」が開催されることになったのです。

同じように民間で、同じように廃校の小学校を利用し、同じようにエイブルアートの展示に取り組む、二つの美術館の代表&二つのまちの駅の駅長=尾藤さんご夫妻と梶原さんは、すっかり意気投合し、熱い対談は4時間に及んだとか。

1,000キロ離れた、似たもの同士のまちの駅がつながって、タイトルどおり、いっぱい元気をもらえる、明るい作品が並んだ企画展は、ま・ね・とちにとって、ことのほか感慨深いものとなりました。

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木のぬくもりと人の優しさがあふれる「もうひとつの美術館」遠景

2005年10月 6日 (木)

福岡県の「アートの駅」

「エイブルアート(Able Art)」って、ご存知ですか?

「障害者芸術」と言われたりしますが、それだけだと説明として不十分。わが国でエイブルアートを進める団体「エイブルアートジャパン」によれば、「障害のある人たちのアートを可能性の芸術(Able Art)としてとらえ、生命力を失いつつある現代社会に生きる人たちが、アートを通して人間性を恢復(かいふく)させ、さらに芸術と社会の新しいコミュニティーを築いていく市民芸術運動」(同団体の公式サイトより)と定義されています。エイブルアートには、私たちの既成概念を超えた自由な色づかい、造形など、見ていて飽きない、ときにハッとして何かに気づいたりする作品がたくさんあります。

そんなエイブルアートを中心に展示する美術館が、福岡県甘木市の山中の小さな集落にあります。「共星(きょうせい)の里」という名前のそれは、甘木市立黒川小学校が廃校になったあとの校舎がそのまま活用されています。昔の懐かしい教室の雰囲気がそのままの、そこにいるだけでいやされる空間。その中に鮮やかな色を使った斬新なデザインのエイブルアートが意外と違和感なくとけ込んでいます。

この旧校舎を市から借り受けて、美術館を運営しているのは、甘木市内で洋品店を営む尾藤(おとう)さんご夫妻。ちなみに奥さんの悦子さんはこの旧黒川小学校の出身だそうです。オープンは2000年4月。それ以来ただ作品を展示するだけでなく、夏休みには子どもたちがここで合宿しながらワークショップで一緒に作品をつくったり、地元の方々と海外のアーティストとの交流イベントを企画したりと、いろいろなひとを巻き込みながら、活発な活動が行われています。

アートは特別なものでなく、ひとりひとりの生活の中にあるもの。そのことをこの場所にみんなで集まって共に見つけていこうというのがコンセプトであり、「共星の里」の名前の所以でもあります。

さて、ここ、「共星の里」は甘木・朝倉57のまちの駅のひとつ「アートの駅」にもなっています。そして、ここから1,000キロ離れた栃木県にも偶然「アートの駅」と名のるまちの駅があります。

実はこのふたつの「アートの駅」。あることをきっかけにつながりました。どんなつながりができたのでしょう。あとは、栃木のま・ね・とちさんにお願いすることとしましょう。

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※写真は、「共星の里」の玄関から外を眺めたところです。

2005年9月11日 (日)

富士の麓のまちの駅

昨日の焼津の帰りに、静岡県富士市に寄ってきました。富士山が真正面に見える麓の街です。ここは昨年からまちの駅の社会実験が4つの駅で行われてきましたが、この10月からは18増えて、22のまちの駅でネットワークを組んでいくそうです。今日はこの富士市のまちの駅をコーディネートしてらっしゃる小池さんに案内いただきながら、いくつかの新しいまちの駅候補を訪ねてきました。

今度新しくまちの駅になる商店等は、バラエティに富んでいます。酒屋さん、お菓子屋さんのほか、ビジネスホテル、仏壇店、醸造所、それから富士らしく、紙屋さん、しらす屋さんなど。でも共通して言えるのは、駅長さんも駅員さんもまちの駅のこころをしっかり理解してくださっていること。そして、まちの駅になることを楽しみにしていること。あちこちの駅で駅長さんらとおしゃべりをしながら、そう感じました。

また、ここ富士市は旧東海道が通っていて、吉原という宿場を中心に発展した街でもあります。そしてこれら新しいまちの駅は、ほとんどが旧東海道沿いに点在しているそうです。つまり街道ウォークを楽しむ方々(結構多いらしいです)が、このまちの駅でちょっと休憩できて、土地のいろいろなお話しを聞けるということにもなります。

このように富士市は、いろんな意味で現代の宿場であるまちの駅の、新しいモデルになりそうな気がします。

富士市のまちの駅。10月1日(土)に22の駅でスタートです。

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※写真は、富士市まちの駅オリジナルの看板と掲示板です。

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2005年9月10日 (土)

おさかなのまちのまちの駅

本日午後、静岡県焼津市でまちの駅説明会があり、講師としてお話ししてきました。

この説明会を企画したのは市民の有志の方々ですが、彼らはまちの活性化のためにまちの駅に取り組もうと半年間部会を作って研究してこられました。

その間市役所や商工会議所に働きかけてきて、まちの駅になる商店や施設を公募する段階にたどりつきました。そしてまちの駅に興味を持ってくれた方々に呼びかけ、この説明会で「まちの駅とはいったいどういうものか」を理解してもらったうえで手を挙げていただき、いよいよ10月末から焼津版まちの駅ネットワークを動かすことにするそうです。

当初出席者は30名程度とのことでしたが、実際始まってみると50名を超える参加者で、会場となった商工会議所の会議室は満員になりました。わたしの講演はおよそ1時間半でしたが、皆さん真剣に耳を傾けてくださり、質問も活発でとてもやる気が感じられました。

市役所の方もお見えになっていて、市民主体のまちの駅を「さりげなく」応援してくださるとのこと。

「おさかなのまちのまちの駅」。魚屋さん、お茶屋さん、公共施設にレストラン。いろいろなまちの駅が生まれ、ここからきっと新鮮な旬の情報がたくさん発信されることでしょう。これからが楽しみです。

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2005年8月21日 (日)

まちづくりは会議室で起こっているのではない

このごろどうもまちの駅を机上でばかり論じているような気になって、先日まとまった休みが取れたのをきっかけに、まちの駅めぐりをしました。行き先は今年の5月から8つの駅で社会実験がはじまった福岡県若宮町。以前は産炭地としてにぎわった筑豊地方にあって最も西にある山里の今では静かな町です。わたしの住む北九州市八幡から車で40分くらいのところにある町なのですが、わたしは車を持たないので自転車で1時間半かけていきました。

いくつか回った後、最後に「ノリタケ食器の駅」というまちの駅にたどり着きました。ここは高級食器で知られるノリタケの工場内にあるアウトレット製品の販売所です。この工場自体が人里離れたところにあるのですが、その中のお店とあって、「こんなところにあるのに果たして人が来るのかしらん」と思いながら、大きな倉庫のようなこのまちの駅に入っていきました。

確かに平日ともあってお客さんは少なかったのですが、何人かが熱心に製品をみておられたり、休憩スペースでくつろいでらっしゃいました。そんなお客さんの対応を一所懸命されている若い女性がいました。彼女はこの売場を担当されている鷲尾敏子さんで、まちの駅としては「助役」ということになります。駅長さんとふたりで売場を受け持ってらっしゃるのですが、駅長さんは不在とのことで、彼女はひとりでこの広い売場を切り盛りしてらっしゃいました。しかし、やがて手が空いたようでしたので、まちの駅についていろいろと話を聞くことができました。

そのときに彼女が語ってくれた言葉の数々です。

「ここは街中でもないし、あくまでも工場の一部の特設売店ですので、積極的に広告はうってなくて、もともとノリタケの食器のことをよく知ったひとがいらっしゃるくらいでした。また、まちの駅になってからは他の駅から紹介されてきたお客さんがお見えになるようになりましたが、そんなに多くのお客さんが来られるわけではありません。でも、それだけに一度こちらに足を向けられた方には、ここでゆっくりとした時を過ごしていただきたいと考えています」

「商いの基本は、お客さんとの会話です。会話がないとお客さんとの関係はそれっきり。いろいろな会話をして、心を通わせて関係づくりをすることが何より大切だと思います。特にこれからはまちの駅として、お客さんたちにゆっくりとした雰囲気の中で休んでもらい、その中で若宮町のすばらしさをお話しして、とにかくこの町を好きになってもらいたいです。それで、再びここに戻ってきていただければ良いと考えています」

いろんなまちの駅で、様々な駅長さん、駅員たちがまちの駅、そしてまちのことをしっかり考えて毎日がんばってらっしゃるなとあらためて感じました。まちづくりは決して会議室でおこっているのではなく、机の上で考えるものでもないのです。現場に出て、いろいろなひとのお話をきくことが基本だし、常にその基本に立ち戻りながら進んでいかなければと思った一日でした。

さて、前回ま・ね・とちの吉田さんから「香秘と芸術と人の駅、この駅をめぐる人たちとともに紡いだ、ひと夏のステキな物語が始まります」と案内がありました。この物語には実はわたしたちま・ね・ふくも関わっていました。そこでわたしも次回以降、ここで吉田さんと一緒に物語を紡いでみようと思います。お楽しみに。

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※写真は、ノリタケ食器の駅(ノリタケアウトレットショップ)と助役の鷲尾さんです。
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2005年8月17日 (水)

新しい公共(後編)

福岡県の南部に瀬高町という小さな町があります。そこに一軒のまちの駅があります。「酒の駅いまいし」。今石光明さん御夫妻が経営する個人酒店です。この今石さん、ただのお酒屋さんではないのです。趣味は「地域おこし」というほど、地域のボランティアに傾注し、お世話しているサークルは二十以上。独自に「今石会」という団体もつくり、ふれあいグランドゴルフ大会や、地域の清掃活動を行っておられます。また、自店のブランドとして「幸若舞」というお酒を販売し、その売り上げの一部で地元の伝統芸能「幸若舞」の運営に寄付をしたりと、八面六臂の大活躍。

さらに彼が考えているのが、国道沿いにありながら近くに車が休憩できる場所が少ないということで、それならばと今石酒店を改造し駐車場を広げて前を通る観光バスにも気軽に駐車してもらおうということ。レストランや土産物屋でしたら直接売り上げに跳ね返るのですが、小さな酒店ではその効果も限定的。理由は瀬高町を通る人たちに快適な旅をしてもらいたいとのことです。

いわば「私家版・道の駅」。まさに今石さんは、これまで行政が担ってきた地域コミュニティづくりや観光振興など公共的な仕事を、自主的・主体的に行っています。これも「新しい公共」のひとつといえるでしょう。もっともこれは今石さんの並々ならぬ「まちを愛する心」があってこそだと思いますが、一市民でもこれだけのことができるのです。

今石さんのような「新しい公共」を担う一市民がそれぞれのまちで取り組んでいるのが、まちの駅。やる気のあるひとが、自らやれる範囲で愛するまちのために人々をもてなすのがまちの駅だとすれば、まさにまちの駅は「新しい公共」の担い手にふさわしいといえるでしょう。

「新しい公共」。皆さんの近くにも意外とたくさんあるかもしれません。

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※写真は、「酒の駅いまいし」と駅長さんの今石さんです。
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2005年8月16日 (火)

新しい公共(前編)

ま・ね・とちの吉田さんから、宇都宮市中心部にある彼女の実家を雨宿りのために開放してあげて、そこが臨時のまちの駅になったという興味深いお話をしてもらいました(ちなみに彼女の実家は「金庫屋さん」。珍しいですね)。まちの駅って、このように全然気負わずに、ちょっとした思いやりの心があれば作れてしまうのが良いところですね。ところで、この思いやりの「心」はある意味「公共心」だと言うことができるのですが、皆さん、「公共」ってどんなイメージをもってらっしゃいますか?

私(わたくし)ではないこと。個人や民間企業がすることではなく、公(おおやけ)の機関、つまり「お役所」がすべきもの。

こう考えてしまいがちです。ところが、今この考え方が少しずつ変わりつつあります。それが、「新しい公共」です。耳慣れない言葉かもしれません。主にNPOや行政関係者の間で使われている言葉で、まだ明確な定義づけがなされていないのですが、おおよそ次のように言われています。

「行政だけが公共を占有するものではなく、市民、市民団体、事業者、行政が、協働して創出し、共に担うもの」*

わたしたち市民はこれまで公共に関わることは行政にお任せしていました。ゴミ収集しかり、道路の維持管理しかり。公共は行政の専売特許だったと言えるでしょう。

でも最近はわたしたちのライフスタイルも意識も大きく変わりつつあり、公共のニーズも多種多様になってきました。そのようなニーズひとつひとつにとても今の行政では対応できないようになってきたのです。さらにその状況に追い討ちをかけるように、今はどこの自治体も財政難。公共事業や行政事務に回るお金は減りつつあります。もう行政にはすべての面倒を見る余裕がない、力がないのが現実です。

そんななか、「民だって公共を担えるんだよ」という考えが生まれてきました。これが「新しい公共」。この担い手の主役はNPOや市民団体。公平性の原則に縛られた行政には手が届かない個別的なニーズへの対応には、小回りのきくNPOがふさわしいということで、NPOの存在意義が高まって、やがてそれが公共の一翼を担うようになりました。したがって、「新しい公共」という概念には担い手としてのNPOの存在が欠かせないのです。

しかし、果たして「新しい公共」を担うのはNPOだけでしょうか。

ま・ね・とちさんの実家のように、まちの金庫屋さんでもちょっとした思いやりの心があれば、そこが臨時でもまちの駅となって、ある意味公共の場となります。すると、必ずしも公益を目的として組織化されたNPOでなくても、新しい公共の担い手になるような気がします。そしてまさにまちの駅ではそんな事例がたくさん見つかりそうです。そこで、後編ではそんな事例のひとつをご紹介することとしましょう。

(後編につづく)

* 大和市市民活動に関する協働ルール検討会議(2002)「新しい公共の創造に向けて『新しい公共を創造する市民活動推進条例(仮称)』に関する提言」

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※写真は甘木・朝倉まちの駅共通仕様の情報ラックです(ほとめきの駅にて撮影)
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2005年8月13日 (土)

東風ふかば

これまで主に福岡県のまちづくり活動やそこにかかわるまちづくリストたちを紹介してきたこの「まちづくりストーリー」ですが、このたび新たに執筆者を加えることとなりました。

わたしたちま・ね・ふくと同じように、栃木県でまちの駅の応援団としてがんばっておられるまちの駅ネットワークとちぎ(ま・ね・とち)さんです。

栃木県それから北関東にも、元気なまちづくリストたちがいっぱい。ま・ね・とちさんから送られてくる、熱いけれども心地よい東風にどうぞご期待ください。もちろん、ま・ね・ふくがご紹介する記事もこれまでどおりよろしくお願いします。

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2005年8月10日 (水)

肝心なことは目には見えない

このごろ各地でまちの駅についてのお話しをさせていただいているのですが、その際いろいろな質問をいただきます。その中で特に自治体関係者から多いのが、次のような内容です。

「まちの駅をするとどんな効果があるのか。数字で示してほしい」。

わたしも自治体職員のはしくれですので、それは大事なことだとよくわかります。それぞれの自治体でまちの駅に取り組むための予算を新たに獲得するには、財政当局に事業実施の効果を説明しなくてはなりません。そこで、わたしもできるだけ説得力のある数字でお示ししようと思い、まちの駅に取り組んできたある地域の観光入込客数調査(都道府県単位で行われています)を提示し、まちの駅を始めた年度から伸び率がアップしていると説明してきました。質問された方も、それで十分納得され喜んで帰って行かれました。

しかし、わたしは最近それをやめることにしました。

どうも無理があるなと思ったからです。観光入込客数はその地域における観光施設利用者、宿泊者等のデータにより推計されるものですが、すべての施設を調べるわけにはいきませんので、ある程度選ばれたところの数字を積算したものとなります。そのためかなり概算での数字となっています。そんな中、まだ小さな取り組みであるまちの駅がどれほど影響を及ぼしているのでしょうか。観光客にいちいち「あなたはまちの駅を目的に来られたのですか」とアンケートを採るわけにはいきませんから、それを正確に出すことは不可能ですが、わたしは正直なところ及ぼす影響はほとんどないと思うようになりました。ある地域の伸び率があがったのも、おそらく他のいろいろな要素が複雑に絡み合ってそうなったのでしょう。

それでは、まちの駅をやっても何も効果はないのでしょうか。それも違います。フツーの商店がまちの駅になって一番変わるのは、お店の店長さん、店員さんの意識です。福岡県甘木市にあるまちの駅「どらやきの駅」の古賀博子さんが次のようにおっしゃったことがありました。

「お店に来られた方を、今までは自分の店のお客さんと思って接していましたが、まちの駅になってからは、このまちに来られたお客さんだと思うようになりました。そのお客さんにとっては自分はまちの代表。市長さんよりも誰よりも自分はまちの顔なんです。だから一所懸命笑顔でおもてなしをしています」

フツーの市民がまちづくリストになる。ひとつひとつは小さなことですが、この意識の変化が積み重なれば、やがてこのまちは魅力あふれるまちへとなることでしょう。これがまちの駅の効果です。

このようなことは確かに数字には出てきません。だからといってそれを無視したのでは、肝心なことを逃してしまうように思ってやみません。

「肝心なことは目には見えないということだ」。(新訳「星の王子さま」アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ/作 倉橋由美子/訳)

目には見えないけれど、でも肝心なこと。これをまちの駅からひとつひとつ見つけ出して、物語として伝えていく。これがわたしたち「ま・ね・ふく」の仕事だと思います。

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※写真は「どらやきの駅」と駅長の古賀さんです。

2005年8月 9日 (火)

小さなまちの駅と大きなまちの駅

昨日の記事は「うまく連携しあうこと(が重要)」で終わりました。この連携という言葉ですが、まちづくりではよく使われますし、まちの駅の機能のひとつが連携でもあります。ところで、実際連携ってどんなことで、連携するとどんな良いことがあるのでしょうか。そこで今日は連携について、まちの駅の事例から考えてみたいと思います。

九州横断自動車道甘木インターの近くに、「ぬくもり畑」という農産物直売所があります。ここは道の駅とは違い、プレハブ建ての民間の小さな直売所です。経営しているのは中村康治さんと富美夏さん。まだ20代の若い夫婦です。およそ3年前に脱サラして始めた事業ですが、その頃たまたま市の広報誌に織り込まれていた「まちの駅になりませんか?」というチラシを見たそうです。その時期は21の駅での社会実験が一定の成果をあげ、実行委員会がもっとまちの駅を増やそうということで公募をしていたころ。夫妻はすぐに手を挙げました。ちょうど直売所を誰でも気軽に立ち寄れるような場所にしようと思っていたからです。

そしてぬくもり畑は「旬の駅」としてまちの駅になりました。ところがやがて店の駐車場に大型バスが駐車するようになり、お客さんが次から次へとやってくるようになったのです。驚いた夫妻はやがてその理由を知ることに。近くにキリンビール福岡工場があります。工場内見学ができ、ビールの試飲もできるその敷地には、春はポピー、秋はコスモスが咲き誇り、年間約百万人の来場者がある一大観光地。実はそこもまちの駅「ビールの駅」なのです。規模はまったく違うもののどちらもまちの駅。まちの案内人がいて、情報ラックがあってというのは同じです。つまり、ビールの駅にやってきた団体客が「帰りにどこに行こう」となったときに、まちの駅パンフレットを手にとり、しかもまちの案内人である受付嬢にお薦めの場所を聞くと、すかさず「旬の駅が近くてお勧めですよ」と返ってくる。それで旬の駅に大型バスが次々にやってきたということなのです。

それで喜んだ旬の駅の中村駅長ご夫妻は、がぜんやる気が出てきました。近所の農家と契約して品数を増やしたり、さらに他の「まちの駅」に呼びかけてお菓子などそれぞれの商品を扱ったり。もちろん、まちの駅として、来た人を温かくもてなすことも忘れませんでした。こうやって、小さな商店が大きな施設とまちの駅でつながることによって、観光客の流れができ、経済的にもそして精神的にも活性化したのです。

でもここでがんばったのは、旬の駅だけではありません。ビールの駅も大規模な施設に関わらず、受付嬢の皆さんがまちの案内人であるという意識をしっかりもっていた。そして彼女らを指導するマネージャーの園田政義さんもまちの駅に惚れこみ、休日には自分でまちの駅めぐりをするという熱の入れよう。駅と駅とのつながりといっても、要はその中にいる人と人とが、同じまちの駅という意識でつながっていることによるのです。連携って、つまるところこういった心と心のつながりで成り立っているものかもしれません。

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※写真は「旬の駅」ぬくもり畑です。
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2005年8月 8日 (月)

壁を越えて

昨日基山町で行われたまちの駅フォーラムで会場から、ある子育て中の若いお母さんから次のようなご意見をいただきました。

「町内でいろいろな団体が活発に活動しています。でもそれらは特定の世代や立場ごとにまとまっており、そのような団体を越えての交流は行われていないし、接点がないためお互いが何をやっているのかの情報もないのです。みんなで気軽に話し合える場があればよいと思います」

良いご意見だなと思いました。またこれは多くのまちで起こっている問題ではないかと同時に思いました。では、この問題を解決するために「まちの駅」ができることは何でしょうか。前掲「わたしのまちの駅物語・第3話」の内容と重なる部分もありますが、今日はその方へのご意見にお答えしたことをお話ししましょう。

わたしはそれは、まちの駅がいろいろな面で「オープンである」ということだと思います。まちの駅は道の駅と違って官民を問わず、誰でもつくることができます。また、様々な立場の人が集まって、既存の組織にとらわれずに新しいまちづくりをおこすことができます。さらにはまちの駅同士のつながりで、遠く離れた他の地域とも仲良くなることができます。これらはすべて「オープンである」ということで可能になることです。

それに対して実際のまちづくり活動において、この「オープンである」というのは意外と難しいものです。そこにはいろいろな「壁」があります。

まずは意識の壁。これまでのまちづくりは狭い地域の限られた組織での取り組みが中心です。自治会、商店会組織など知らず知らずに仲間内でこぢんまりとまとまり、そこにはいわゆる「よそ者」はなかなか入ってくることができない世界となってしまっています。しかしまちの駅は誰でも立ち寄ることができる場であり、そこではやる気さえあれば誰でもまちづくりの中心的存在になることが可能です。

また地理的・時間的な壁もあります。都市のサラリーマンは一般に長距離通勤。朝早く家を出て帰ってくるのは夜遅くなので、地域での時間が確保できないということから、そういった立場の人たちがまちづくり活動に入っていくきっかけがなかなかつかめません。しかし、ここでもまちの駅は彼ら彼女らに門戸を開きます。もちろんまちの駅になること自体はできませんが、応援団として空いた時間だけ関わることができます。それでも難しければITを駆使してネットワーク上だけで応援することもできます。

さらに制度の壁というのもあります。例えば道の駅をつくれるのは公共団体だけ。誰でも勝手につくることはできません。でもまちの駅は一定の要件さえ満たせば誰でも自由につくることができます。

以上のように「オープンな」まちの駅にはこれらの壁を越える力があるのです。

とはいえ、前掲でもお話ししたように、現実のまちの駅が十分にこのような状態にあるというわけでもなく、これは今後まちの駅が取り組んで行かなければならない課題だと思います。

また、既存の自治会組織等がだめだというわけでも決してありません。さささんも先日のコメントでおっしゃっておられましたが、「ある意味それでこれまでやってこられた経緯」は確かにあります。これは大切にしなければなりません。重要なのは、既存の団体も新しい団体も壁を越えて、うまく連携しあうことなのかなと思います。

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※写真は、新潟県長岡市の「まちの駅ながおか」。市の中心部にある市民センターがまちの駅になっていて、いろいろなひとたちが訪れます。
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2005年8月 7日 (日)

県境を越えて

今日は佐賀県基山町のNPO法人かいろう基山さんが主催された「まちの駅設立についてのフォーラム」に行き、基調講演とその後のパネルディスカッションでお話をしてきました。午前10時からという朝早い時間にも拘わらず、基山町やその周辺の方々にたくさん聴きにきていただきました。佐賀県にはまだまちの駅はひとつもありません。でもこの基山町は福岡県甘木・朝倉地域に近く、それでかいろう基山さんを中心に町民の皆さんが以前からまちの駅に興味を持ってくださり、まずはまちの駅を知ってもらって、できるところからまちの駅に取り組んでいこうということで、このフォーラムが企画されたものです。

最初の基調講演でわたしは、まずまちの駅について簡単に説明した後、福岡県及び全国でのまちの駅の現状、まちの駅になるとこのように地域が変わるという効果についてもお話ししました。約30分の講演時間でしたが、真剣に聴いていただき、これから基山町でまちの駅に取り組む住民の皆さんの意欲を感じることができました。

さらに、パネルディスカッションではわたしのほか、主催者のかいろう基山の事務局長さん、同じく基山町で地元食材を使ったお弁当をつくって地産地消に取り組んでおられる「ごちそう燦」の理事さん、そしてNPOの支援をされている佐賀県CSO推進機構の職員の方が、それぞれの活動を通してのまちづくりのあるべき姿やまちの駅への期待について語ってくださいました。

各パネラーからの意見のほか、会場からの意見も出していただきましたが、皆さん共通して、同じ町内でも世代や立場によって情報が分断されており、まちづくりを行うにあたって、お互いのコミュニケーションがないのがネックになっていることをおっしゃっておられました。また、行政と住民との関係をいかにして上手につくっていくかを悩んでおられるようでした。

そこでまちの駅への期待ですが、いろいろな立場の方々がオープンに集え、情報の交流ができる場ということがひとつ。そして、住民が主導で行い、行政が黒子に徹して支援するというまちの駅の形が、行政と住民との良い関係をつくるのではないかということの二つにまとめられました。

福岡県から県境を越えて広がっていきそうなまちの駅。これからが楽しみです。

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2005年8月 4日 (木)

わたしのまちの駅物語・第3話「まちの駅の可能性を求めて」

先日コメント欄で、さささんからPTA活動も敷居が高くてというご意見をいただきました。わたしの職場でもPTAの役員をされてる方がいますが、時間的に結構拘束されるので大変だと言っていました。まちの駅はそのあたりはどうなんでしょうね。今回はそれについてと、まちづくりストーリーではお馴染みの「ばかもの、わかもの、よそもの」のお話もあります。見てみましょう。

第3話「まちの駅の可能性を求めて」

前回は今までフツーのお店だったのが、まちの駅になることによって、そこの店長さん、店員さんの意識がかわり、そこからまちづくりがはじまってくるという効果についてお話ししました。今回はその範囲を広げて、まちの駅のまわりの地域がどのように変わるか、まちの駅の可能性についてお話しすることにしましょう。

まちの駅はいろいろな情報が集まる場です。そしていろいろな人が集まる場でもあります。通りすがりにトイレを借りて、ちょっと休憩する人。または駅長さんや駅員さんたちとの会話を楽しみたいなど、そこでの人と人とのふれあいを求めてやってくる方もいます。やがて次のような人々も集まってきます。

「元気なまとめ役」、「いろいろなアイデアを持ったおもしろい人」、「よそからやってきて、ユニークな視点で刺激を与える人」の三人です。

もうおわかりですね。まちづくりに必要な三人「ばかもの、わかもの、よそもの」です。そして前回述べたように、まちを愛し、まちが元気になるように何かしたいという意識をもったまちの駅の駅長さん・駅員さんたちと、まちに関するいろいろな情報と、このような三つのタイプの人たちが集まったら、いったいどうなるのでしょうか。

そこでは自由な雰囲気でまちのことが話し合われ、やがてふとしたきっかけが別のきっかけと結びついて、ユニークなまちづくりのアイデアが生まれる。そしてそこから新しいまちづくりが起こるのではないかと思います。それはこれまでのように、自治会や町内会など、会長がいて役員がいてというような組織体がまずあって、それからまちづくりの活動がなされるというものではなく、たまたままちの駅に集まる人の中から始まるまちづくりです。そこにはおそらく従来の地域組織のようなしがらみに引きずられることもなく、誰でも気軽に参加できるまちづくりというものが生まれるのではないでしょうか。極端に言えば、「通りすがりの人」でもまちづくりに参加することができるようになるかもしれません。私はこれを「通りすがりのまちづくり」と呼んでいます。

もっとも、私は自治会や町内会など従来型の組織がまったくだめだと言っているわけでは決してありません。確固とした組織であるということは、責任を伴った実行力が担保されているということですから、まちにとってこれはこれでなくてはいけないものだと思います。しかしながら、特に都市化が進む郊外部、いわゆるベッドタウンでは住民の入れ替わりが激しく、新しく移ってきた新住民にとって従来型の組織はどうも敷居が高く、彼ら彼女らがまちのために何かしたいと思っても、なかなかそのきっかけがつかめないのです。またそういった新住民は都心への遠距離通勤者であることが多いので、平日などの決まった時間に打ち合わせが行われたりする、これまでのまちづくり活動にはなかなか参加できないといった現実もあります。

そういう人たちがまちづくりに関わるための選択肢のひとつとなり得るということに、まちの駅の可能性があります。ただしこれは、まちの駅の理念から考えた理想的な姿。現実問題として、今あるすべてのまちの駅が、こういった形を実現しているわけではありません。でもいくつかその芽を見ることができます。これからもまちづくりストーリーではそんな芽のいくつかをご紹介していきたいと思いますが、現在多くの地域で深刻な問題となっているコミュニティの崩壊。そのようななか、新しいコミュニティを創り出すきっかけとしてのまちの駅。その可能性は意外と大きいのではないかと思うのです。

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※写真は、福岡県芦屋町の「わらの駅」。わら細工同好会の会長さんのご自宅(左下は休憩場所)がまちの駅になっています。フツーのお家でもまちの駅になれます。

2005年8月 1日 (月)

わたしのまちの駅物語・第2話「まちの駅って、すばらしい」

今も昔もテレビのヒーローものの世界では、「変身」というのは、なくてはならない要素のひとつです。わたしが小さかった時分もウルトラマンや仮面ライダーが毎週のように変身してみんなを喜ばせてくれましたが、少しへそ曲がりだったわたしは「最初からウルトラマンが街に立っていたら怪獣は怖がって襲ってこないのに」と妙な防犯意識をもっておりました。とはいえ、「危ない!」といったここぞの場面で変身して強くなるのがストーリー上では痛快なわけで、これはやはりドラマの定石なのです。何の事やらわからなくなってしまいましたが、前回に引き続き「わたしのまちの駅物語」、その第2話は「変身もの」のお話しです。いったい誰が何に変身するのでしょうか。

第2話「まちの駅って、すばらしい」

駅長さんのひと言で、わたしはいったいまちの駅の何をすごいものだと思ったのでしょうか。わたしはそれまで、まちの駅はお客の立場、つまり休憩などでちょっと立ち寄る人の立場で、何となく良いものだと思っていたのです。前回お話したように、自分自身歩いて旅をする途中で、歩く人のための休憩所があれば良いなと思っていましたから。しかし、それは何もまちの駅でなくても、道の駅でも、観光案内所でも同じこと。休めて、そこでまちのいろいろな情報がもらえればそれで済むのです。

ところが、前の駅長さんの言葉を聞いて、まちの駅とは決してそれだけのものではないというのがわかりました。まちの駅の駅長さんや駅員さん、そこに携わるスタッフのみなさんに、ある新しい意識をもたらすのだということに気づいたのです。

何の意識でしょうか。それは「まちづくりをやってみよう」という意識です。

実はその当時わたしは甘木・朝倉地域振興の担当であると同時に、地域づくりネットワーク福岡県協議会の担当者でもありました。民間地域づくり団体同士でネットワークをつくってもらって、県内の地域づくり(まちづくり)を活発にしていこうという目的で、福岡県庁がつくった組織です。当然ながらその仕事の中で私は、まちづくりに関わっている民間の方々とたくさん知り合いになりました。彼ら(彼女ら)はいわゆる「まちづくり活動家」と呼ばれる、本業を別に持っておられながらも、まちづくりに一所懸命がんばっておられる方々。ほとんどが無償ボランティアです。彼らの悩みは共通して、なかなか新しく仲間になってくれる人がいないということでした。

ただわたしは、それは仕方ないことだと思っていました。なぜなら、わたし自身が一般市民として彼らを見て、まちづくりの活動はどこか敷居が高いものと思えたからです。活動家といわれる方々は、自らのまちのために必死となって活動されています。しかしそれだけに、まちづくりというものは本業そっちのけで寝食も忘れてかからないといけないような、そんな悲壮感を彼らに感じていました。そして彼らを尊敬はするものの、自分がそれに関わるなんてとんでもない。そう思っていたのです。

しかし、まちの駅。それは活動家ではない、ごくフツーの人を、まちづくリストに変えるものです。フツーのお店屋さんがまちの駅になり、店長・店員さんが駅長や駅員となって、お客さんにまちのことを語ったり、案内をしたり、そのためにまちのことを勉強したりする。そうするうちに、まちの人に注目され、まちを訪れた人に期待されるようになり、やがて彼ら(彼女ら)自身が「まちの代表」だと思うようになっていく。

このことは、これまで専門家や寝食忘れてまちのためにがんばる市民活動家、ボランティア、はたまた少し時間的、生活的に余裕のある篤志家によって支えられてきた「まちづくり」の世界を、普通に商売し、普通に生活している人にもすんなり関わってもらえるように、ある意味「開放」したといえるでしょう。やがて、ここでまちづくリストになった駅長さんたちを中心にして、まちの駅から新しいまちづくりがはじまるのではないか。私はまちの駅にそのような期待感を持ちました。

実際に甘木・朝倉地域のあるまちの駅では、一つのまちの駅が隣のまちの駅に呼びかけ、もちつき大会を企画しました。誰から言われるのでもなく、自主的に。そして、せっかくだからと福岡市から留学生たちを呼んで彼らを郷土料理でもてなし、留学生と地元住民との交流がめばえたそうです。

まちの駅をきっかけとして、自分たちのまちを愛する。でも、今そのまちはなぜか元気がない。そこで、愛するまちに元気になって欲しい。でも決して無理せず、自分ができる範囲で。そんなちょっとしたまちへの想いから、まちづくりが起こるまちの駅。これが、まちの駅のすばらしいところだとわたしは思います。しかし、まちの駅の可能性はこればかりではないのです。

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※写真は福岡県筑前町にあるまちの駅「洋食の駅」。ここのレストランのシェフも、まちの駅になって「まちづくリスト」に変身しました。

【お知らせ】JCOM福岡の番組サイト「わいわい福岡」のわいわいムービーアーカイブで、ま・ね・ふく手嶋が紹介されています。こちらでご覧ください。

2005年7月31日 (日)

旅系バンドSOICHIRO

先日ご紹介した「われら海岸探偵団」は、今朝大雨警報が発令されたために残念ながら中止となってしまいましたが、同じ若松で「旅系バンドSOICHIRO」さんのライブが行われるというので行ってきました。

「旅系バンドSOICHIRO」さんは、先日東京都町田市のまちの駅「ぽっぽ町田」で全国のまちの駅による連携物産展「まちの駅これぞ市場・ん」が行われ、ま・ね・ふくもお手伝いしましたが、このときに参加してくれたミュージシャンのひとりです。彼(「バンド」といってもひとり)は、全国を愛車のミニで巡りながら、各地でライブを行っています。それで「旅系」なのです。

わたしが彼に最初にあったのは、今年3月の新潟県長岡市。栃木県のまちの駅が長岡市のまちの駅で中越地震で被害にあった方々を音楽の力で応援しようと企画したイベント「花まつりフォークライブin長岡」においてでした。迫力ある声量で歌い上げる彼の詞には、人への愛や、地域への愛が溢れていて、思わず聞き入ってしまいました。歌と言うよりも「語り」であるような気がしました。それというのも、彼はその前後同じ中越地域の川口町や小千谷市などで、住み込みでボランティアとして被災された方への支援をされていたそうです。先日の町田でも川口町でのボランティアの経験から、報道では伝えられない被災された人々の苦労と防災のあり方についてお話ししてくれました。

ところで、長岡で最初に会った際、わたしが北九州市に住んでいることを聞くと、彼は若松にしばらく滞在してそこでまちの人々と一緒に若松の歌を作ったことを教えてくれました。そのときは「いつかまた若松に行きますから」で別れたのですが、三ヶ月後町田で再会。そして今日若松で、みたび彼の「語り」を聴くことができました。彼はただ旅をするだけでなく、訪れた地域にどっぷりとつかり、まちのひとりひとりと縁を丁寧に紡いでいきながら、歌を「語って」いく。だから、今日も若松のたくさんの仲間たちが、彼の歌を聴き、声援を送っていました。

彼の夢は、「紅白」に出ることだそうです。いろいろなまちのいろいろな人々に応援されながらいつかその夢は叶えられると、わたしも思います。

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2005年7月30日 (土)

わたしのまちの駅物語・第1話「まちの駅との出会い」

本日白井さんからのコメントで、明治の北海道開拓期における「駅逓」について教えていただきました。集落の核であり、よそからいろいろな人がやってくる交流拠点でもあった「駅逓」。これはまさに「まちの駅」ですし、北海道以外でも江戸期までの宿場がもっていたのも「まちの駅」の機能(休憩・情報・交流・連携)だと考えられます。「まちの駅的なもの」はどんな時代でも必要なものなのだなとあらためて思いました。

ところで、わたしがそもそも「まちの駅」に興味を持ったきっかけは、ある旅をしていて、宿場みたいなものがあれば良いなと思ったことでした。そこで、これから数回にわたって、「わたしのまちの駅物語」として、わたしがどうして「まちの駅」に関わるようになったのかをお話ししたいと思います(以前ま・ね・ふくHPの「まちの駅コラム」に掲載していたものを再構成してお送りします)。

第1話「まちの駅との出会い」

2001年の春。私は福岡から東京のある学校で半年間行政関係の勉強をすることになり、単身上京しました。寮生活。平日はたくさんのカリキュラムに追われる勉強三昧の生活でしたが、土日は打って変わってまったく何もすることがない休日。そんな一人ぼっちの二日間に一体何をしようかと思いあぐねていました。そんな時東京の街角でふと目にしたのが「東海道400年祭」ののぼり。2001年は街道が整備されてちょうど400年ということで、街道ウォーキングなど様々なイベントが 旧東海道に沿った各地で行われていたのです。単純な私は「これだ!」と思いました。

―東海道を行ける所まで歩いていってみよう―

私の「東海道を歩く旅」がこうしてはじまったのです。休日をすべて使ったわけではありませんが、のべ11日。歩いた距離約270km(この旅の模様については"TESHIMA's Archive"に旅日記がありますので、詳しくはそちらをごらんください)。

 山を越え、谷を越え、川を渡り、歩きながら思ったこと。それは「歩く人のための駅が欲しい」ということでした。今の道路特に幹線道路は、車の通行だけを考えたつくりになっています。今どき歩く旅なんてする人はいませんので、それは当然のことかも知れませんが、近所の人が日常ただ歩くだけでも歩きづらいのではないかと感じました。まず休憩する場所がないこと。トイレがないこと。そして、どこにどんなものがあるのかの情報がないこと。片や車にとっては、道の駅もあるし、ドライブインもあります。反対に、歩く人にとってはそういうものがまったくないのです。しかしそのときは、こんなものかなというくらいの気持ちでした。

やがて半年が過ぎ、福岡に戻ってきました。職場に復帰して担当になったのが福岡県甘木・朝倉地域の振興。 そのときちょうど、21の商店などの民間事業者による「まちの駅社会実験」が始まろうとしており、甘木・朝倉「まちの駅」のスタートに立ち会うことが私の担当として 最初の仕事になったのです。

そして第1回の「まちの駅駅長会議」。ただそのときは 「まちの駅」が何たるかを知らず、単なる仕事の一つとして、担当としてしかたなく (当時の関係者の皆さんごめんなさい)出席したに過ぎなかったのです。

しかたなく出た会議でしたが、そのとき初めて「まちの駅」がどういうものかがわかりました。東海道を歩きながら考えたこと、そのときに「あったらいいな」と思ったことがそのまま形になって表れているのです。「ちゃんと考えられていたのだ」。 目から鱗が落ちました。そのことに驚くと同時に感動を覚えました。しかし感動はそれだけではありませんでした。 駅長会議に続いて行われた懇親会で、お酒を飲みながらある駅長さんから聞いた言葉 が私に「まちの駅」のすばらしさを教えてくれたのです。それは次のような言葉でした。 「私は今まで経営者としてとして自分のお店のことばかり考えてきました。今回まちの駅の取り組みに参加したのも、少しでも客の呼び込みにつながって売り上げ増につながればと考えからです。でもまちの駅の『駅長』としてお客さんに接してみて、まちのことをいろいろ尋ねられていくうちに、もっとわがまちのことを勉強しなければと思 いました。そしてなんだか自分が『まちの代表』になったような気がして、誇りを持つようになりました」。

ひょっとして、「まちの駅」ってすごいものなのかも知れない。―そのとき私は 直感的に感じたのでした。

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※写真は東海道を歩きながら撮ったものです。(左上)天竜川、(左下)日本橋、(右上)箱根の石畳、(右下)舞阪宿の松並木

2005年7月27日 (水)

「元祖」まちの駅

今、昭和30年代がブームになっていますが、わたしはそれからちょっと遅れて昭和40年に北九州市の八幡で生まれました。当時の八幡は高度経済成長の波に乗って製鉄所と関連工場がフル稼働していた時期。工場のたくさんの煙突から、一日中七色の煙が立ち上り、空を覆っていたと言われています。

さて、わたしの生まれた家は、そんな工場地帯の近くにある下町にあり、そこで長らくタバコ屋(手嶋タバコ店)を営んでおりました。当時としては交通量の多い交差点にあったため、住宅地でありながら人通りも多く、工場の多くが三交代制ですので朝から夜まで勤め帰りの労働者で賑わっていたそうです。

ところで、わたしの家はタバコを売る部分は小さかったのものの、その横に広い土間を持っていました。ここは一般に開放されていて、通りすがりのひとが休憩したり。近所のひとが自然に集まって井戸端会議の場になったり、工場帰りの勤め人たちがちょっと一杯ひっかけてやってきたりと、いつもワイワイガヤガヤと賑やかな場所だったようです。そしてお店をやっていた祖父母は、そんなお客さんの相手になることが主な仕事でした。

つまり、ここは「元祖」まちの駅。

そんなまちの駅で生まれたわたしが今、まちの駅を応援しているなんて、何かの因縁を感じます。

でもこのように商店が単なる物売りの場だけではなく、コミュニティの場でもあることは、40年前の当時としては普通の姿だったのではないでしょうか。そう考えますと、「まちの駅」って決して新しいものではなく、昔の商店が当たり前にやっていたことを、もういちどやっているだけのことなのかなと思うのです。

※写真は昭和40年前後の手嶋タバコ店。昔のアルバムにあった貴重な写真です。

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2005年7月26日 (火)

協働のまちづくりシンポジウム

少し前のことになりますが、2005年6月19日(日)午前10時から正午まで佐賀県基山町の町民会館で行われた「きびっとの杜シンポジウム」にパネラーのひとりとして参加しました。「きびっとの杜」は里山保全を市民の手づくりで行おうというNPO。今回このシンポジウムは、きびっとの杜がNPO法人に認可されたことを記念して、「協働のまちづくり」をテーマに開催されたものです。

コーディネーターは、基山町在住で、福岡市でNPO支援事業を行う近松和博さん。パネラーには、介護関連NPOを立ち上げた元甘木市職員の鹿毛哲也さん、きびっとの杜副理事長の成冨藤雄さん、そしてわたしの三名でした。

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わたしはまず、福岡県におけるまちの駅の取り組みについて簡単に紹介した後、フツーの商店主がまちの駅になることによってまちづくり意識が芽生え、やがて「まちづくリスト」になる可能性をもっていることを報告。そして、従来までお役所の専門領域であった分野に、「民でやれることは民で」という意識を持った市民が入ってくる。このことが「新しい公共」へとつながっていくのではないかとお話ししました。

他のパネラーの方もそれぞれの経験をもとにお話しされ、これからは何でも行政がやる時代ではない、むしろまちづくりの分野では市民が主体となって、それを行政や企業が理解・協力しあって、みんなで住みよいまちをつくっていく。これが「協働」のあるべき姿ではないかという結論になりました。

わたしにとってもすごく勉強になり、また刺激を受けたシンポジウムでした。

2005年7月25日 (月)

走りながらまちづくり

わたしは年に数回、非常勤講師として福岡大学商学部の田村先生の授業にゲストとしておじゃましておりますが、その田村先生のブログに「ひらめきを求めて今日も走る」という記事が掲載されました。

先生の趣味は「読書とジョギング」とのことですが、特にジョギングについて、「走る最中に原稿やプロジェクトでの行き詰まりを解くアイデアがひらめき、何度も難関を助けられた」とあります。

これを読んでまったく同感。実はわたしもジョギングが趣味で、時間がとれる週末には海や山に向かって25キロを3時間くらいかけてゆっくり走るのですが、思えばまちの駅の新しい展開や講演用のプレゼン資料で使うキャッチコピーなど、アイデア的なものはすべてそういうときにひらめいています。わたしにとってジョギングは、まちづくりの道具のひとつなのです。

ところで、そのジョギングが高じて、5年前からフルマラソンに毎年出ています。といっても正月明けにある「いぶすき菜の花マラソン」(鹿児島県指宿市)だけ。この大会、実にあったかいのです。南国だからあたりまえ?いえ、いえ、沿道の応援のみなさんのあったかさです。みなさんもてなしの心にあふれてます。これはまさにまちの駅。「走るひとたちの駅」がコースのあちこちに。

あと詳しくはま・ね・ふくHPのまちの駅コラム「走るひとたちの駅」をどうぞ。

※写真は今年の菜の花マラソンスタート直前の模様です。
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2005年7月24日 (日)

福岡県まちの駅連絡会in那珂川町

2005年7月23日(土)。福岡県那珂川町のまちの駅「かわせみの駅」にて、まちの駅連絡会が行われました。これは主に福岡県内のまちの駅の駅長・駅員さんやまちの駅応援団のみなさんが顔と顔を合わせての交流や、お互いの情報交換をするために、二ヶ月に一回のペースで行われているものです。

今回集まったのは約20名の駅長さんたち。午後1時に集合して、まずはバスに乗り込んで那珂川町のまちの駅視察。どこの駅にいっても、「歓迎・福岡県まちの駅連絡会」の垂れ幕が手づくりでつくってあり、みんなびっくりすると同時に、もてなしの心のあたたかさに感動していました。

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そして、午後3時からは、まちの駅をこれからどうしていったらおもしろい事ができるかをワークショップ。最初はどんなアイデアを出して良いかわからなかった駅長さんたちも、人の意見を参考にしながら付箋紙に書きこんでいき、最終的にはたくさんのアイデアが出されました。これを来年2月のまちの駅全国大会in甘木・朝倉やこれからのまちの駅の取り組みで活かしていくことになりました。

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最後は、「かわせみの駅」の屋上(かわせみの駅は、博多南駅前の再開発ビルにあります)でビアガーデン風の交流会。三味線のミニコンサートもあり、賑やかなひとときを過ごしました。

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※この会について、詳しくは後日ま・ね・ふくのホームページでご紹介します。

2005年7月23日 (土)

富士市・森と恵みのプロジェクト

おかげさまで、ま・ね・ふく手嶋はいろいろな「まちの駅」に関わらせていただいております。福岡から遠く離れた静岡県各地での取り組みもそのひとつです。

そのきっかけとなったのは一年半前に静岡県富士川町で行われた全国街道交流会議のシンポジウム。わたしはある分科会でコーディネーターをさせていただいたことがあったのですが、そのとき大会事務局でお世話になった富士市在住のKさんが「まちの駅」に興味をもってくださって、それからすぐにKさんのご尽力により富士市で二度ほど講演をさせていただきました。それ以来静岡県内の方からお声がかかるようになったのです。

Kさんは都市計画専門の会社にお勤めされているのですが、プライベートでいくつものNPOで活動されている「まちづくリスト」。常に情熱をもってまちづくりに関わられていますが、とても穏やかな性格なので、みんなから好かれるタイプの方です。

富士市では今、彼のお力により「まちの駅」が盛り上がりつつあります。この富士市まちの駅についてはまた改めてご紹介したいと思いますが、先日Kさんからお誘いがあり、「富士市・森と恵みのプロジェクト」に参加させていただくことになりました。これは、富士市の特産である落花生をみんなで育てて、その観察記録をブログ上で持ち寄ろうというもの。わたしも時々書きこんでおりますので、こちらもぜひご覧ください。※富士市・森と恵みのプロジェクト

ところで、先日福岡県のまちの駅交流会があったときに、集まっていただいたまちの駅駅長さんたちに、この富士市から届いた落花生の種を配りました。一粒の種が、まちの駅のつながりで遠くのまちに飛んでいき、そこで育ち、花が咲く。ちょっとしたロマンですね。

追記:全国街道交流会議の時に富士川町で撮った富士山です。冬の日でしたが、これほどきれいに見えることはなかなかないと、地元の方もびっくりしてらっしゃいました。
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2005年7月 4日 (月)

全国につながる「まちの駅」の輪

7月2日(土)、東京都町田市のまちの駅「ぽっぽ町田」で行われた、「まちの駅これぞ市場・ん」にま・ね・ふくも参加してきました(総合司会は、ま・ね・ふくの梶山祐子でした)。

全国に約350あるといわれる「まちの駅」。その中の有志が集まってそれぞれ地元の物産を持ち寄って展示販売を行いました。でも「まちの駅」の駅長さんたちは、ただ売るだけではなく、東京のひとたちにとにかく「まちの駅」を知ってもらおう、そしてわが地域の良さを知ってもらおうと、一生懸命地元の言葉で熱く語っていました。

ここでの売り上げの一割は中越地震の被災者にも送られることになっています。そして、ステージではそれに関連して、地震の被災者を音楽で勇気づけてきたミュージシャンのコンサートや彼らが被災地で考えたことなどを語る場面もあり、被害にあった人たちをみんなで支え合うことの大切さを考えさせられるイベントともなりました。

全国各地の市民の力でできたこの連携イベント。「まちの駅の底力」をあらためて感じることができました。

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2005年6月30日 (木)

まちの駅これぞ市場・ん

まちの駅は全国に約350あるといわれています。みんな同じシンボルマークを掲げた仲間です。もちろん、わたしたちまちの駅応援団も、全国各地に仲間がいます。そんな仲間が一同に介しての企画が立ち上がりました。

「まちの駅これぞ市場・ん」。7月2日(土)、東京都町田市のまちの駅「ぽっぽ町田」で行われます。

今、まちの駅の主流は小さな商店等。ですから、それぞれのお店の「これぞ!」という商品を持ち寄って、展示販売するというものです。でもまちの駅がやるのですから、単なる物売りの場というわけではありません。それぞれの商品にそれぞれの地域のストーリーがあります。それを来場された方に語りながら、気に入ったら買っていただこうという趣旨です。また、まちの駅に賛同してくれたミュージシャンたちのコンサートや、昨年大地震に見舞われた中越地域からは、経験を生かしての防災講座などのイベントもあります。全国から元気なまちの駅が、みんな手弁当で集まるこのイベント。

もちろん、わたしたちまちの駅ネットワークふくおかも参加します。

2005年6月18日 (土)

まちの駅ストーリー

「まちづくりの教科書」まちの駅ストーリーの収録風景です。こうやって、実際にまちの駅を訪ねていって、まちの駅駅長さんたちのまちへの思いなどをきいてきました。駅長さんたちはまちづくりの有名人ではない、フツーにお仕事をされていて、フツーにそのまちで生活をされているひとたちばかりですが、まちのことを語る言葉には重みがあり、わたしたち自身とっても勉強になりました。
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2005年6月15日 (水)

まちづくりの教科書

まちづくリストの物語をはじめるにあたって、もう少しわたしたち「ま・ね・ふく」のことをお話しさせてください。まちの駅の応援団といって、いったいどんなことをしているのかということについて。

いろいろやっているのですが、いちばん大きな活動は、「まちの駅ストーリー」(このブログのタイトルによく似ていますね)というラジオ番組の制作。これは、福岡市早良区にあるコミュニティFM局「FM-MiMi」というラジオ局で、毎週日曜の夜10時から30分間放送している番組です。ラジオ局といってもコミュニティ局ですから、放送エリアはとても狭いのですが、ここはインターネットで同時放送しているのです。しかも映像付(次のサイト)。
http://www.fmmimi.com/

だからラジオというより「インターネットテレビ局」といえるのが、この放送局のすごいところ。これをわたしたちは最大限に活用して、全国に福岡県のまちの駅を紹介する番組を昨年4月から1年3ヶ月続けてきました。さらにこの番組にはもっとすごい仕掛けがあります。なんと、インターネット上(次のサイト)
http://manefuku.net/machi_story/
でこれまでの番組をバックナンバーとしてオンデマンドで見ることができるのです。
今はやりの言葉では、「放送と通信との融合」と言えるでしょう。でもこの先進的な言葉とは裏腹に、番組制作は結構地道です。土日を使い、ビデオカメラを担いで福岡県内のまちの駅に取材に行き、駅長(お店の店長、店員)さんたちの生の声を集め、そしてスタジオでコメントを入れる。こうした作業を毎週行い、これまで50を超えるまちの駅を紹介してきました。そしてそのおかげで各地の様々なまちづくりの生の姿にふれることもできました。番組をやっていて嬉しかったのは、ある人がこの番組を次のように評してくださったことです。

「まちづくりの教科書」。

まちづくりって、なかなか理論化したり、法則化したり、ましてやマニュアル化するのは難しいものです。なぜならまちづくりをするのは人。そしてまちづくりはひとりでできるものではなく、様々な人々の人間関係の中で動いていくもの。だから同じやり方でこのまちではうまくいっても、あのまちではうまくいかなかったということがよくあります。でも「まちの駅」でのまちづくりを通していろいろなケースを見ていると、まちづくりがうまくいっているまちには、何だか少しばかりの「共通点」があるような気がするのです。そして「まちの駅ストーリー」では単にまちの駅の紹介だけでなく、そんな「共通点」を見つけ出してお伝えすることにつとめていました。そこが評価されたのかなと嬉しく思いました。

実はこの番組自体は6月末に終わってしまうのです。でも、インターネット上でのバックナンバーは7月以降も引き続きご覧になれます。そしてこれからこのブログでも、まちの駅ストーリーの制作を通して身につけたまちづくりのエッセンスをお知らせしていきたいと思います。このブログも「まちづくりの教科書」になればいいなと願いながら。

2005年6月13日 (月)

はじめまして、「ま・ね・ふく」です。

はじめまして。今日からこのブログ「まちづくりストーリー」の運営をすることになりました、「まちの駅ネットワークふくおか(ま・ね・ふく)」代表の手嶋隆行と申します。わたしたち「ま・ね・ふく」は、全国約400カ所ある「まちの駅」、そのうちの福岡県にある130近くの「まちの駅」を応援する市民団体です。

ところで、「まちの駅」って何?とお思いでしょう。「道の駅」とは違うのです。「道の駅」は国や県や市町村がつくります。でも「まちの駅」は、民間でもつくることができます。別に新しい建物をつくるわけではありません。お花屋さんやケーキ屋さんなど普通の小さなお店屋さん、その店内のちょっとしたスペースに休憩場所をつくり、そこでまちを歩く人を休ませてあげたり、トイレを使わせてあげたり、「道の駅」みたいに地域の観光情報などのパンフレットを並べたりするだけなのです。あとは店員さんたちが、訪ねてきたお客さんを温かくもてなしてあげるだけ。ちょっとしたまちを愛する心があればできてしまうのが「まちの駅」なんです。でも今そこから、いろいろなまちづくりが起こってきているのですよ。わたしたちはそんなまちの駅を応援することを通じて、まちづくりをやっている団体なのです。

くわしくは、わたしたちの公式HPを見てくださいね。
http://manefuku.net

ところで、わたしの本業は公務員(福岡県職員)。まちづくりとは全く関係のないセクションで働いています。まちづくりは二足のわらじのボランティアでやっています。そんなわたしをひとことで言うと、「5時まで県職員、5時からまちづくリスト」。「まちづくリスト」って、聞き慣れないことばですよね。それもそのはず、わたしがつくった名称なのです。まちづくりをするひと、まちづくりのスペシャリスト、などとかけた言葉です。そんな5時からのまちづくり活動で得られるものは、楽しい仲間(もちろんみんな「まちづくリスト」)と彼ら彼女らからいただく元気。

そこで、このブログでは「まちの駅」にこだわらずに、わたしたち(「ま・ね・ふく」にはわたしの他にもうひとりいます。それは追々)の仲間のまちづくリストや各地のまちづくりの話題を取り上げながら、まちづくりについて考えていきたいと思います。皆さんも何かまちづくりについて見たりきいたり、そして考えたことがあったら、書き込んでくださいね。お待ちしております。

さて、これから「まちづくりストの物語(まちづくリスト+ストーリー)」=「まちづくりストーリー」のはじまり、はじまり。